その知らせが届いたのは、
穏やかな朝の、朝食中だった。
普段アゼルは騎士団の食堂で食事をとっているがここ最近は、ノアと一緒にレオン達と食事をしている。
「……村が一つ、まるごと消えた?」
レオンが読み上げた報告書に、場の空気が一変する。
「昨夜の時点で、村ごと消息不明。
人も、魔物も……誰ひとり残っていない」
アゼルが眉をひそめ、
ノアも、ふと手を止めて顔を上げた。
「周囲に異常な魔力の痕跡が残っていた。
分析の結果……“魔塔”の術式と酷似している」
レオンの声が冷静に響く。
“魔塔”――それは、王国から外れた、
誰も近づかない“禁忌の地”にある塔だった。
何百年も前に封じられたはずの場所。
だが、今――その封印は意味をなしていない。
セリスが震える声で言った。
「……まさか、本当に動き始めてるの……?
魔塔の連中が……人を攫ってるの?」
アゼルが低い声で問う。
「さらわれた村人たちは……?」
「……おそらく、生きている。
だが、魔塔に連れていかれたら……助け出すのは難しい」
そう口にしたレオンの手には、
古い文献の写しが握られていた。
“魔塔”に関する禁書には、こう書かれている。
――塔に捕らえられし者は、
肉体も魂も、術の糧に変えられる。
消えることはなく、ただ“壊れる”。
食堂に沈黙が落ちた。
その静寂を破ったのは、カイルの拳が机を叩く音だった。
「……そんな場所に、俺たちの民を渡せるか」
誰よりも早く立ち上がったのはアゼル。彼の瞳は、鋭く決意に満ちていた。
「行く。奴らを止める」
「アゼル……!」
エリオが止めようとするが、アゼルは振り返らずに言った。
「陛下には俺から報告する。
その上で、選ばれた者だけを連れて、魔塔の周辺へ調査に出る」
レオンが重く頷いた。
「我らの民を守るために。必要な戦いだ」
その時、ノアも静かに立ち上がる。
目を逸らさず、アゼルを見上げた。
彼はノアを見つめ返す。
言葉にしなくても、ノアが“行く”と言っているのがわかった。
アゼルはしばらく黙ったあと、
ほんの少し口元を緩めて言った。
「……行くなら、俺の隣だ。
二度と一人にはさせねぇ」
ノアは強く頷いた。
――今度は、守る。
たった一人の少女が、
恐れを越えて歩き出した。
その先にあるのは、
新たな闇。
そしてその奥に潜む、魔塔の“主”だった。
魔塔の存在が明るみに出てから、二週間が経った。
その間、城では何度も会議が開かれた。
アゼルやレオンが中心となり、各地に斥候を送り出し、村や町の防備を固める。
だが――
「塔への直接介入は許可できない」
陛下の決断は変わらなかった。
理由は、魔塔が“古代の結界”によって守られているためだった。
下手に近づけば、侵入者の命が一瞬で消し飛ぶと言われている。
さらに、魔塔の魔力圏内では一切の通信が遮断される。
「突入しても、生きて帰れる保証がない」
そうレオンが静かに言うとき、アゼルは悔しさを隠しきれず拳を握りしめた。
陛下はそれでも、冷静だった。
「今は……焦るな。
奴らが表に出てきた瞬間を、絶対に逃すな」
⸻
そんなある日。
王国南部の村から、妙な報せが届いた。
「子供と……魔物だけが、いなくなっている……?」
レオンが眉を寄せた報告書を手にする。
被害にあった村は、3つ。
どの村も大人は無事。
だが、5歳~12歳前後の子供たちと、
その土地に共存していた魔物だけが跡形もなく消えている。
痕跡はなし。
襲撃の兆候もなし。
ただ“消失”。
「どういうことだ?今度は大人は無事………」
カイルが低く唸る。
「魔物だけじゃなく、子供……?
生け贄か……? いや、違う……」
セリスが不安そうに震える声で言う。
「……なんで子供だけ……?」
ノアもその報告を聞いて、
そっと胸に手を当てる――。
何かが――うっすらと心に引っかかっていた。
そしてその夜。
リアムがノアの部屋を訪ねて、不安そうに囁いた。
「……魔物って、ノアと同じ“魔力のにおい”がするんだって。
もしかして、それが……」
ノアの表情が少し強張った。
子供と魔物。
無関係に見える2つの存在。
けれど――
もし、魔塔が求めているのが“純粋な魔力”を持つ存在だったとしたら?
ノア自身も、その標的になり得る。
それを、誰よりも早く察していたのがアゼルだった。
「お前も、気づいてるんだろ」
ノアは黙って頷く。
――
「……だから今は、俺から離れるな」
「絶対に……次に狙われるのは、お前かもしれねぇ」
平穏だった城の中に、
じわじわと不安と緊張が満ちていく。
直接手を出せない魔塔。
それでも確実に、王国へと牙を伸ばしてきている。
そしてある夜――
王国の“平和”は、
確実に崩れ始めていた。
――
◇ 深夜の囁き ◇
その夜。
ノアは一人、ベッドの中で目を開けていた。
眠れない。
胸の奥がざわざわして、息が苦しい。
そんな時だった。
――たすけて。
「……え?」
かすかな、少女の声。
耳ではなく、頭の中に直接響いてくる。
――こわいよ。たすけて。
ノアは胸を押さえて起き上がる。
声は、悲しみと恐怖に満ちていた。
でも、どこかで確かに“生きようとしている”声だった。
ノアは部屋を飛び出した。
向かったのは、アゼルの部屋。
ノックもせずにドアを開けると、
ベッドに横になっていたアゼルが顔を上げた。
「……どうした」
ノアは、震える声で話した。
「こえ……きこえた……たすけて、って……」
アゼルの表情が一瞬で鋭くなる。
「いつからだ」
「いま……さっき……」
アゼルはすぐに立ち上がり、ノアの肩に手を置いた。
「落ち着け。
何かが……起きる」
彼の目には、確かな直感と覚悟があった。
「何があっても俺のそばを離れるな」
ノアは小さく頷いた。
不安な日々か続いた。