岡っ引きの徳一が危機に陥っていたころ、夜になっても精力的に動き回る御成り先着流し御免姿の若者がいた。
青碕伯之進である。
彼が歩いているのは仙台掘の北側にある伊勢崎町である。
松平美濃守、久世大和守らの屋敷がさらに北に並んでいる。
だが、伯之進が探りを入れているのはその手前、大川に注ぎ込む仙台掘の入り口、その名の由来になっている仙台藩伊達家の下屋敷である。
門の瓦に、二羽の雀が向かい合っている家紋が刻まれている。
この竹や笹に雀を添えたものは世に「竹に雀」といわれており、喰い合わせの良い一対のものの象徴であって、さらに奥州伊達家の家紋であった。
ただし、この当時は松平陸奥守の屋敷として呼ばれている。
―――慶長十三年に伊達政宗が二代将軍徳川秀忠より松平の姓を下賜されて以来、その名が使われていたのであった。
……大みそかの金策に困った穴山小左衛門という御家人が、かつての同僚の
「
田舎者の中間は、場所も名前も忘れてしまい、散々迷った挙句、「芝の
松平陸奥守こと伊達政宗は全く覚えがないが御家人からの借金の申し込みに対して、「江戸詰めの大名たち、その数ある中で大名の中の大名と見込んでのわしへの無心。よろしい、聞き届けてやるがいい。だが、わしへの無心で五十両とはいささか少なすぎる。十と百とを間違えたのだろう。よし、五百両を貸してやれ」と穴山の元へと中間を帰した……
すったもんだがあった末、それまで複数認められていた陸奥守の官命は伊達家のみのものとすることになって終わるという「陸奥間違い」または「三方目出度い」として講談になっている実際のお話の舞台がここであった。
いかに穴山小左衛門の中間が田舎者であったとしても、七十二万石の大名である伊達家と御家人の屋敷を間違えるはずもなく、もしあらすじ通りの勘違いがあったとすれば、伊達家の数ある屋敷の中でも最も新しくしかもこじんまりとしたこの仙台掘のものが条件としてぴたりだからといえた。
―――伯之進は屋敷と堀の間の道を辿ってみた。
塀は高いが、足場を組めば乗り越えられないほどではない。
大名の下屋敷にしては無警戒である。
「いや、別に重きをおく必要がないから、というだけかもしれないか」
端から歩いてみたが、五千三百九十五坪余という広さのはずだが、中から人らしい気配はまったくしてこない。
おそらくほんの数人しか暮らしていないのだろう。
広いわりに奉公人が少なければ盗賊の格好の餌食だ。
それをわかっていて、金目のものはほとんど置いていない可能性もある。
「今の当主―――伊達綱宗さまの御側室が住んでいるという話は事実のようだね。とはいえ、誰も顔を知らない御側室。さて、どんなお顔をしておらっしゃることか」
下屋敷の一画に、猪牙舟を直接つけるための艀と堀に対して接している観音開きの水門が設置されていた。
艀に舟をつけて、門を内部から開き、それから庭に拵えられた水路に乗り入れできるという仕組みらしい。
もともと堀に直結しているのは、米穀などを蓄える蔵屋敷にするためであるから、このような仕組みがつけられていても納得できる。
立ち並ぶ他の屋敷にはない仕組みであった。
「なるほど、ここから例の水死体を運び込ませたのか。漁師たちが噂した通りに、ここからだったら河童に忍び込まれても仕方ないね」
河童はともかく、水にふやけた死体ならば、舟を使った方が確かに人力で運ぶよりも容易い作業になるだろう。
感心していると、ぎぎぎと小さく軋むような音がどこからともなく聞こえてきた……
◇◆◇
地面に膝から崩れ落ちた徳一は、頚椎のやや上の方に蜂にでも刺されたみたいな痛みを感じていた。
骨に罅でも入ったかのようだ。
襟首を掴まれ、力を込められた瞬間に骨にとてつもない衝撃が走ったかのようだ。
もうわずかでも遅れていたら頚骨まで完全に破壊されていたかもしれない。
それほどの重みだった。
仕掛けた武士もわかっているのか、横たわった徳一には目もくれない。
実際、それどころではないということもあるのだろうが。
ひゅゅぅぅぅぅぅぅ
編み笠の武士から奇妙に高い音が漏れ始めた。
呼吸音だった。
これから戦闘に入る下準備に入ったのだ。
少なくとも目の前の大男は手槍を投げつけて、明らかにやり合う気だとわかる。
二人の相対する距離は五間半(約十メートル)あるが、先ほどの手槍の投擲の精度を考えると逃げだしても、回収された上で改めて投げつけられるおそれがあるので無暗に背中を向ける訳にはいかない。
現実的に考えて、ここで迎え撃つのが最適手であろう。
しかも、編み笠の武士は強烈なまでに腕に自信があった。
(殺ろう)
即座に決断する。
片肌を脱いだ着流し姿、しっかりと二本の刀を差しているが、編み笠の武士とは違い、浪人ものであることは間違いないだろう。
大男ではあるが、肥えているわけではないので鈍重そうには見えない。
投げ飛ばすのは難しそうだ。
では、構えを解いて刀で迎え撃つか。
しかし、丸腰で無手なのは策略になりうる。
刀を抜いてしまえば、相手も必死になり本格的な斬り合いになってしまうが、素手のままならば殴り合いの延長として油断を誘えるかもしれない。
むしろ彼は素手―――柔術の方が遥かに得手なのである。
山勢厳の構えのまま、足裏だけを摺り足で前に出て、間合いを詰めた。
この時代、特異な構えを持つ無手の格闘技術はほとんど存在しない。
まだまだ剣術・槍術が盛んだったからだ。
そして、たいていの武士は相撲程度しか素手戦闘はできず、まして組打ち術など―――
「柔術のようだのお。わしは関口どのの新心流しか知らんが、なるほど刀よりもそっちがわいつの本命か。馬鹿正直に真っ向から勝負というのではとても勝てんだろうさ」
大男は腰を落として、佩いた刀の柄に手をかけた。
無骨で雑な造りの鞘で抜き打ちに向いているとはとても思えない。
おそらく居合などという高度な手練は持ち合わせていないだろう。
だが、だからといってこの大男が弱い―――はずはない。
武士の柔術の腕を見抜き、敵が素手であろうとも侮らずに刀を抜こうとする男なのだから。
互いの集中が高まる。
会話はない。
すでにここは合戦場だった。
「柳生心眼流、
何故か武士は名乗ってしまう。
これから命を賭けた決闘をするためなので仕方のないことだった。
それは作法なのだ。
殺し合いという唯一無二の会話をするために欠かすことのできないものなのだ。
自分がこれから手にかけるものの名前を知らずに会話ができようか。いや、できない。
だから、本来、与えてはならない名前と流派という情報を教えた。
大男の浪人も応えた。
「権藤伊佐馬。―――鵜殿の刃刺しよ」
知らない地名と役職。
だが、それだけでいい。
伊佐馬と名乗ったこの浪人にとって嘘偽りのない真実の肩書なのはわかっているからだ。
「いざ尋常に」
と、さえも口にせず、無言で二人の武士はぶつかりあった。