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第5話 後編

その夜――アゼルは眠っていた。

いや、眠ってしまった。

疲労と悔恨が心を飲み込んだ、久々の夜。


静かだった。


空は黒い霧のように、何も映さない。


だがその中で――


声が、した。


――「……ゼル……アゼル」


懐かしい響き。

やわらかく、でもどこか震えている。


――「……ここにいるよ……ずっと、ここに……」


アゼルの心臓が跳ねる。

どこか遠くで、小さな光が揺れている。


――「助け……皆に会いたいよ……」


空間が歪む。

強い魔力が引き寄せられるように、



そこは、重く湿った空間。

天井も壁も石でできた、地下のような部屋。


魔力の封じられた紋章。

錆びた鉄の鎖。

血の滲んだ床。


その中心で――


ノアが、鎖に繋がれていた。


服は破れ、体中に傷。

片目が閉じられ、唇は青白い。

けれど――それでも、彼女は微笑んでいた。


「……だいじょうぶ……私は、待てるよ……」



その光景に重なるように、アゼルの脳裏に“過去”が流れ込む。


まだ塔の侵攻が始まった直後。

ノアは、必死に子供たちの前に達守ろうとしていた。

追っ手の使徒が迫る中――最後の力で、子供たちを外の光へと押し出した。


「走って……振り返らないで……!」


叫んだその瞬間、背後から鎖が飛び、彼女の四肢を絡め取った。

冷たい鉄が肉に食い込み、ノアは石床に引きずり倒される。


逃げた子供たちの声が遠のく。

暗闇の奥から、嗤う気配が忍び寄る。


血に濡れながらも、ノアは顔を上げ、最後に小さく呟いた。


「……お願い……守って……」


――その祈りと共に、鎖は彼女を闇の中へと引きずり込んだ。



再び、現在の幻影。

アゼルの脳裏に、“場所”が浮かび上がる。


灰の地を通り死の森の奥。

かつて封印された、塔の影が落ちる場所。


今まで何度も探しても見つからなかった“魔塔への侵入口”。


それが、はっきりと見えた。


――「いつかきっと、……迎えに……来て……信じてる……アゼル……」


彼女が最後に呼んだその名で、

アゼルの目が、ぱちりと開いた。






夜明け前。


アゼルはすぐに陛下とレオンたちを集めた。

まだ誰も目を覚ましていない時間。

だがその目には、もう迷いがなかった。


「……ノアの声を聞いた。

場所も見た。魔塔への入り口の座標が――浮かんだ」


誰も笑わなかった。

誰も疑わなかった。

そこにいた全員が、同じ思いで立ち上がった。


レオンは剣を腰に差しながら頷いた。


「夢ではない。

お前が繋がっているなら、それは“導き”だ……迷う理由はない。

俺たちは家族を守るために剣を持ったんだ。

――必ず取り戻す」



豪快に机を拳で叩きながらカイルが話す。「よっしゃあ!あの魔塔、ぶっ壊してノアを連れ帰ってやる!待ってろ、ノア!」



眼鏡を押し上げ、冷静に地図へ視線を走らせるエリオ。

「……魔塔の構造、記録は曖昧だ。

だがアゼルの“視た座標”をもとに作戦を立てれば勝機はある。

合理を捨ててでも、今回は必ず成功させる」



普段は温厚なセリスでさえも声をあげた。

「……あの子をっ……そんな場所に一人で置いておけない!

今度は私が……絶対に守る!」



まだ幼さの残る声で、それでも必死に強がるリアム。

「僕だって戦う! 兄さんたちだけに任せない!

ノアは僕の命を救ってくれた……だから、必ずず助けるんだっ!」




剣の柄を握り締めながら、低く。

「……ノア。

今度は俺が選ぶ。

お前を助けるためなら、世界を敵に回しても構わない」





アゼルと兄弟たちの決意を聞いた国王は、しばし沈黙した。

重い空気を切り裂くように、低く力強い声が響く。




「……お前たちの目に迷いはないな。

父としては、子を戦場に送り出すなど心が裂ける思いだ。

だが――王としては誇らしい。


ノアは王家の家族だ。その命を取り戻す戦いこそ“正義”だ。


行け、我が息子たちよ。

恐れるな、退くな。

この王国すべてがお前たちの背を押すだろう。アゼル息子達を頼んだ。」



兄弟たちは膝をつき、同時に答えた。


「はっ――!」


その声が、王城の石壁を震わせるほどに響き渡った。



こうして、魔塔奪還作戦は密かに動き出す。


この先に何が待っていようと、彼らの心はただひとつ。


――「たった一人を、必ず救う」


それは王国騎士たちの戦いではなく、ひとりの少女の、

「待っている」想いへの、誓いだった。

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