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くじら斗りゅう
くじら斗りゅう
陸 理明
歴史・時代江戸・幕末
2025年08月24日
公開日
2.3万字
連載中
 捕鯨によって空前の繁栄を謳歌する太地村を領内に有する紀伊新宮藩は、藩の財政を活性化させようと新しく藩直営の鯨方を立ち上げた。はぐれ者、あぶれ者、行き場のない若者をかき集めて作られた鵜殿の村には、もと武士でありながら捕鯨への情熱に満ちた権藤伊左馬という巨漢もいた。  このままいけば新たな捕鯨の中心地となったであろう鵜殿であったが、ある嵐の日に突然現れた〈竜〉の如き巨大な生き物を獲ってしまったことから滅びへの運命を歩み始める…… これは、愛憎と欲望に翻弄される若き鯨猟夫たちの青春譚である。

第1話 深淵

 そいつは誰にも知られていなかった。

 時折、群れの大きな奴らがすれ違うときに威嚇してくることもあるが、風来坊のようなそいつに積極的に近寄ってくるものはいなかった。

 何年かまえ――はっきりといつのことかはわからない。そいつには刻の概念がないのだ――上から水が降り、寝床が激しく揺れていたとき、気まぐれで外に貌をだしてみたら、ちょっとばかり興味を引くものがいた。

 しばらく鼻先でつつきまわしてみたら案外面白かったので、そのまま丸ごと食ってやったことがあった。

 だが、意外と小骨が多く呑み込みづらかった。

 味もあまり舌に合わなかったこともあり、もう見慣れないものを口にするのはやめようという知識をそいつは学んだ。

 流れの速いときに泳ぐのも至極面倒だった。


 ――それ以来、そいつは寝床から顔を覗かせることは滅多にしなくなった。

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