目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第4話 前編



ノアを失ってから数日。

王城の空気は重く、沈黙ばかりが広がっていた。



アゼルは口数を減らし、剣を振るう音だけが訓練場に響く。

怒りと悔恨を刃に叩きつけるだけの影を纏ってい

そんな彼を見て、兄弟たちは胸を痛める。


三男の静かな声に、末弟が唇を噛む。

彼らにとってアゼルは憧れであり、支えだった。

だが今や、その背中は遠く、痛々しく、触れれば裂けそうなほどに張り詰めている。



振るう剣には、怒りと悔恨しか宿っていない。

刃は虚空を斬り裂き、誰もいない敵を何度も切り刻む。

目の奥は暗く濁り、眉間には深い影が刻まれていた。


「……兄上、まるで――」

訓練場の隅で見ていたリアムが、かすれた声でつぶやく。


「昔に戻ったみたいだ」


レオンのその言葉に、誰も反論できなかった。


かつてアゼルは、“冷酷で残虐な騎士”と呼ばれた時代があった。

敵を切り伏せることに一片の迷いもなく、時には必要以上に血を流し、戦場で恐れられた存在。

それを変えたのはノアだった。彼女と出会い、初めて“守るための剣”を手に入れた。


――だが、ノアを失った今。


その温もりは剥ぎ取られ、かつての獰猛さが再び顔を覗かせていた。

剣を振るうたび、アゼルの周囲の空気は鋭さを増し、

近寄る者の心臓を鷲掴みにするような威圧が漂う。


兄弟たちは、ただ沈黙のままその背を見つめていた。

――止めなければ、アゼルは本当に“あの頃の怪物”に戻ってしまう。


「俺たちがやるべきことはひとつだ。……ノアを取り戻すために、情報を集める」


その言葉に、兄弟たちは顔を上げる。


「アゼルを守るのは俺たちの役目だ。あいつはきっと、自分を犠牲にしてでも突っ込む。

 なら、その前に俺たちが“道”を作る」


レオンたちはそれぞれの立場を活かし、魔塔にまつわる古文書、伝承、裏の情報網に手を伸ばし始める。


夜ごと、王城の一室で集まり、机の上には古びた地図や禁じられた文献が並んでいった。

紙に描かれた魔塔の構造は不完全で、穴だらけだ。

だが、その断片を繋ぎ合わせれば、必ずノアへ辿り着く手がかりになる。


「アゼルは……きっと、すぐにでも飛び込もうとする」

「だからこそ、俺たちが冷静でいなきゃならない」


彼らの胸にはひとつの決意が灯っていた。

――アゼルを孤独にしない。

――必ずノアを取り戻す。


血の繋がりだけでなく、同じ運命を背負った者として。











ノアが攫われてから、数日が経った。


だが――アゼルにとっては、

時間が止まったままだった。


あの夜のことが、何度も夢に出てくる。


手を伸ばした。

届きそうだった。

たった、あと数歩だったのに。


「……っく……ッ!」


夜な夜な、アゼルは一人で剣を振り続けた。

手にできるものが剣しかなかったから。

何も壊せず、誰も守れなかった自分を、責め続けた。


昼は騎士の任務。

魔物討伐、村の警備、潜入調査。


だが、以前とは違っていた。


容赦するなんてしない。


敵を“殺す”ことに一切のためらいがなくなっていた。

容赦も、警告も、もう与えなかった。


「アゼル……やりすぎだ」


レオンが言っても、アゼル黙って睨むだけだった。

怒りでもなく、悲しみでもない。

ただ、冷たい沈黙だった。


ノアがいなくなった城は、どこか“静か”だった。


彼女が笑った場所。

手を握ってきた時の温度。

走って逃げて、アゼルの後ろに隠れたあの日々。


それが、すべて空虚に変わっていた。


そんなアゼルに、唯一声をかけたのは――リアムだった。


「アゼル兄……ノア、戻ってくるよ。

……あの子は、俺たちにちゃんと“また会える”って言ってくれた。

絶対、諦めてない」


その言葉に、アゼルはようやく目を閉じる。


「……なら……

あいつが“壊される前に”取り戻さなきゃな」


そして今、アゼルは共に

“魔塔”の情報を集めていた。


魔塔の謎

・魔塔は王国の先、灰の地の奥、死の森を抜けた先にある古代の遺構。

・古の魔導士たちが封印した“創造の魔法”を研究する場所だった。

・300年前に塔ごと封印されたはずだったが、何者かが復活させた。

・侵入は不可能に近いが、「一定の魔力を持つ者」を通じて転移が可能。


「なら、ノアを通して、こっちから潜入する手段も……」






「無理だ」

低く、押し殺した声。

それだけで、場の空気が凍りついた。


剣を振るう時のように、アゼルの言葉には一切の揺らぎがない。

だが、その奥には――怒りだけでなく、血の味がするような苦さと、焼けつくほどの悔恨が滲んでいた。


「……ノアにこれ以上、“入口”なんて役割を背負わせない。」


皆は息を呑んだ。

目の前にいるのは、かつて冷酷無比と恐れられた“騎士”の面影に近い。

けれどそこに宿るのは、ただの“怒り”ではなかった。


――これは、哀しみを知る者の、揺るぎなき決意。


誰も言葉を挟めなかった。

その決意があまりにも重く、そして痛ましかったからだ。



王国では、攫われていた人々の救済が始まっていた。

子供たち、痩せ細った魔物たち――みな心と身体に深い傷を負っていた。

目の光を失い、自分が誰であるかすら思い出せない者もいた。


その光景を、アゼルは一歩も引かずに見つめ続けた。

かつての彼なら、感情を切り捨て、ただ「現実」として処理したかもしれない。

だが今は違う。


彼は毎晩、回復室の前に立ち続けた。

眠ることも、語ることもなく。

扉の向こうで横たわる仲間や子供たちを、ただ黙って見守った。


時折、手が震えることがあった。

その震えを剣の柄を握ることで必死に誤魔化しながら。


できることは一つしかない。

「二度と、誰も攫わせない」

その誓いを、何百回でも心の中で繰り返すこと。


まるで、自らを縛る鎖のように。



レオンたちは知っていた。

アゼルがこうして言葉少なに佇む時、彼の中では冷たい氷と熱い炎がぶつかり合っているのだと。


怒りに呑まれれば、かつての冷酷な騎士に戻ってしまう。

だが氷の奥で、確かにまだ灯っているものがある。


――『あの子が、また笑えるように』。


それが、アゼルを“人間”の側に留めている、ただひとつの願いだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?