足元に落ちた赤い光を、最初はただの広告演出だと思った。
夜の商店街に浮かぶ床ディスプレイは、季節ごとに模様を変える。桜の花びらや、ハロウィンのカボチャ。だがその夜に現れた赤い点は、どのイベントにも似つかわしくなかった。
スバルは一瞬立ち止まり、周囲を見回した。人々は足元の赤い光を避けるように歩いていく。誰もそれについて口にしない。まるで存在を認めた瞬間、自分まで“対象”にされるとでもいうように。
「ねえ……見た?」
隣で小声を漏らしたのは、みゆだった。
彼女の指先は震えている。
スバルは頷く代わりに、彼女の手を握った。
数歩先で、男が二人組の警備員に取り囲まれた。制服の胸に光るエンブレムは“都市警備隊”。男は足元の赤い点から動けなくなったように立ち尽くし、抵抗する素振りも見せなかった。
人波は自然と割れ、静けさが生まれる。
「歩きスマホをしましたね」
淡々とした声が響いた。
その言葉の次に何が起こるか、もう誰も知らないわけではなかった。
銃声ではない。だが、それに似た乾いた音が夜気を裂いた。
男は膝から崩れ、床に倒れ込んだ。呼吸をしているかどうかも分からない。だが、警備員たちはそれを確認することもなく、無線に短く報告してから担架に載せて運び去った。
残されたのは、なおも赤く点滅する床の光。
それが消えた瞬間、街は何事もなかったかのように動き出した。
⸻
帰り道、二人はほとんど口をきかなかった。
みゆの横顔は蒼白で、スバルは自分の喉が乾ききっているのを意識する。
「偶然……なんだよな?」
ようやく絞り出した声は、自分に言い聞かせるようだった。
みゆは首を振った。
「偶然じゃない。あの赤い光が——“選んだ”」
部屋に戻っても、沈黙は続いた。テレビではニュースが流れていたが、どの局も同じ調子で「取り締まり強化の成果」を報じるばかり。街頭での取り締まりに抗議する声は、どこにも映っていない。
スバルはリモコンを握りしめ、画面を消した。
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翌朝、大学へ向かう道で再び赤い点を見た。
今度は知り合いだった。高校の同級生、山下。
冗談ばかり言う彼が、青ざめた顔で立ち尽くしている。
「おい、山下!」
思わず声をかけかけて、スバルは息を呑んだ。
周囲の人々は誰も助けようとしない。むしろ歩みを速め、視線を逸らす。
警備員が近づき、決まりきった台詞を告げる。
「歩きスマホをしましたね」
山下は首を振り、必死に弁解していた。だが言葉は空気に吸い込まれるだけで、赤い点は消えない。
次の瞬間、彼の身体ががくりと折れた。
「——!」
スバルは声を押し殺した。
何が起きたのか説明できない。ただ、“見せしめ”が再び実行されたのだと理解した。
みゆが袖を掴む。
「行こう」
彼女の声は震えていたが、強かった。
スバルは視線を逸らし、足を前に出した。振り返れば、自分たちまで巻き込まれる気がした。
⸻
夜、スバルは眠れなかった。
天井を見つめながら、あの赤い点を思い出す。
ただの光じゃない。誰かを示す“印”。
まるで都市そのものが監視の目を持ち、誰を裁くか選んでいるかのようだった。
「次は、俺たちかもしれない」
口の中で呟いた言葉は、暗闇に沈んでいった。
みゆの寝息が背後から聞こえる。彼女の肩を抱き寄せたい衝動を必死で抑える。
不安を悟らせたくなかった。
だが同時に、もう目を逸らせないと感じていた。
赤い点滅は警告だった。
——お前も見ているだろう、と。