石畳の廊下を歩く老男爵の足音が、静まり返った館内に響いた。
私は書斎の机に向かっていたが、その音に気付き、振り向いた。
木製の扉がゆっくりと開き、彼の疲れ切った表情が見えた。彼の背筋はいつもより少し曲がっているように感じられた。
「入ってください、男爵様」
私は椅子から立ち上がり、彼を迎えた。
彼は深いため息をつきながら椅子に腰掛けた。その手には一枚の書類が握られており、その紙が震えているのが分かった。
「君に話したいことがあるのだ」
彼は小さく低い声で語り始めた。
「実は、私の夢であった鉄道事業が思ったように進まず、多額の借金を背負ってしまった」
私は彼がこんなに落ち込んでいる姿を見たのは初めてだった。
「具体的にどういう問題が起きているのでしょうか?」
私は慎重に尋ねた。
老男爵はしばらくの間黙っていたが、やがて重い口を開いた。
「計画が進むにつれ、資金繰りが厳しくなり、予定していた工事が遅れに遅れた。さらに、新たな投資家も見つからず、借金が増える一方だ」
彼の声には深い失望が滲んでいた。
私は彼の言葉に耳を傾けながら、彼の夢である鉄道事業がこの地域の発展に無くてはならないものだと理解した。そして、それが非常に困難な状況に直面していることも痛感したのであった。
彼は頭を抱え、
「君の若い頭脳を借りたいのだ。何か良い案があれば教えてくれ」
私はこの世界で彼にお世話になりっぱなしだ。日頃の御恩に報いるためにも、一緒に解決策を見つけねば。
「分かりました、男爵。全力でお手伝いさせていただきます」
私がそう言うと、老男爵は微かに微笑み、
「ありがとう」
と静かに言ってくれたのだった。
◇◇◇◇◇
書斎での薄明かりの中、私は男爵から預かった書類の束を丁寧に広げ、精査していた。
書類の山から次々と現れる数字と格闘しながら、軍学校で学んだ経理の知識がこの場で役立つことを感じた。
手元の計算書は、資金繰りの厳しさを如実に示していた。
「この状況を打開するには、やはり増資しかない……」
私は独り呟いた。
やはり新たな出資者を募ることが、現状から抜け出す唯一の道だ。
しかし、どうやって多くの人々を引き付け、出資を引き受けてもらえばいいのか。
資金繰りの厳しさから、しばらくは配当金を出すこともできない。
ふと、前世の記憶が頭をよぎった。
過去の経験と知識をたどり、株主に対する特別な優待を提供することを思いついたのだ。
鉄道が完成した暁には、最初の試運転などに乗れる特別な乗車券を提供する。そして、誰でも出資できるように株券を分割し小口化するのだ。
これにより、多くの出資者の興味を引き、協力を得られるのではないかと考えた。
私は決意を新たにし、眠気をこらえながらに具体的な計画を練り始めた。
この困難な状況を打破し、老男爵の夢である鉄道事業を成功させるために、全力を尽くすことが私の使命だと思ったのだ。
◇◇◇◇◇
それから、三日後のことだった。
私の提案した小口の出資にも株主優待が付くという話が瞬く間に広まる。多くの人々が鉄道に乗れるという特別な機会に心を奪われ、続々と出資の申し込みが寄せられた。
「わしにも一口かませてくれ!」
「わたくしには十株ほど譲ってくださらない?」
普段は静かなお屋敷の一角が人々の活気に包まれ、出資に訪れる者たちの姿で賑わいを見せた。
ここに集まる皆が、憧れの鉄道の試運転に乗れるという夢を胸に抱いていたのだ。
この地域で鉄道に乗れることは滅多にない特別なことであり、人々の期待は高まるばかりだった。
その結果、資金は瞬く間に集まり始め、鉄道事業の再建のための希望が見えてきた。
資金繰りが厳しかった時とは一変し、銀行の態度も次第に軟化していった。彼らもこの計画に魅力を感じ、追加の融資に応じることを決定したのであった。
「フォーク君、見事だ! これで、また工事が再開できる」
邸宅の書斎で、老男爵と私はこの朗報を喜び合った。彼は安堵の表情を浮かべ、私の手を握りしめた。
こうして、老男爵の夢の実現に向けて進む鉄道事業は、多くの人々の支えによって再び歩みを始めたのであった。
◇◇◇◇◇
春の日差しが庭園を照らす中、温和な表情を浮かべる老男爵と私は、書斎で向かい合っていた。
豪奢な部屋の中、古びた重厚な棚に書物が並ぶ。
彼はゆっくりと立ち上がり、机の引き出しから小さな金色の鍵を取り出した。
それは彼の家に代々伝わる魔動機の格納庫の鍵であり、家宝として大切に保管されていたものだった。
彼は私に微笑みを浮かべながら、その鍵を差し出して言った。
「先日、君が鉄道案件で立てた功績は素晴らしい。君がいなければ我が家は破産していたかもしれぬ。重ねて礼を言うぞ。そこで、この家宝の鍵を君に授けたいと思う」
「……え!? よろしいのですか?」
私はとても驚いた。男爵の力強い言葉には感謝だけでなく、確かな信頼も頂けているように感じられたのだった。
その鍵を受け取り、私は深く頭を下げた。
「このような大切なものをいただけるとは、思ってもみませんでした。本当にありがとうございます」
私がそういうと、彼は微笑みを浮かべ、
「あの魔動機【タイタン】は、きっと私より君のほうが上手に動かせるようになるだろう。この村の平和を頼んだぞ」
「わかりました。命に代えましても」
ちなみに昔、このダイモス村は、東の強国パニキア連邦軍が前線を突破し、なだれ込んできたことがあったのだ。その時、この老男爵が魔動機であるタイタンを駆使して、援軍が来るまで孤軍奮闘。結果的に無事に村を守ったらしいのだ。
つまり、その村の大切な守り神の操縦を、私が任されたということだった。
大変名誉ではあるが、その大きな責任から少し胃が痛くなった。