普通に考えればこんなものを書いている場合ではないのだが、明らかに調子が良くないので自分を少し整理するために日記的なものを書いていこうかと思う。週一回、1000字以上とハードルを下げて意地でも更新していきたい所存でございます。こういうのは何より継続が大事ですからね。
不調の原因ははっきりしている。労働のストレスが最大の要因だ。
我が社の代表が4月から始まる仕事を明らかにキャパ以上に取ってきた皺寄せが私にも来ている。普通のサラリーマンに比べれば私の仕事量など大したものではないのだろうが、まあ慣れない仕事というのはストレスが溜まるものだ。しかし労働というものは本当に下らない。単なる伝言ゲームにこんなにも時間と労力を費やしている様を振り返ると本当に虚無虚無しい。
別の要因は精神変容物質への依存だ。
アルコール、カフェイン、コデインを摂取する日が明らかに増えている。1回の摂取量は大したものではないが頻度が上がっていることに明らかにストレスが表れている。原因と結果どちらが先か、という話にもなってくるだろう。
もう一つは執筆のストレスだろう。
ネオページで契約作家となり若干ながら原稿料を頂けるようになったことは、執筆者としてこの上ない幸せなことなのだが、それゆえに「書かねば!」というプレッシャーをも感じるようになってきてしまった。まあ編集からの直しの指示も最近はほとんど無いに等しいものなので、私が勝手に感じているものでしかないのだが。
生活のリズムは両輪だ。一つが崩れると全てが崩れてゆく。逆に言えばどこか一つを立て直すことが出来ればその他も整ってゆくであろうことを知ってはいるのだが、まあ中々合格点にまで生活を持ってゆくことが最近では難しくなっている。
まあどっかで改善するだろという楽天的な気持ちもあるが、別に死ぬまで不調でも良いんじゃねえの? その方がお前らしいんじゃねえのか? という気もする。もちろん不調で過ごして良い時間など一秒もあってはならないというのも別の次元では真実なのだが。
最近特に興味深いコンテンツはやはり青木真也のYouTubeだ。
青木の言葉は考えさせられるものが多いし、私は執筆への向き合い方にも影響を受けている。青木は「自分の客と向き合え」ということをよく言う。同時に「客に媚びるな」とも言うが。
私にとっての『客』とは誰なのだろう? とよく考える。
WEBサイト上で多少評価された小説は幾つかあるが、それが私にしか書けなかったものか? 本当に書きたかったものか? という問いには、あまり強く是と答えることが出来ない。
トレンドに合わせた無人称な作品で勝負してゆくよりも、作者そのものをコンテンツ化してゆく方が私には合っているのかもな、とは思う。
そのためには『きんちゃん』という人間の属性をある程度抜き出してパッケージ化しなければならないだろう。
じゃあ世間にをどうパッケージングするのだ?
宗教2世? 弱者中年男性? ドルオタ? ……どれも嘘ではないが、そのどれもが本質的ではないような気がする。
なぜ私は書くのだろうか? ということも頻繁に考える。多少の原稿料だけが目当てならば普通にバイトでもした方が効率は良い。書くことでしか得られないものが間違いなくある。
私の主眼はやはり正直でありたいという気持ちだし、より精緻に考えてゆきたいということだ。それには書くしかない。
功利主義にあまりに毒されたこの社会では、正直であることはほとんど評価されない。だがそれでも私は正直でありたい。正直であることだけが唯一の抵抗だ。
どこの馬の骨ともわからぬ私ではあるが、それでも生き様を晒すこと。それすらもエンタメ化し得るというのが今の時代の要請でもあろうし、青木の言っていることとも通じるように思える。