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第3話 赤いマーカー

足元に落ちた赤い光を、最初はただの広告演出だと思った。

 夜の商店街に浮かぶ床ディスプレイは、季節ごとに模様を変える。桜の花びらや、ハロウィンのカボチャ。だがその夜に現れた赤い点は、どのイベントにも似つかわしくなかった。


 スバルは一瞬立ち止まり、周囲を見回した。人々は足元の赤い光を避けるように歩いていく。誰もそれについて口にしない。まるで存在を認めた瞬間、自分まで“対象”にされるとでもいうように。


 「ねえ……見た?」

 隣で小声を漏らしたのは、みゆだった。

 彼女の指先は震えている。

 スバルは頷く代わりに、彼女の手を握った。


 数歩先で、男が二人組の警備員に取り囲まれた。制服の胸に光るエンブレムは“都市警備隊”。男は足元の赤い点から動けなくなったように立ち尽くし、抵抗する素振りも見せなかった。

 人波は自然と割れ、静けさが生まれる。


 「歩きスマホをしましたね」

 淡々とした声が響いた。

 その言葉の次に何が起こるか、もう誰も知らないわけではなかった。


 銃声ではない。だが、それに似た乾いた音が夜気を裂いた。

 男は膝から崩れ、床に倒れ込んだ。呼吸をしているかどうかも分からない。だが、警備員たちはそれを確認することもなく、無線に短く報告してから担架に載せて運び去った。


 残されたのは、なおも赤く点滅する床の光。

 それが消えた瞬間、街は何事もなかったかのように動き出した。



 帰り道、二人はほとんど口をきかなかった。

 みゆの横顔は蒼白で、スバルは自分の喉が乾ききっているのを意識する。

 「偶然……なんだよな?」

 ようやく絞り出した声は、自分に言い聞かせるようだった。


 みゆは首を振った。

 「偶然じゃない。あの赤い光が——“選んだ”」


 部屋に戻っても、沈黙は続いた。テレビではニュースが流れていたが、どの局も同じ調子で「取り締まり強化の成果」を報じるばかり。街頭での取り締まりに抗議する声は、どこにも映っていない。

 スバルはリモコンを握りしめ、画面を消した。



 翌朝、大学へ向かう道で再び赤い点を見た。

 今度は知り合いだった。高校の同級生、山下。

 冗談ばかり言う彼が、青ざめた顔で立ち尽くしている。


 「おい、山下!」

 思わず声をかけかけて、スバルは息を呑んだ。

 周囲の人々は誰も助けようとしない。むしろ歩みを速め、視線を逸らす。


 警備員が近づき、決まりきった台詞を告げる。

 「歩きスマホをしましたね」

 山下は首を振り、必死に弁解していた。だが言葉は空気に吸い込まれるだけで、赤い点は消えない。


 次の瞬間、彼の身体ががくりと折れた。

 「——!」

 スバルは声を押し殺した。

 何が起きたのか説明できない。ただ、“見せしめ”が再び実行されたのだと理解した。


 みゆが袖を掴む。

 「行こう」

 彼女の声は震えていたが、強かった。

 スバルは視線を逸らし、足を前に出した。振り返れば、自分たちまで巻き込まれる気がした。



 夜、スバルは眠れなかった。

 天井を見つめながら、あの赤い点を思い出す。

 ただの光じゃない。誰かを示す“印”。

 まるで都市そのものが監視の目を持ち、誰を裁くか選んでいるかのようだった。


 「次は、俺たちかもしれない」

 口の中で呟いた言葉は、暗闇に沈んでいった。

 みゆの寝息が背後から聞こえる。彼女の肩を抱き寄せたい衝動を必死で抑える。

 不安を悟らせたくなかった。


 だが同時に、もう目を逸らせないと感じていた。

 赤い点滅は警告だった。

 ——お前も見ているだろう、と。

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