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第3話 後編

夜の空気は、異様なほど静かだった。

風もなく、月も雲に隠れている。


城下町を巡回していた兵士たちは、誰もが同じ違和感に眉をひそめていた。

――鳥の鳴き声ひとつしない。


「……おかしい。いつもなら、この時間は鳥の声が聞こえるはずだ」

小さく漏らした兵士の声が、やけに響く。


その頃、城の最上階に設置された防御結界の魔導盤が、不気味な振動を始めていた。

赤い光が淡く点滅し、やがて刻印の一部が音を立てて欠け落ちる。


「報告しろ! 結界が揺らいでいる!」



城内にいたアゼルもすぐにその異常を察した。

胸騒ぎに駆られ、剣を手に取る。


「……来るか」


彼の直感に呼応するかのように、ノアの耳にもまた、あの声が囁いた。


――たすけて。






王国を包む防御結界が、音もなく砕け散った。


そして、空が赤く染まる。


警報の鐘が鳴り響いた瞬間、

空中にいくつもの黒い“裂け目”が現れた。


そこから降り立ってきたのは、

黒いローブを纏った魔塔の使徒たち。


「ようやく会えたな、“最高の素材よ”」


先頭に立つ男が、そう口にしたとき――

ノアの心臓が凍りついた。


「……誰?」


ノアの問いに、男は冷たく笑った。


「お前は、最高の素材になる。」



その瞬間、男の背後の闇がぐにゃりと揺れ、そこから“それ”が這い出した。


融合体。


歪んだ魔力で強引に縫い合わされた存在。

幾つもの口が、悲鳴とも嗚咽ともつかぬ声を上げていた。

その声は耳ではなく、頭の奥に直接響き渡る。




叫び声のような、泣き声のような、声を上げてうごめく。


「やめて……」


ノアの声が震える。


それが――“助けて”と叫んでいた声の正体だった。


「この子たちは……」


「そうだ。“進化の材料”だ。実験を繰り返した。

 君の力と、彼らの命が合わされば、

 “完全な魔法生命体”が生まれる。

 ――君の存在意義はそこにある」


バカにするような口調。

すべてを“実験”と呼ぶ冷たさ。


だがその時。


「ふざけるな!!」


アゼルの怒号が響き、次の瞬間には剣が閃いた。


剣と魔力がぶつかり、衝撃波が広場を割る。

騎士たちが次々と集まり、レオンたちも前線に立つ。




レオンとエリオとセリスは即座に結界を張り直し、

カイルは前線で剣を振るう。


だが。


融合体の力は異常だった。

一体一体が強すぎる。

そして、どの個体も「人の意識」をかすかに残している。


だからこそ、攻撃するのがためらわれる。


アゼルの目がノアを見た。


「ノア、お前は……どうする」


ノアは震えながら、でも前に出る。


「……たすける」


涙を流しながら、彼女は手を前に差し出す。


「この子たちは……“たすけて”って、いった……」


空気が震える。

ノアの魔力が、暴走ではなく、

“意思”として発動する。


彼女の魔法が融合体を包み、

それは苦しみながらも、静かに動きを止めた。


――


「なら――俺が斬るのは、

 お前を傷つけようとする奴だけだ」


魔塔との戦いは、ここから始まる。

王国の中まで入り込んできた“敵”に、

いよいよ全面対決の火蓋が切って落とされた。




戦場に響いていたのは、剣と魔法の音だけじゃなかった。


――たすけて。


――いやだ……まだ生きてるのに……


――いたい……こわい……まま……


――もりに……かえりたい……


ノアの頭の中に、次々と声が飛び込んでくる。

それは人の子の泣き声と、魔物の呻きが混じり合ったもの。

怒りも悲しみも、渇望も絶望も混ざり合い、境界が曖昧だった。


融合体たちの中に、確かに“子供”の意識が残っている。

そして魔物もまた、無理やり引き裂かれ、繋ぎ合わされる前は――

ただ森に、自然の中に、静かに生きていたはずの存在だった。


「……助ける……助けたい……!」


ノアが両手を前に広げ、力を放とうとしたときだった。


空を裂くように、冷たい声が響いた。


魔塔の使徒――黒衣の男が、指を鳴らした。


その瞬間、背後の“裂け目”から、ずるり、と音を立てて影が這い出す。

そこから引きずり出されたのは、十数人の子供と、何体もの魔物だった。


彼らは目隠しをされ、手足を鎖で繋がれ、抵抗する力もなく引きずられていく。

幼い体は痩せ細り、皮膚は血の気を失い、骨ばった四肢が震えていた。

喉は声を上げることすら許されなかったかのように枯れ果て、唇はひび割れている。


魔物たちも同じだった。

羽を持つ獣は羽根を毟られ、森に棲んでいた精霊獣は角を折られ、どれも見る影もないほどに衰弱していた。

かつて誇り高く自然の中で生きていたはずの存在が、ただ“材料”として弄ばれた結果だった。


子供のひとりが、目隠しの下から涙を流し、震える唇でかすかに呟く。


「……もういやだ……こわいよ……」


別の子が、鎖を引きずられながら弱々しく叫ぶ。


「……もりに……かえして……」


その声は、ノアの胸を貫いた。

融合体の悲鳴と同じ。

彼らはまだ生きていて、まだ“助けを求めている”。





「今ここでお前が余計なことをすれば――」

男の指が、子供の細い首元に軽く触れる。

その仕草は、あまりにも残酷で、遊ぶように無邪気だった。

「一瞬で処理できる」


ノアの目が見開かれ、呼吸が乱れる。

膝が震え、足元の石畳に力が入らなかった。


「……やめて……!」

声は掠れて、必死に絞り出した声は、相手の冷笑にかき消された。


男は楽しげに口角を上げ、わざとゆっくりと告げる。

「ならば――

 お前が我々に、素直についてくるなら……

 この子たちは“解放”してやろう」


その言葉と同時に、空気が張り詰める。

兵士たちの剣先は震え、兄弟たちも拳を握り締めたまま動けなかった。

時間そのものが、冷たい鎖で縛られたように止まってしまった。


ノアの指先で光が弾けかける。

けれど放たれる前に、その魔法は吸い込まれるように消え、ただ淡い残光だけを残した。


かすかな息の音が聞こえる。

拘束された子供たちの喉から、か細い呼吸がもれる。

その合間に、呻き声とすすり泣きが交じり、ノアの鼓膜を焼いた。

魔物たちの荒い息遣いも重なり、苦しみが伝わってくる。


「……こんなの……」


ノアは唇を噛み、視線を落とす。

胸の奥で、どうしようもない葛藤が膨れ上がる。


自分が力を使えば――子供たちは容赦なく殺される。

何もしなければ――永遠に苦しみ続ける。



ノアの喉から、言葉にならない悲鳴が漏れた



「アゼル……わたし……」震える声でアゼルを見た。その目は、今までで一番迷っていた。


アゼルは剣を強く握りしめる。胸の奥に走る、嫌な予感。彼女が何をしようとしているのか、瞬時に悟ってしまった。


「ノア……まさか……!」


アゼルは叫んだ。頭の中で、ノアの選択を想像してしまう。

彼女が自分を差し出すことで、すべてを救おうとする未来を。


「ノア、考えるな! お前が犠牲になる必要なんて、どこにもない!」


けれどノアは、静かに目を伏せる。その瞳に宿る決意を見て、アゼルはさらに焦りに駆られた。


「頼む、やめてくれ……!」


アゼルは剣を握りしめながら、必死にノアへと手を伸ばす。だが、彼女の心はもう揺らいでいなかった。



ノアは、ふらりと一歩、前に出た。

誰も止められなかった。


ただ、ノアは笑っていた。

泣きながらーーけれど、静かに笑っていた。


「わたしが……いけば、たすかるの?」


「もちろん。

君の価値は、我々が一番よく知っている。

お前がいれば、完全な存在が完成する。

……君は“救い”になれる」


ノアの足元に、

ぽとん、と涙が落ちた。


――


たすける……だれも……ころさせない……


アゼルが叫ぶ。


「ノア、やめろ!! 行くな!!」


でも、ノアは振り返らなかった。


そして――男の前に立ち、静かに頷いた。


「はなして。

この子たちを……」


魔塔の使徒は満足そうに指を鳴らす。


囚われていた子供と魔物たちは、解放された。

魔法の鎖が消え、気を失ったまま地面に崩れ落ちる。

急いでセリスとリアム、騎士団の人たちが駆け寄る。


アゼルがノアのもとに駆け寄ろうとした――その瞬間。


空間が裂けた。


ノアと魔塔の男の周囲に、

異次元のような黒い渦が広がり、

アゼルの手は、あと少しのところで届かなかった。


「ノアアアアアアアアアアア!!!!」



その叫びに――

ノアが、ふと、振り返る。


闇の中で、光に包まれたように微笑むノア。

その目には、一筋の涙が伝っていた。


「……ずっと、隣でいるって、約束したのに……守れなくて……ごめんね」


けれど、泣きながら、微笑んだまま――その声は、震えずに届いた。


「……でも、きっと、また会えるよ」


そして、彼女はアゼルに小さく手を振った。


「だいすきだよ」


次の瞬間、闇がノアを包み込み、その姿は、光の中に――消えていった。


アゼルの手は空を掴み、その場に崩れ落ちた。


剣も落ちる。

声も出ない。

ただ、静かに、彼は唇を噛み締めていた。


――もう二度と、彼女を奪わせないと。


ノアの言葉と微笑みは、アゼルにとって救いであり、呪いでもあった。


彼女が“誰かを助けるために消えた”ことが、彼の心を深く、焼きつけた。





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