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第6話

 軋む扉の向こうには、埃をかぶったファイルや手帳、新聞の切れ端、そして焼け焦げたハードディスクが積み重なっていた。電子ではなく紙、インク、手のぬくもりで書かれた、消しきれない過去の断片たち。幸太郎は震える手で、一冊の分厚いファイルを手に取った。そこには、信じられない記録が綴られていた。

『特別優生管理法』、制定は1997年。

不妊処置対象者の選別基準:知的障害、遺伝病、犯罪傾向。

対象者数:推定56万人。

実施期間:2001年まで密行。

データ改ざん日:2010年、国家記録局により全削除。

「こんな法律、本当にあるのか? 存在すら、噂すら知らない」

「そう。あなたの教科書には、初めから書かれていなかった。だから誰もなかったと思ってる」

 彼女の声には、怒りと哀しみが混じっていた。

「優生っていう言葉の裏にあるのは、劣る者は消すって思想。記録から、歴史から、社会から。そしてついには、家族の記憶からも、消えてしまうの」

 ふと、幸太郎は自分の母の顔を思い出した。記憶の中で何かが引っかかる。母はたしか、小さな傷を隠すように腕を触っていたことがあった。

 その夜、母に電話をかけた。最初は他愛ない会話だった。だが、ふと勇気を出して尋ねた。

「母さん、昔、不妊手術を受けさせられた人たちの話、知ってる?」

 一瞬、沈黙。次いで、震える声。

「なぜ、どうして……?」

「記録に、残ってた。消されたはずの本の中に」

 しばらくの沈黙の後、母はそっと答えた。

「そう。あんたの叔母さんが対象だったの。優しい子だった。でも知的障害の兆候があるって理由で、十三歳で。

そのことを誰かに話すと、私たちも監視対象になった。だから、みんな口をつぐんだ。そして、その記憶も、だんだん消えていったのよ」

 電話の向こうで、母がすすり泣く声が聞こえた。その瞬間、幸太郎は思った。記録が消えると、記憶も消える。

だが逆もまた、きっと真実なのだ。記録を取り戻せば、記憶もよみがえる。

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