気づけば幸太郎は、図書館の中に戻っていた。手の中の本は、静かに閉じられていた。
「いまのは、なんだったんだ?」
だが、手は汗ばみ、鼓動は異様に速い。確かにあの場所にいたという実感だけが、身体の中に焼きついていた。
そのとき、奥の棚の隙間から、誰かがこちらを見ていた気がした。黒衣をまとった女のような影が、すっと姿を消す。
やっぱり、ここは只の図書館じゃない。
幸太郎は、本をそっと棚に戻し、ふたたび静かな空間に目をこらした。そうしながら、さっきの体験について逡巡する。ただの夢だとは思えない現実感があった。選民、記録削除って言葉、それに翔は死んだはずだ。この図書館には、絶版書として過去が保存されている。その過去が今、幸太郎には違和感として襲いかかってきていた。
幸太郎は、再び図書館を訪れていた。
あれから数日、現実の世界に戻った幸太郎は、どうしてもあの体験を「夢」と割り切れなかった。スマホに記録したはずの写真は真っ黒に潰れ、メモしておいた図書館の所在地さえ、地図から消えていた。だが、体に残る感覚だけは確かだった。あのとき会話を交わした春田翔の声、街に掲げられていた「選民法」のポスター、そして“記録削除”という不穏な言葉。
「やっぱり、俺は“何か”を見たんだ」
そう確信した幸太郎は、再び木造校舎の奥へと足を踏み入れたのだ。
今日も館内には誰もいない。だが、どこか違和感があった。照明が消え、空気が澱んでいる。棚の配置すら、微妙に変わっている気がした。まるで、図書館そのものが“生き物”のように、日ごとに形を変えているようだった。
棚の奥へと進むと、一冊の本が勝手に床へと落ちた。拾い上げると、表紙には焼け焦げたような跡があり、タイトルは判読できない。ただ、見開きの最初のページに、こう記されていた。
「記録削除者はあなたの後ろにいます」