市場で買った食材の入った袋を、それぞれが手に提げて。
俺たち四人は、じりじりと肌を焼く西日を浴びながら、海の家への帰り道を歩いていた。先ほどの市場での出来事が嘘のように、気まずいような、それでいてどこか心地よいような、奇妙な沈黙が続いていた。
その空気を、けたたましい声で破壊したのは、やはり智哉だった。
「くっそー!!! まじで輝流と穂乃果お似合いだからしょうがねぇけど、羨ましー!!!」
空に向かって、彼は叫んだ。その声には、嫉妬よりも、親友の恋路を応援したい気持ちの方が、強く滲んでいるように聞こえた。
「はぁ……。お兄ちゃんなんかと恋人に間違われる、私の気持ちも考えてよ」
隣を歩く燈子が、心底うんざりしたように、辛辣な一言を付け加える。穂乃果はといえば、二人のやり取りに、ただただ苦笑いを浮かべるだけだった。
そんな中、智哉がくるりとこちらを振り返り、ニヤニヤしながら俺に尋ねてきた。
「で、実際のところどうなんだよ。輝流は、穂乃果ちゃんのこと好きなんだろ?」
「ちょ、ちょっとぉ……!」
智哉のあまりに直接的な質問に、穂乃果の肩がびくりと跳ねる。その顔はみるみるうちに赤く染まり、助けを求めるように、潤んだ瞳で俺のことを見つめてきた。
(こいつ、俺がどう思ってるか、さっきの市場でのやり取りで確信した上で、わざと聞いてるな……。なら……)
俺がどう答えるべきか、思考を巡らせた、その時だった。
「お兄ちゃん……。流石に今ここで聞くことじゃないでしょ。ノンデリカシーにも程がある」
燈子が、呆れ果てた声で兄を諌める。
その言葉が言い終わるのを待ってから、俺は、まっすぐに智哉の目を見て、そして、隣にいる穂乃果に聞こえるように、はっきりと口にした。
「好きに決まってるだろ。じゃないと、こんなに一緒にいない」
しん、と辺りが静まり返る。
俺の、あまりにきっぱりとした返答に、智哉と燈子は一瞬、思考を停止させたようだった。
「お、おお……」
「……さすが」
やがて、兄妹はほとんど同時に、感嘆とも畏怖ともつかない声を漏らした。
俺は、隣に立つ穂乃果へと視線を移す。彼女は、俯いたまま、耳まで真っ赤に染め上げて、完全に固まってしまっていた。その姿を見ていると、俺の中に眠っていた悪戯心が、さらに燃え上がってくるのを感じた。
「結婚するって、言ったもんな?」
ダメ押しとばかりに、俺はそう言って微笑みかけた。
それは、俺の記憶にはない、約束。
「っ……!!! うぅ……!」
穂乃果は、もう言葉を発することもできないらしい。ただただ「もじもじ」という擬音が世界で一番似合う生き物になって、両手で顔を覆ってしまった。
その、あまりにも愛おしい反応を見届けた後、俺は、まるで最終確認でもするかのように、この場の誰よりも冷静な人物に問いかけた。
「……燈子、どう思う?」
問われた燈子は、一度だけ、兄と、俺と、穂乃果の顔を順番に見比べた。そして、まるで裁判官が判決を言い渡すかのように、静かに、しかし、有無を言わせぬ力強さで、こう言い放った。
「この人達以外、有り得ないね」
「……だよなぁ!」
智哉が晴れやかな顔で呟く。そして、満面の笑みを穂乃果に向けた。
「穂乃果ちゃん! よかったんじゃんか!」
「う、うん……」
親友からの祝福に、穂乃果は未だに顔を赤らめたまま、それでも嬉しそうに、小さく頷いた。
その様子を見届けた燈子が、パン、と一度だけ手を叩く。
「はいはい! この話はもうおしまい! じゃあ帰って、カレー作ろ!」
まるで、この場の空気を仕切り直すように。
そう言うと、燈子は「ほら、行くよ」と、まだ感動に浸っている智哉の腕をぐいと引っ張り、海の家に向かって走り出した。
残された俺と、穂乃果。
俺は、彼女に向かって、そっと右手を差し伸べた。
「俺たちも、行こう」
「……うん!」
一瞬だけ、俺の手と自分の手を見比べた穂乃果は、はにかむように笑うと、俺の手ではなく、左腕をぎゅっと掴んだ。その柔らかな感触に、心臓が大きく跳ねる。
俺たちは、言葉もなく、ただ、互いの体温を感じながら、兄妹の後を追って一緒に走り出した。