目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報

第4話 結婚しない

奈々未は南の袖を掴み、わざと可愛らしく哀願した。「でも南、私も怖いの。行かないで、ここにいてくれない?」


南は一瞬だけ表情を曇らせたが、ほんのわずかな迷いの後、ため息混じりにしかし揺るぎない口調で答えた。


「奈々未、仁美がケガをしたんだ。行かないわけにはいかないよ。君は年上なんだから、子どもみたいに焼きもちを焼くのはやめておけ。家でゆっくり休んでて、すぐ戻るから。」


そう言い残すと、南は振り返りもせずに出て行った。今の奈々未の気持ちなど、全く気にも留めていない。昨日だって、仁美のために自分を他の男に差し出したことを、南は知っているなのに。心も体も傷ついているとわかっているなのに。それでも、仁美が指を少し切っただけで、また彼女を置いていった。


奈々未はずっと知っていた。南にとって、仁美がどれほど大切な存在であるかを。南と付き合い始めてから、仁美のことがあると、必ず奈々未を置いて仁美の元へ駆けつけていた。


仁美が食欲がなくて食事が喉を通らない時、南は自分を置いて仁美のところへ行った。たとえ、自分が彼のために丸一日何も食べずに過ごしていたとしても。


仁美が足を捻挫した時も、南を助けようとして車にひかれかけた自分を置いて、真っ先に仁美のもとへ。

仁美が試験で失敗して泣いていた時、両親に一晩中正座をさせられていた自分を放っておいて、真っ先に仁美の元へ向かった。


南は仁美のためなら、何度でも奈々未を置いていく。


奈々未はいつも自分に言い聞かせていた。仁美は南の年下の親戚だし、大切にするのは当然だと。自分ももうすぐ彼と結婚して、仁美の親戚になるのだから、気にするべきじゃない、と。南は自分を愛している、ちゃんと大事にしてくれているって。


昔、奈々未が捨てられた時、二日間何も食べていなかった彼女を南は家に連れて帰り、ご飯を食べさせてくれた。二年間も面倒を見てくれたから、路上で餓死せずにすんだ。仁美がいない時は、南は本当に優しかった。欲しいものは何でも与えてくれた。


ただ、仁美がいるときだけは、彼女の存在を忘れてしまうのだ。


たとえ自分が二番目でも、それで十分だった。何より、南は必ず自分と結婚すると約束してくれたのだから、少しぐらい我慢しても仕方ない。それほどまでに彼を愛しているのだから。


だけど今、奈々未は初めて疑問を抱いた。


自分は本当に南の心の中に存在しているのだろうか?二番目ですらないのでは?


南の心にいるのは、仁美だけなのだ。

自分なんて、きっと何でもない存在――

何も――


……


奈々未はSNSで仁美の投稿を見つけた。


「ちょっと怪我しただけなのに、南さんがすごく心配してくれて優しいの。やっぱりこの世で一番私を愛してくれるのは南さんだけ。」写真には、指を少し切っただけの仁美の手が写っている。


左手の人差し指に、小さな切り傷。もうほとんど治りかけているように見える。なのに南は、そんな小さな怪我のために、迷いもせず奈々未を置いていった。


奈々未はすぐに南にメッセージを送った。

「いつ帰ってきてくれるの?」


南からの返信もすぐに届いた。

「奈々未、仁美が怪我をして血が出ているんだ。放っておけないよ。今日はそっちに行けないから、家でゆっくり休んでいて。いい子にしててね。」


その言葉を見て、奈々未は少し皮肉っぽく笑った。奈々未はもうすっかり気づいていた。


この男の心の中には、もう自分は入っていないんだと。


ちょうどその時、親友の夏江から電話がかかってきた。


「奈々未、昨日の夜電話に出なかったけど、大丈夫?メッセージも返事なかったし。」


夏江の気遣いに、奈々未は少しだけ心が和んだ。


「夏江、私は大丈夫。ごめんね、昨日は携帯を持っていなくて、メッセージも見ていなかったの。」


清水夏江は笑って言った。


「昨日は南とドレスの試着だったでしょ?携帯を持ってなかったんじゃなくて、ドレス試着後、二人で素敵な夜を過ごしてたから電話に出られなかったんでしょ?」


奈々未はその言葉に少し苦笑しながら答えた。


「うん、確かに、昨日は素敵な夜だったわ……」


でも、それは絶望的で死にたくなるほど素敵な夜だった。あの男の硬くて逃げられない胸、溶けそうなほど熱いキスを思い出すと、奈々未は顔が真っ赤になった。心の中は、屈辱と惨めさでいっぱいだった。


南、どうして私をこんな男の腕に突き落とすの?


彼が本当に無理やり何かをしたわけではなかったから、今、まだ生きているけれど。


夏江はそんな事情を知る由もなく、奈々未が幸せだと思っている。


「奈々未、今、時間ある?結婚式の日に着るドレス選びに行かない?」


奈々未は目を閉じて、苦しそうに答えた。


「夏江、もう結婚式はないの。」


「えっ?」


「私は南とは結婚しない。」と、きっぱりと言った。


……


翌朝、南が車で迎えに来て、奈々未を高級ジュエリーショップに連れて行った。


これは昨日、南が約束したことだった。


奈々未は何も言わずに彼について行った。


なにしろ、結婚指輪を受け取る日だったから。


前日のことがなかったかのように従順な姿に、南は満足げだった。


「これから店の一番いいダイヤの指輪を出してもらうから、好きなのを選んで。気に入ったら何でも買うよ。」と南は優しく言った。


南は田沼グループの社長で、財力も十分。今日は店を貸し切り、二人だけのためのサービスだ。


店長は最新のデザインを並べて、奈々未に選ばせた。ただし、奈々未がデザインした指輪だけは並べなかった。奈々未は問い返した。


「私がデザインした指輪は?もう出来上がってるはずよね?」


店長は困ったように南を見つめ、何か言いたげだった。南は大きなダイヤの指輪を手に取り、奈々未の手を引いて指にはめようとした。


「このデザインでどうかな?これにしようよ。」


だが、その瞬間、奈々未は手を引っ込めた。南は一瞬、驚いたように固まった。まさか彼女が拒否するとは思っていなかった。


奈々未は南の困惑に構わず、店長に詰め寄った。


「私のデザインした指輪はどこ?」


南は彼女の行動に理由を見つけたようだった。彼女は自分でデザインした指輪しか着けたくないのだと。南はため息をつきながら言った。


「奈々未、君のデザインした指輪、うっかりなくしてしまったんだ。」


奈々未は驚いた。「どうしてなくなるの?」


「実は一昨日には出来上がってたんだけど、仁美がうっかりどこかにやっちゃったみたいで。」と南はできるだけ何でもないことのように言った。


また仁美?


奈々未は呆れたように笑った。


「私がデザインした結婚指輪、どうして仁美が先に手にするの?しかもなくすなんて…」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?