「これからも、王子としてこの国の発展の為に尽くそう……我が妃となった、スピネルと共に!」
王家の庭の片隅から見上げたバルコニーの上で、この国の王子様がそう言って高らかに右手を上げた。響き渡る歓声と祝福の声を聞きつつ、王子の傍らにいるお姉さまの正装姿を目に焼き付ける。長くて真っ直ぐな赤色の髪は、きらきらと日光を反射して美しく輝いていた。
(遠いなぁ……)
六歳年上の、大好きで尊敬して止まないスピネルお姉さま。今までなら、家の中を探し回れば必ず会えたのに。もう、メイド達の目を盗んでお姉さまを探し回る事も、追い掛けて追いついて話をする事も出来やしない。
「一時はどうなる事かと思いましたけど。でも、スピネル様良かったですね」
「……そうね」
お姉さまが想う人と無事結ばれたのは喜ばしいが、王子妃となるのだから増える苦労もあるだろう。それでも、あわや婚約解消かという状況に陥った中で、それを突っぱね結婚まで押し切った程なのだから……少なくとも、王子はお姉さまの味方でいてくれる筈だ。
「マリガーネット様はご不満ですか?」
「不満と言うか、寂しいと言うか、申し訳なかったと言うか……」
「スピネル様、これで本格的に王宮へ行ってしまわれる訳ですからね。寂しいのは当たり前でしょう。でも、起こった諸々は貴女が気に病む事ではないでしょう?」
「ううん。私がいなければ……お父さまは余計な事をしなかったでしょうから」
「でも、それがあったからこそお二人は本当の意味で結ばれたんじゃないですか? 妙にすれ違って拗らせてましたし」
「何言ってるの。あの二人が、互いを大好きで相思相愛だったのは見てたら分かるじゃない。遅かれ早かれ解決していたと思うわ」
「見て分かるレベルでも、横槍を入れて引っ掻き回して妨害する人間や修復不可能なまでに関係をぶち壊そうとする人間もいますよ。そんな事になっていたら、あれ以上拗れていたかもしれません」
「……それは、そうかもしれないけど」
幼馴染兼親友兼侍女見習いのベリルに口で勝てた試しがないので、それだけ答えて会話を終わらせる。一際大きい歓声が聞こえたのでもう一度バルコニーの方を見たら、王子がお姉さまを横抱きにして抱え上げているところであった。眉間にぐっと皺が寄ったが、控え目だけども幸せそうに顔を綻ばせ微笑んでいるお姉さまの美しいお顔が見えたので、胸元の辺りを撫でて何とか気持ちを落ち着かせる。
(……羨ましくないと言えば嘘になる、けど)
現実は、そうそうあんな風にはいかないんだろうな。幸せそうな二人を見ながら、どこか冷めた心地でそんな事を考えた。少々……いやかなり王子に対して嫉妬しているが、勿論二人を祝福する気持ちはちゃんとある。あるけれども、いざ自分の時はどうなるんだろうなと思うと、どうしてもそう思ってしまうのだ。お父さまは相変わらず私を王家にと言っているままだし、そもそもお父さまとお母さまも大して上手くはいっていないし、学院で聞く噂話も大体が浮気か不倫か修羅場の話だ。夢も何もあったものではない。
「……ベリルは婿を取って子爵家を継ぐんだったっけ」
「一応はそう決まってますね。相手は好きに選べと言われているので、同じくらいの家格の相手にしようかと」
「そうなんだ。ベリル自身もプレタポルテ家も評判良いから、伯爵家とか侯爵家の次男三男辺りを選んでも良いと思うけど」
「それじゃ気後れして話が出来ない可能性がありますからね。同じ目線で同じように意見を交わして、協力し合いながら一緒に領地経営をしていけるような人が良いです」
「ベリルなら大丈夫そうな気もするけど……」
「私はさておき、他の家人の事を考えたらそっちの方が良いでしょう」
「ああ……そうよね。ベリルは私で慣れているけれど、他の方々はそうか」
「そういう事です」
親友は親友で、明確なビジョンがあるらしい。自分で選ぶ事が出来るなら理想を考えるのもありだろうが、きっと私は無理だろう。エスメラルダでもいっとう尊ばれている青緑の髪に黄緑色の瞳を持っていて父親に溺愛されている公爵家令嬢、五体満足の健康体、入学以来常に学年主席で乗馬大会で何度も優勝している実績もある……そして、本日めでたく王子妃の異母妹という条件も加わった。自分で言うのも何だが、王侯貴族の妻となるには最良の物件だろう。
「マリガーネット様がどんな方と結婚なさるかはまだ分かりませんけれど、私が傍にいますから。大船に乗った気持ちでいて下さい」
「……ありがとう。頼りにしているわ」
その気持ちは嘘ではない。どこにいたって、どんな道を歩んだって、きっと私の一番の親友はベリルだろう。だけど、彼女には実家を継ぐという使命がある。いつまでだって、一緒にはいられない。
ベリルに気づかれないように、溜め息を一つ吐く。見上げた空は、憎らしい程に真っ青だった。
***
(……もう六年になるのか)
随分と懐かしい思い出だ。最近ますます求婚の手紙が増えていたから、それで思い出したのだろうか。お母さまは行き遅れになるくらいならばもう他の貴族でも良いだろうにと仰っているが、お父さまは相変わらず私を王家に送り込みたくて堪らないらしく、毎日あくせくと走り回っているらしい。その理由が、外戚になって権力を握りたいから……だったならば、いっそどんなに良かったか。
「マリガーネット様、起きました?」
「ベリル? 起こしてくれて良かったのに」
声を掛けられたので体を起こす。机に突っ伏していたから節々は痛むが、頭は少しだけすっきりした。
「最近色々と忙しそうでしたから、時間がある時くらいはと思いまして」
「そうだったのね、ありがとう」
「起きられたなら準備始めますね。本番は明日ですけど、王宮に向かうのですから身支度は整えませんと」
「ワンチャンお姉さまに会えるかもしれないものね。一言でもお話出来たら疲れなんて吹き飛ぶんだけど」
「スピネル様も明日の主役ですからね。お姿を見掛けられたら良し、くらいで居た方が良いのでは?」
「そうよね……それなら、少しでも目に付きやすいよう髪飾りはアレでいきましょう」
「かしこまりました」
返事をしたベリルは、迷いなく目当ての髪飾りを持って来てくれた。それに合わせてドレスを選び、着替えて髪を結ってもらう。
「それにしても、エメ兄さまが王様か。思っていたより早かったわね」
「そうですね。もう暫くは現王が続けられるかと思っていたのですが」
「お姉さま達も複数子宝に恵まれたし、王家も安泰と思われたのかしら」
「そうかもしれませんね。隠居したら夫婦で色々旅行に行くんだって仰っていると小耳に挟みましたよ」
「現王夫婦も仲良いものね。本当、それなのに他の貴族はどうして……」
血を絶やさないようにという事で、この国では正妻の他に愛妾を持つ事が認められている。なので、貴族の中では愛妾を何人囲っているかが一つのステータスになっているくらいだが……最上位の現王はそういった類の相手を持たず王妃様ただ一人を大事にしてらっしゃるし、エメ兄さまもお姉さま一筋だ。子供だって、医療の進歩で大人まで育ちやすくなっているのだから……もうそろそろ正妻のみにしても良いと思うのだけれども。そうすれば、もう少しは修羅場も減ると思うのだが。
「出来ましたよ。御者に伝えてきますので、ちょっと待ってて下さい」
「ありがとう。宜しくね」
手早く私の髪を結び終えたベリルは、颯爽と部屋を出ていった。その間に、もう一回おさらいしておこうと思って王宮儀式の手順書を開く。新王の戴冠式やそれに付随する部分を読み終えた辺りでベリルが戻ってきたので、馬車に乗り込み王宮を目指した。