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第八話 面倒

 カウンター席がレジから近いのもあってどうしてもバナさんと客とのやり取りは聞こえてくる。お酒を取り扱う店という事もあり、酔っ払い等は多いだろうから対応する方も大変だとしみじみ思う。


 話の内容を聞く限りでは客が現金を持っておらず、カードで支払うと強く主張しているようだが、『居酒屋立花』は今時珍しくキャッシュレス決済を導入していない。


 その代わりに料理やお酒を少しでも安く提供しようと努力してくれている。今回の客のように間違いがないように店の入口には現金のみと書かれた紙が大きく貼られているし、案内の時に注意として伝えている。


 それを聞いて尚、カードで払うと強調しているのならかなりタチの悪い客と言えるだろう。客とバナさんとの言い合いは客の方がヒートアップした事でより、激しくなっている。飲んでいるお酒も不味く感じる程に⋯⋯。


 ───まぁ、もう十分に食べたし飲んだ。会計を済ませて帰ろう。


 ビールを一息に飲んでから、席を立ちレジまで向かうとバナさんと客の言い合いが嫌でも聞こえてくる。


「何度も言っているだろう。私は今現金を持っていない。何時もなら札束を鞄に入れてあるが、怪人に───落としたのを忘れていた。代わりにカードならある!」

「うちはキャッシュレス決済を導入していないので」

「ならばそれは貴様たち貧乏人の落ち度であろう!私はカードで払うと何度も言っているだろう」


 近くまで来ると客の顔が見えた。頬が赤く染まっており、酒に酔っているのが人目で分かる。無茶苦茶は主張をしている事が分からない程酔っている? これで酔っていないのだとすれば、かなり面倒な人間だ。


 対応しているバナさんが可哀想になってくるな。一番手っ取り早いのは警察に通報する事だが、今から通報しても到着するまで10分程かかる。段々とヒートアップしていく客を見るに10分は長くないか?


 それに他のお客さんの視線もレジへと向かっている。全面的に客が悪いとはいえ、バナさんがレジの対応をしている為、料理やお酒の提供スピードは落ちてしまっている。待たされている客が不満に思うのもまた、仕方ない。


 バナさんには何時もお世話になっているし、明日はボーナスも出る。客が納得するか分からないが、俺がこの問題を治めて終わりにしよう。責任は取らすがな。


「おー、誰かと思えばお前か。ずいぶんと酔っているじゃないか」 

「ん!誰だお前は?貧乏人が話しかけるな」

「俺が誰か分からないくらい酔ってるのか、困った奴だな⋯⋯。すみませんバナさん。こいつは俺の知り合いなんですけど、お酒がめちゃくちゃ弱くて」


 ハハハと笑いながら俺に対してか、あるいはバナさんに対してか、どちらかは分からないが抗議しようと客が口を開いたので、肘打ちで黙らせる。

 痛みで悶えている間にバナさんにこいつの分まで支払いを済ませると伝えてウインクすると、俺の意図を察してくれたらしくそのまま会計に移った。


「すみません、うちのが迷惑をかけました」

「いやいや⋯⋯黒月さんにも悪い事したね」

「こいつが悪いので気にしないでください。しっかり反省はさせますので」


 また来ます、と言葉を残して迷惑客を肩に担いで店を出る。多少暴れたが、小言で『暴れたら床に叩きつけるぞ』と脅すと静かになった。


 店の外で騒がれても面倒なので、少し離れた所で下ろすのがいいだろう。客を担いだまま歩いている俺の頬を冷たい風が撫でる。お酒で火照った体には丁度いい気温だ。


 歩き慣れた道をしばらく歩き、ここなら大丈夫だろうと客を地面に下ろすと意外な事に何も言わなかった。代わりにまじまじと俺を見つめている。視線が鬱陶しいな。


「なるほど⋯⋯服装は妥協点だが、顔は合格だな」


 顎に手を当てて上から下までまじまじと観察した後の言葉がコレである。妥協点だとか、合格だとなんで迷惑客に採点されているんだ? 少しばかりイラっとしたのは仕方ないだろう。


「お前は一体、何を言っているだ?」

「私の隣を歩くのに相応かどうか判断している。貧乏人よ、誇っていいぞ。顔は私の好みだから許してやろう。服装は⋯⋯後で金持ちの私が買い揃えればいいだけの話だ」

「何を言っているんだ⋯⋯」


 ダメだ。こいつが何を言っているか理解できない。どうして、会計の時のやり取りからこんな思考回路になるんだ? やっぱり頭が可笑しいのかこいつは⋯⋯。バナさんには悪いが、関わるんじゃなかったと後悔した。


「何を?おかしな事を聞くな。お前は私の事が好きだから私を助けたんじゃないか?」

「助けた覚えはないぞ」

「助けたじゃないか!融通の効かない店員に困っていた金持ちの私の代わりに支払いを行った。これを助けたと言わずなんという」


 助けた相手はお前じゃなくてバナさんだよと、俺が訂正するより先に矢継ぎ早に言葉を続ける。


「私を助けたのはお前が私に好意を持っているからじゃないか?そうでなければ赤の他人の支払いを代行するなどという行いはしないだろう? つまり私が好きという事だ。

私もまた、助けられた手前その好意に向き合う必要があると考えた。支払い金額は金持ちの私からすれば微々たるものだが、私はお前の思いを受け取った。先も言ったが顔は好みだ。お前の好意を受け入れてやってもいいぞ。狂喜乱舞する事を許してやる」




 ───何 を 言 っ て い る ん だ こ い つ は。




「どうした?私がお前の好意を受け入れると言っている。好きな相手と結ばれたのだ、素直に喜んでいいぞ。

ん?引き攣った顔をしているが、嬉しくないのか?いや、そんな筈はないな。さては緊張しているな!身分違いの恋を実感し今になって怖気付いたのか?

なに、そんなに怖気付く事はない。晴れて私たちは恋仲となったのだ!お前一人に全て背負わせるつもりもない。恋人としてお前の事を支えてやろう。

さて、そうとなればお爺様にお前の事を紹介しなければいけないな。歳が歳なのもあり、私に何度も見合いを進めてきたんだ。恋人が出来たと知ればきっと喜ぶだろう。いや、お爺様の事を考えれば恋人ではなく婚約者として紹介する方がいいか!将来的には同じ結果になるんだ。婚約者として扱っても何も問題ないだろう。

さ、今からお爺様の元へ挨拶へ行こう。お前の⋯⋯ふふ、私とした事が名前を聞くのを忘れていた。悪い意味で捉えなくてもいい。名前という記号がなくても好合う事が出来るという証明でもある。私たちは愛で結ばれている訳だ。

さて、私も恋人の口から私の名前を呼んで欲しいと思っている。だからその口で愛おしく名前を呼ぶといい。

この私!九条院くじょういん優馬ゆまの名前を!

そして私に教えるといい。恋人───婚約者であるお前の名を!」



 ───頭が真っ白になった。


 途中からこいつが何を言っているのが理解出来ず、脳がショートしたのが自分でも分かった。

 『ベーゼ』に加入し、ボスやマッドサイエンティストといった変人共と出会い過ごしてきたが、ここまでぶっ飛んだ奴は初めてだ。


「さぁ、名前を教えてくれ。そして私の名前を呼んでくれ」


 カラーサングラス越しに映るアイシャドウの濃い大きな瞳。おかっぱ⋯⋯現代風に言うならおかっぱボブと呼ばれる栗色の髪。前髪を眉上でぱつんと切り揃えている事で特徴的な麻呂眉が良く映える。

 ファッションの事は疎いが、間違いなく高いという事は分かる。


 ───この目で良く刻んでおこう。こいつの名前という顔を。そして二度と会うことがない事を祈ろう。


 名前を名乗る事はせず、スーツのポケットに手を入れて隠し持っていた『超小型瞬間移動』を起動して俺は逃げた。


 移動する直前に見たあの顔。驚きと執着心が同時に浮かび上がっていた。


 どうして俺はこうもめんどくさい相手にばかり絡まれる。本当に嫌気がするな。人気のないアジトでため息をつくと、小さな音でもよく響いた。


 アジトが既に無人という事はマッドサイエンティストに治療の名目で捕まっていたウルフも帰ったのだろう。


「帰るか」


 いつまでもここにいても仕方ない。念の為、遠回りで家まで帰るとしよう。

















「あっ、黒月先輩、おかえりなさい 」


 自宅の扉を開けると何故かウルフ───夏目がいた。エプロンをつけて嬉しそう笑い、パタパタとスリッパの音を鳴らしながら駆け寄ってくる。


「ご飯はもう済ませてるんだろ?ならお風呂にするか?そ、それとも⋯⋯オレ様?」

「風呂にするよ」


 どうして俺の家に夏目がいるのか。家の鍵はどうやって開けたのか。色々と聞きたい事はあるが、今は風呂に入って気分をリフレッシュしたい。そういう気分だ。


「お風呂は準備出来ているからゆっくり入ってきてくれ。それとも、い、一緒に入るか?」

「好意は嬉しいが、一人で入る」


 恥ずかしそうにしている夏目の横を通ってリビングへ入ると、朝より部屋が綺麗な事に気付く。俺が帰ってくるまでの間に掃除をしていたのか?

 物の配置が変わっていないところを見るに、埃や汚れだけを拭き取った感じだな。


 後ろからパタパタと足音が聞こえ、夏目が近寄ってきたの分かった。


「掃除をしてくれたのか?」

「ん、あぁ!これからしばらくお世話になるから家事くらいはしないとって思ってな!」

「しばらくお世話になる?」


 掃除してくれた事に対する感謝は素直に出たが、その後に続いた夏目の言葉に脳が理解を拒否している。


 残念ながら聞き間違えでもないらしい。はにかみながら『これからよろしくお願いします』と頭を下げる夏目を見て、何もかもが面倒になった。

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