床には、さっき拾った本が焦げ跡を残して横たわっている。ページの一部が焼け、かろうじて読める言葉があった。
「記録削除者は、歴史を正すのではなく、“特定の記憶”を抹消する。
その対象は、優生データベースから外れた“不適格者”の記録である」
幸太郎は、息を飲んだ。
優生データベース?
不適格者?
つまり、削除されているのは「不都合な真実」などではない。この社会にとって「遺伝的に価値がない」とされた人々の人生そのものということか。そのとき、幸太郎のスマホがかすかに振動した。
画面には、“連絡先にない番号”からの着信。だが、どこか懐かしい番号のような気がした。恐る恐る応答すると、微かに聞こえたのは、あの少女の声だった。
「あなた、覚えてるんだよね? 私たちのこと」
ぶつっと通信が切れる。幸太郎は、ふたたび図書館の奥を見つめた。そこには、棚の隙間から黒衣の影"彼女”が、静かに立っていた。
その図書館には、奇妙なうわさがあった。
「絶版された本を読むと、自分の歴史認識が書き換わる」
それは、ただの都市伝説ではなかった。幸太郎は、その事実をすでに体で知っていた。目の前に立っていた少女は明らかに前回見た少女と同一人物だった。年齢も服装も違う。ただ、眼差しに宿る「記録の重み」は変わらなかった。
「やっと、ここまで来たんだね」
そう口にした彼女の声は、まるで深い井戸の底から響くようだった。
「君は誰なんだ。俺の記憶にずっといた気がする。でも、思い出せない」
「思い出せないように、されてるのよ。私だけじゃない。この国の人、みんなそう」
彼女はゆっくりと、本棚の奥へ進む。まるで迷路のように入り組んだ通路を通り抜け、鍵のかかった一室の前で立ち止まった。
「ここが、“書庫の中の書庫”。記録削除者が最も嫌う部屋よ」