数日後の夕暮れ時。
お屋敷の書斎で、温かな灯りが焚かれる中、私は老男爵と向かい合って座っていた。
古めかしい机の上には書類が山積みされ、窓の外には広大な庭園が広がっている。
老男爵は静かに口を開いた。
「我が国ガーランド帝国においては、軍人は国を守り尊敬される職業だ。君も軍の学校へ行ってみてはどうだろう? 軍の学校の学生になれば、いくらか給与もでるぞ」
私はその言葉に耳を傾けながら、静かに頷いた。
ずっと居候になるのは居心地が悪いのだ。なにより給料がでるのはありがたい。
軍の学校などとても怖いイメージだが、この新しい体なら何とかなるだろう。
「君には稀有な魔導士の才能がある。その才能を生かし、国を守る立派な軍人になってもらいたいのだ」
彼の視線は私の目を見据え、話を続ける。
「……だが、軍の学校は秀才ぞろい。中途半端な学力では入れぬ。家庭教師をつけてやるから、明日から2か月しっかり頑張るのだ」
と、男爵は笑顔でそう言った。
……たった2か月ですと?
驚きと共に、心の中で様々な感情が交錯する。男爵は私に大いなる期待を寄せているのだと感じるが、私はさほど勉強が得意ではないのだ。
「心配することはない。君ならきっと立派にやり遂げられる」
顔に不安の色があらわれる私を、彼は温かく励ましてくれた。
それから2か月間。私は部屋に缶詰となり、みっちり勉強に励んだのであった。
◇◇◇◇◇
冬の寒さが和らぎ、春の兆しが感じられるようになった頃。
運命の試験日がやってきた。
老男爵の厚意で馬車が用意され、運転手が待っている。
まだ寒さが身に染みる朝の空気に触れながら、私は重いコートを身にまとっていた。
「では、行ってまいります」
「うむ、頑張ってこい」
老男爵とお嬢様に見送られ、私は馬車で駅に向かう。
駅のある町にでて、蒸気機関車に乗り継ぎ、首都エーレンベルグへと忙しなく向かったのであった。
帝都の大通りに入ると、目の前に広がる景色は圧倒的なものであった。
豪華な建物が立ち並び、街角には市場や商店が活気を帯び始めている。通りを行き交う人々の姿を眺めながら、次第に試験への緊張感が増していく。
「会場までご案内しますね」
若い役人に試験会場を案内される。
一階の大きな部屋はすさまじい数の受験者の熱気で溢れていた。
「フォーク様はこちらの二階の試験会場になります」
実はこの試験、平民枠と貴族枠に分かれていた。私は今回、老男爵の推薦状により貴族枠で受験するのだ。
平民枠はすさまじい競争倍率で、私のような者は到底受からない。
かなりズルかもしれないが、家柄を権威つけるために入学する貴族のご子弟方が集う別の試験会場に、私は案内されたのであった。
「開始してください」
試験官の合図とともに試験は開始された。
貴族バージョンの試験とはいえ、流石に国防の要の人材を育成する機関だ。各分野においてかなりの難問が並ぶ。
地球の小説とかだと、異世界に来た主人公は万能者だったりする。だが、私の頭はさほど優秀ではなく、試験問題に大いに悩まされたのであった。
試験は泊まり込みで2日間ほど続く。
終了時間を知らせるベルの音が、けたたましく試験会場に響いた。
……ふう、疲れた。
こうして、この世界で初の私の試練は幕を閉じたのであった。
◇◇◇◇◇
二週間後。
温かな春風が優しく頬を撫で、お屋敷の庭の木々の新緑が鮮やかに輝き始める。
「郵便です」
肩に大きなカバンを掛けている配達人が、雨除けの油紙に包まれた封筒を運んできた。
案の定、封筒の中身は私の試験結果の通知だった。
ドキドキしすぎて胃が痛い。
蝋で封をされた封書を開くと「補欠合格」と大きく記された紙が出てきたのだった。
「首席で合格してほしかった」とぼやく老男爵をよそに、私は合格通知に大きく喜び、安堵したのであった。
◇◇◇◇◇
二年後の春が訪れた頃、私は軍学校で勉学の日々を送っていた。
身体系の訓練は、手を抜いても学校始まって以来の成績。だが、座学は最悪で、学年ビリを継続していたのであった。
その間、ガーランド帝国と隣国ジラール共和国の間で戦争が勃発し、帝国は急速に兵力不足に陥っていた。
結果として、人員補充のために卒業時期が繰り上げられ、わずか一年で学校を修了することとなったのだ。
卒業後、私は直ちにガーランド帝国陸軍に入隊し、蒸気機関車に乗って前線へと送られた。戦火が激しさを増す中、私は主に訓練の日々を過ごしたのだった。
しかし、前線に配備されてからわずか一か月後、突然の休戦が決定された。戦場の喧騒が静まり、私は無給の予備役に編入されることとなった。
そのため、この異世界での郷里であるユンカース家に帰ることになったのだ。
春の穏やかな日差しの中、私はユンカース家の広大な敷地に足を踏み入れ、帰郷の 喜びと平和の世界に安堵を感じたのだった。
「お帰りなさい、フォークさん。よくぞご無事で」
「ただいま戻りました」
迎えてくれたのはお嬢様と執事のシュモルケさん。男爵様はお出かけで留守とのことだった。
彼の帰りは遅く、夕飯の時間になっても帰らなかった。
夕方から降り始めた雨は勢いを増し、しばしば轟く稲光が私たちの心配を煽る。
結局、彼が帰ってきたのは日付が変わろうかという、この世界ではとても遅い時刻だった。