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第36話 きらめきを胸に秘めて


改札を抜け、ホームに滑り込んできた電車に乗り込む。

平日の午前中ということもあってか、車内は空席が目立っていた。俺たちは、ボックス席に陣取る。俺の隣には穂乃果が、向かいには智哉と燈子の兄妹が座った。


ガタン、ゴトン。


心地よいリズムを刻みながら、電車はゆっくりと走り出す。


窓の外を流れていく景色が、見慣れた町の風景から、次第に緑の多い田園へと変わっていく。数日間の重苦しい空気を振り払うように、四人の間には穏やかな時間が流れていた。


「わぁ……!」


隣に座る穂乃果が、子供のようにはしゃいだ声を上げた。その視線の先、木々の切れ間から、夏の強い日差しを反射してきらきらと輝く海が、一瞬だけ見えた。


「いいね、やっぱり海は!」


「ああ。最高だな」


心からの穂乃果の笑顔に、俺も自然と口元が緩む。

その時だった。向かいの席に座る智哉が、なぜかふんぞり返って、腕を組みながら高らかに宣言した。


「お前ら、よく聞けよ! 海に着いたらまず何をするか、俺はもう完璧なシミュレーションを脳内で終えている!」


「へぇ、どんな?」


穂乃果が、楽しそうに智哉の言葉に乗っかる。


「決まってんだろ! 燦々と輝く太陽の下、この俺が『浜辺の王』になる瞬間を見せてやるよ!」


「はまべのおう……?」


何言ってんだ……?


俺が呆気にとられていると、智哉はさらに得意げに続けた。


「ああ! 誰よりも速く泳ぎ、誰よりもデカい魚を釣り上げ、そして、誰よりも高くスイカを叩き割る! 俺の独壇場だぜ!」


その、あまりにも中身のない宣言に、俺と穂乃果が顔を見合わせて苦笑する。智哉らしいと言えば、それまでだが。


すると、それまで静かにスマホを眺めていた燈子が、ふぅ、と小さく息を吐いた。そして、顔も上げないまま、静かに、しかし、芯の通った声で呟いた。


「お兄ちゃん」


「ん? なんだ燈子! お前も、兄の勇姿に期待してるだろ!」


「去年、夜の肝試しで『浜辺に幽霊が出たー!』って女の子みたいな悲鳴あげて、一人で宿に逃げ帰ってきたこと、もう忘れたの?」


「…………ぶふっ!?」


「あ……」


俺と穂乃果の動きが、完全に固まる。智哉はといえば、時が止まったかのように静止している。

燈子は、そんな兄の様子を気にも留めず、追撃の一言を放った。


「結局それ、海の家の前に置いてあった、日焼けで色褪せたマネキンだったけど」


「「あははははははっ!!!!」」


俺と穂乃果の笑い声が、車内に響き渡った。耐えきれなかった。日焼けしたマネキンを幽霊と間違えて、悲鳴を上げて逃げ帰る『浜辺の王』! 絵面が面白すぎる。


「ち、ちげーよ! あれは戦略的撤退だ! 第一、あのマネキンは普通に怖かっただろ!」


真っ赤な顔で必死に言い訳をする智哉を、燈子はちらりと一瞥し、心底どうでもよさそうに言い放つ。


「ふーん。私は普通にスマホのライトで照らして、正体確認したけど」


「ぐっ……!」


言葉に詰まる智哉。その姿が、さらに俺たちの笑いを誘った。


(……面白い兄妹だな、ほんと)


智哉の天敵は、間違いなくこの妹だろう。俺は、心の底からそう確信した。


そんなやり取りを繰り返しているうちに、車窓の景色は、どこまでも広がる青い海原へと完全に変わっていた。潮の香りを乗せた風が、電車の隙間からふわりと流れ込んでくる。


やがて、目的地の駅名がアナウンスされ、電車はゆっくりとホームに滑り込んでいった。


プシュー、という音を立てて、電車の扉が開く。


その瞬間、むわりとした熱気と共に、濃厚な潮の香りが車内に流れ込んできた。遠くから、そしてすぐ近くから聞こえてくる、寄せては返す波の音。山の重苦しい気配とはまるで違う、どこまでも開けた空気が、俺たちの身体を包み込む。


「うっしゃー! 着いたぜー!」


一番にホームへ飛び出した智哉が、空に向かって雄叫びを上げる。俺と穂乃果も、その解放感に満ちた空気を吸い込みながら、ゆっくりと後に続いた。

ホームに据え付けられた、古い木製の駅名看板が目に入る。


『――不知火浜しらぬいはま


確か、海の上に現れるという、理由の分からない怪火のことだったか。観光地として有名なこの浜に、なぜそんな名前がつけられているのか。ほんの少しだけ、思考の片隅にそんな疑問が浮かんだが、夏の強い日差しと、隣で嬉しそうに微笑む穂乃果の顔を見ているうちに、すぐにどうでもよくなった。


がらんとした無人駅の改札を抜け、俺たちはアスファルトの道を歩き出す。

太陽に熱された地面からの照り返しは強いが、時折吹く潮風が、火照った肌を優しく撫でていく。道の先には、遮るもののない青い水平線がどこまでも広がっていた。


「見えてきたぜ! あれが俺たちの城だぁ!」


智哉が指さす先には、年季の入った大きな木造の建物が見えた。『 不知火浜 海の家』と書かれた看板が、潮風に晒されて良い味を出している。


カラカラ、と乾いた音を立てて引き戸を開けると、日焼けした肌に人の良さそうな笑みを浮かべた管理人のおじさんが、カウンターの奥から顔を出した。


「お、智哉に燈子か! 今年も来たんだな!」


「おう! よろしくな、おっちゃん!」


どうやら顔なじみのようだ。智哉が慣れた様子で受付票に名前を書き込むと、おじさんはカウンターの壁に掛かっていた鍵を一つ、じゃらりと音を立てて取り上げた。


「はいよ、鍵な。部屋は二階の突き当り、一番眺めの良い『千鳥』の間だ。夕飯は六時、風呂は十時までだからな。それ以外は、まぁ、常識の範囲で自由に楽しめ!」


「サンキュー!」


智哉が受け取った鍵には、『千鳥』と書かれた木製のキーホルダーが揺れていた。

ここが俺たちの、二泊三日の拠点になる。




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