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第5話 前編

冷たい鎖の音が響く。

目隠しをされたノアは、強引に引きずり出された。


外気に触れた瞬間、鼻を突くのは血の匂い。

見えなくても、そこが“人の場所ではない”ことを直感する。


やがて布が外され――目に飛び込んできたのは、

黒々とそびえ立つ石の塔。



「……ここが……」

ノアは喉を震わせた。



後ろから押され、足を踏み入れた瞬間、

全身を締め付けるような重圧が降りかかる。

魔法を封じる結界が、骨の髄まで食い込んでくるようだった。


奥から現れた研究者が、不気味な笑みを浮かべる。


「やっと手に入った……“本物”の器だ」


子供たちの泣き声が遠くから響いていた。

その声に導かれるように、ノアは自分の立つ場所を理解する。


――ここは、絶望の巣。

二度と陽の光が届かない場所。


けれどノアの胸に宿ったのは、恐怖だけではなかった。

震えながらも、彼女は強く唇を噛みしめた。


「……わたしが、守らなきゃ」




薄暗い石牢。

鉄格子の向こうには、震える子供たちと、傷だらけの魔物たちが押し込まれていた。

小さな嗚咽と、弱々しいうめき声が重なり、空気は絶望で満ちている。


そんな中、鎖で繋がれたノアが、ゆっくりと膝をついた。

自分も疲弊しているはずなのに、彼女は微笑みを浮かべて言った。


「……大丈夫。……わたしが……いるから」


子供たちが顔を上げる。

大きな瞳には涙が揺れていた。


「でも……怖いよ……痛いの、やだよ」

「みんな……消されちゃうって、言ってた……」


ノアはその小さな手を、そっと自分の手で包み込んだ。

指先は震えていたが、声は驚くほど穏やかだった。


「……消えさせない。

……だって、絶対に……わたしが外に連れ出すから」


魔物たちも、耳をぴくりと動かす。

傷つき、鎖に繋がれたその瞳に、かすかな光が戻る。


ノアは一人ひとりに視線を合わせながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ここは怖いところだけど……わたしと一緒なら大丈夫。……

必ず……光の下に戻れる……

だから……泣かないで。

……その涙……外に出た時の“嬉しい涙”に……取っておこ?」


子供たちは涙を拭い、魔物たちは静かに喉を鳴らした。

ほんの少しだけ牢の空気が変わった。


そしてノアは心の奥で強く誓う。


――必ず、守り抜く。

たとえ自分ひとりが残されたとしても。





ギギ……と重い扉が開く。

黒衣の研究者たちが無機質な目で牢を覗き込み、無造作に子供や魔物を指差した。


「……こいつと、あれと……ついでにそこの二匹もだ」

「実験材料にはまだ余裕がある。早く連れて行け」


鎖の音とともに、子供たちが恐怖に震える。

「やだ……やだよ……!」

「いやぁ……行きたくない……!」


魔物たちも低く唸るが、力尽きて抗えない。

研究者が冷たい手で子供の腕を掴んだその瞬間――


「待って!」


ノアが鎖を引きずりながら前に出た。

彼女の瞳は揺らぎもせず、まっすぐに研究者を射抜いていた。


「その子たち……放して。

……わたしが……全部受ける!」


牢の中が静まり返る。

子供たちの泣き声すら止んだ。


研究者の目が細められる。

「……全部、だと?」


ノアは息を呑み、それでも声を震わせず言い切った。


「……どんな実験でもいい……

だから……この子たちに……二度と触らないで」


鎖に繋がれた身体をかばうように広げ、子供たちと魔物の前に立つ。

その背は小さくても、決して退かない盾のようだった。


「……無謀だな」

研究者の口元に、嘲笑が浮かぶ。


だが子供たちは震える手を伸ばし、ノアの背を掴んだ。

「……だめだよ……!」

「いっちゃやだ……!」


ノアは振り返り、微笑んだ。

その笑顔は泣きそうに歪みながらも、どこまでも優しかった。


「……大丈夫……

わたし……が受ければ……みんなは守れる」


――その瞬間、彼女は牢の中の全員にとって、唯一の希望になった。



その瞬間から、ノアの地獄の日々は始まった。




鉄の台の上。

無数の魔法陣が刻まれた拘束具が、ノアの四肢を締めつけていた。

血のにじむ腕、焼け焦げた皮膚、途切れ途切れの呼吸。


「……まだ、動ける……」


唇を噛みしめ、彼女は意識をつなぎ止める。

魔力を限界まで搾り取られ、体内の血管が焼けるように痛む。

それでも彼女は決して悲鳴を上げなかった。


――自分が泣けば、子供たちがもっと怖がるから。


冷たい視線をした研究者たちが、書き物を続けている。

「魔力抵抗値、予想以上に高いな……」

「これなら、次の融合実験の母体としても使えるかもしれん」


ノアは震える指先を握りしめ、心の奥で必死に繰り返す。

(大丈夫、大丈夫……わたしが全部受ければ、みんなは……)


その時だった。

――研究者たちが別室に呼ばれ、実験場から数人が出て行った。


ほんの一瞬。

監視が薄れる。


ノアの呼吸が荒くなる。

「……今しか……ない」


全身の魔力をかき集める。

焼けるような激痛が走り、意識が飛びそうになる。


けれど彼女は、牢に繋がれた子供たちと魔物の怯えた瞳を思い出した。


――「大丈夫……守る」


その約束を胸に、ノアは小さく震える手をかざした。


「……転移魔法」


檻を縛る鎖が軋み、空間が裂け、眩い光が牢を包み込んでいく――。




檻が開き、空間が裂け、

魔塔の外へと導かれる。


逃げる子供たちを見ながら、

ノアは最後に笑った。


――「……絶対、外に……出してあげるね」


そして、彼女は一人その場に残り、

魔塔の奥、さらに深くへ連れて行かれた。











冷たい床。

染み付いた血の匂い。

何度も吐いた。

隠れて泣いた日も、あった。


でももう、涙は出ない。


「……始めるぞ」


無感情な声とともに、器具が並べられる。

目隠しをされたまま、ノアの手足は拘束される。


剣。焼き鏝。注射針。

何もかもが、痛みを“探るための道具”。


「“蘇生魔法”を使える可能性があると仮定する。

限界まで殺してやれば、本能的に発動するかもな」


実験員が笑った。

乾いた、まるで“人間じゃない”音だった。


ノアは何も言わない。

声を出したら、壊れてしまいそうだった。



焼かれる。

裂かれる。

潰される。

痛みはもう、日常だった。


でもそれ以上に――


“絶対にこの力を見せちゃいけない”


それだけが、ノアの中で燃えていた。


逃がした子たちは、もうここにはいない。

でももし自分の力がバレれば、

また新しい子たちが“捕まえられる”理由になってしまう。


――「あの子は蘇生魔法を持ってる。

   あいつの血を使えば、また新たに色々実験しがいがある。」


そう言われたら、また“連れ戻される”。

だから――ノアは絶対に力を使わなかった。


痛くても。

死にかけても。

気を失っても。


意識を繋ぎ止めて、

“死んだふり”すら覚えた。


ある日。

実験室の記録官が呟いた。


「毎回ギリギリで生きてるが……

 本当に、ただの高魔力個体か?

 蘇生能力があるなら、もっと目立つ反応があってもいいが」


「まぁ、いずれ分かるだろ。

 限界まで壊せば、本性が出る」


その言葉に、ノアは歯を食いしばる。


(……出さない……)

(誰がなんて言っても……絶対に……)


何もかもが痛くて、

何もかもが怖いけど、


それでも心の奥で、ひとつの光を守っていた。


アゼルの声。

「もう、離さない」って言ってくれた声。


その声だけが、

ノアの“壊れそうな魂”を繋ぎ止めていた。


――誰にも見せないまま――

まだ奥底で、静かに燃えている。


その時が来るまで。

ほんとうに“誰かを救う時”が来るまで。








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