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第3話  赤い葉を持つ女

祭りの灯りが消えていくのを、晴香はただ呆然と見つめていた。

 人混みに飲み込まれたはずの娘の姿は、どこにもない。

 「くれは……!」

 喉が裂けるほど叫んでも、太鼓の音がすべてをかき消した。返事はない。


 ただ一枚、足元に落ちていた赤い葉だけが、残酷に答えていた。




 警察が出動したのは、それから一時間後のことだった。

 境内に設けられた臨時の詰所には、祭り帰りの人々が心配そうに集まり、ざわめきが途絶えない。

 誰もが口を揃えて「少女は急にいなくなった」と言う。


 祭りの喧噪の最中に忽然と消えた。目撃者はいない。

 晴香の説明は、動揺に満ちていて要領を得なかった。

 「参道を歩いていたんです。ほんの少し目を離したら……赤い葉が……」

 そこで声が詰まる。握りしめた手の中、血のような葉がまだ湿り気を帯びていた。


 警察官たちは顔を見合わせ、困惑気味に母親を宥める。

 その場に現れたのが、刑事の一ノ瀬祐真だった。


二十八歳。若さは残るが、どこか擦れたような目をしている。

無精ひげに整っていない髪、着古したスーツ。まだ若いはずなのに、年齢以上の疲れを纏っていた。

都会から数か月前に赴任してきたばかりで、この山間の町には馴染んでいない。


 「失踪、ね」

 報告を受けた祐真は、疲れたように煙草を探した。だが祭りの会場では吸えず、舌打ちを呑み込む。

 「年端もいかない子供が夜に消えた。真っ先に考えるのは事故か誘拐だ。……だが、あんたは違う顔をしてるな」


 祐真は晴香に向き直った。

 彼女の手の中にある葉に、ふと目を止める。


 「それは……落ち葉か?」

 「……いいえ。違います。これは……あの森のものです」

 晴香の声は震えていた。

 「森?」

 「……“紅葉ヶ森”。」


 その名を口にした瞬間、近くの町の人々がざわついた。口を閉ざす者もいれば、露骨に顔を歪める者もいる。

 その反応に、祐真は眉をひそめた。


 「何だ、それは?」

 「言わないほうが……。刑事さん、あなたは知らないんです、この町で何があったか」

 晴香は言葉を飲み込み、唇を噛む。涙が頬を伝う。




 祐真はその夜、森の入り口へ足を運んだ。

 参道の先、屋台の灯りが途切れた闇に、大木が影のように並んでいる。

 風が吹くたび、葉がざわめき、赤黒い影を揺らした。


 足元に一枚、赤い葉が落ちていた。

 拾い上げると、指先にぬめりが残った。

 血のような臭いが鼻を刺す。


 「……気のせいだろ」

 呟いたその背後から、声がした。


 ──くれは。


 振り返る。誰もいない。

 森の闇だけが、口を開けたようにぽっかりと広がっていた。



 翌朝。

 町は一夜にして緊張に包まれていた。

 「またか」「やっぱり二十年ぶりに……」そんな噂が広まり、人々は家の戸を固く閉ざす。


 祐真は町役場に呼ばれた。

 応接室で待っていたのは、地元の古い寺の住職・古沢透だった。

 白髪交じりの僧衣の男は、彼を睨むように言った。


 「刑事さん、森を調べるのはおやめなさい。

  あそこは、人が入ってよい場所ではない」


 祐真は鼻で笑った。

 「オカルトは信じないんでね。失踪した子供がいるんだ。手がかりがあるなら教えてもらおう」


 住職は黙り込み、やがて低い声で告げた。

 「二十年前にも、同じことがあったのです。……祭りの夜に、娘がひとり消えた」


 その言葉が、祐真の背を冷たく撫でた。

 彼は一度、赤い葉を思い出し、無意識に指先をこすった。まだあのぬめりの感触が残っている気がする。


 「刑事さん。森に呼ばれた者は、決して戻りません」


 その忠告を聞きながらも、祐真の心は決まっていた。

 ──自分の目で確かめなければならない。




 夜。

 祐真は懐中電灯を手に、再び森の入り口に立った。

 葉擦れの音が人の囁きに変わる。


 ──かえれ。

 ──おいで。


 光の輪の中で、幹の表面に浮かぶものがあった。

 人の顔。閉じた目、口元。

 その口から、赤い葉がひらりとこぼれ落ちた。


 祐真の手が汗で濡れる。

 だが目は逸らさない。


 「くれは……どこにいる」


 その瞬間、森の奥から少女の声が返った。


 ──ここだよ。


 祐真の背筋に、氷の刃が突き立つような感覚が走った。



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