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第八十九話

巨大な光球が、闘技場の天井を覆い尽くしていく。

その禍々しい輝きは、まるで太陽が地上に落ちてきたかのような威圧感を放っていた。光球からは灼熱の波動が放たれ、大気そのものが歪んでいく。

魔導機械兵の装甲さえ、その熱波で軋みを上げ始めていた。ドワーフたちは盾で顔を覆い、トルヴィアでさえ思わず腕で目を庇い絶句する。


「ア、アド……」


世界の終わりを見ているかのような光景に、メーラは震えが止まらなかった。

先ほどまでアドリアンの魔力を得て、世界を掌握したかのような感覚があったのに、それが今は愚かしく思えるほど。

目の前の光景は、そのあまりの凄まじさに、魂さえも凍りつかせるものだった。


「はは……ははは!全て終わりだ!この『煉獄天焼』が、全てを飲み込み、灰燼に帰す!俺も、貴様らも、帝都も……この光の中で消え失せるのだ!」


ノーマの狂気めいた高笑いが、光球の放つ灼熱の唸りと共に響き渡る。その顔には、もはや理性の欠片も残っていない。


──だが。


「メーラ」


アドリアンが、ゆっくりと振り返る。

死を予感させる光の中で、二人の視線が交差した。


「俺は英雄だ。──知ってるかい?英雄は、いつも勝つんだ。少しばかり派手な演出が入るけどね」

「──え?」


その時、メーラは気づいた。

アドリアンの手が……いや、全身が青白い光に包まれ始めていることに。

その光は星空のような輝きを放っていた。アドリアンの体の輪郭が滲むほどに明るく、そして穏やかに煌めいている。

世界の理そのものが具現化したかのような、神秘的な光──。


「『星の涙』──今一度、この英雄の願いを叶えてくれないか」


アドリアンの全身から放たれる青白い光が、虚空へと昇っていく。

光の粒子が一点に集まり始めた。それは刻一刻と形を変えていく。


まずは流星のように。


次には満月のように。


そして星座のように。


光は様々な形を描き出していった。そして、ついにその光は一つの形に収束する。

宙空に浮かぶそれは、剣の形をしていた。

だがそれは、この世のいかなる剣とも異なる。天空から零れ落ちた星々を一つに束ねて作り上げたかのような、神秘的な輝きを放つ剣。


「その剣は……!おのれ、この世界でも忌々しき世界の加護を得ていたか……!」


ノーマの声には、憎悪と共に明確な恐れが滲んでいた。

神秘的な剣がゆっくりとアドリアンの掌へと降り注ぐ。その手に収まった瞬間、凄まじい光が闘技場を満たした。

それは醜い闇を祓うような、しかし同時に慈愛に満ちた温かな輝き。夜明けの光のように、世界を優しく包み込んでいく。


「『星涙剣ステラクライ』──また会えたね。いや、もしかしたら……ずっと側にいてくれていたのかな」


親友と語らうように、アドリアンは剣に話しかける。

頭上には世界の終焉を思わせる光球が迫っているというのに、アドリアンとその剣からは一切の迷いも恐れも感じられなかった。

壮大な魔法の脅威と、神秘的な剣の輝き。その光景に、メーラもトルヴィアも、戦士たちも言葉を失い、ただ見入るばかりだった。


その時ノーマが自らの震えを押し殺すように、叫ぶ。


「く……ははは!だが所詮は虚しい抵抗!『星涙剣』があろうとも、『煉獄天焼』の前では儚く消えるだけだ!あの世界でもそうだったように──」

「──誤解しているようだけど」


ノーマの言葉を遮るように、アドリアンが星涙剣を優雅に一閃する。

それだけだった。ただの一振り。しかし、その仕草だけで聖なる力の奔流が吹き荒れ、ノーマの全身が凍りつき、一歩も動けなくなる。


「『あの時』はね。ベゼルヴァーツとの決戦の為に、魔力を使いたくなかったんだ。ただ、それだけ」


そう。魔力を温存させたいがために、ベレヒナグルは犠牲になった。

痛ましい記憶が脳裏を掠めるが、手の中で煌めく星涙剣の清らかな輝きが、アドリアンの心を静かに落ち着かせていく。


「この子はね、結構な大食漢でさ。他の誰が振るっても、魔力を根こそぎ飲み干しちゃう厄介な武器なんだ。まあ、贅沢な趣味ってやつかな」


そして、アドリアンは続けた。


「でも、それも当然のこと。『星涙剣』は、世界の彼方で流された無数の涙が結晶となった、かけがえのない存在なんだから」


英雄にすべてを託して犠牲になった者たち。

暴虐に飲み込まれ、それでも希望を捨てなかった者たち。

その全ての涙が星となって煌めき、想いは光となって昇華していく。

そして世界の理そのものが、その全てを包み込み、英雄の武器として具現化する。


「悲しみも、憎しみも、絶望さえも──こうして希望の光になる」


星涙剣から放たれる光が、久しぶりに再会した友アドリアンを優しく包み込んでいく。

それは次第に形を変え、不死鳥の如き光の翼となって広がっていった。アドリアンを守護するように、導くように、青白い光の羽が空間を切り裂いていく。

そして今、不死鳥を宿したアドリアンは、全てを滅ぼさんとする『煉獄天焼』の禍々しい輝きと対峙していた。


「さあ、行こう!みんな──!」


アドリアンが静かに、しかし揺るぎない決意と共に星涙剣を掲げた。


そして──


星天裂界スターバースト!」


アドリアンが星涙剣を振り下ろすと、天空の星々が一斉に瞬いたかのような光が放たれた。

それは一条の斬撃となって空間を切り裂き、青白い光の奔流が、夜空そのものが降り注ぐかのように広がっていく。


「──」


一筋、また一筋と星の光が『煉獄天焼』を貫いていく。

破壊の光球が、まるでガラス細工のように美しく裂かれていく様に、メーラは息を呑み、トルヴィアは目を見開く。戦士たちは言葉を失い、ノーマでさえもその光景から目を逸らすことができない。


「馬鹿な……大公様の、極大殲滅魔法が、こんなにも容易く……」


ノーマの呟きと共に『煉獄天焼』は、まるで夜明けの星のように、美しく消えていく──。


そして、天から流星のような光が静かに降り注ぐ。その幻想的な光景にメーラは息を呑んだ。


(──これが、アドの本当の力)


世界を滅ぼすのではなく、世界の涙を光に変える力。それは彼女が信じた通りの、いや、それ以上の慈愛に満ちた力だった。


「あ……あぁ……!」


光球が完全に消え去ると、ノーマは全てを失ったように、ゆっくりと膝をつく。

その姿を見た戦士たちから、歓喜の声が沸き起こった。


「これぞ真の英雄の力か……!」

「なんて凄まじい光!だが、見ていると、暖かい気持ちになってくる、不思議な光だ……」


歓声が辺りを包む中、トルヴィアが安堵と共に微笑んだ。


「敵わないわ。やっぱり、貴方は本当の『英雄』なのね──」


トルヴィアの瞳には、慈しみと、そして僅かな羨望の色が浮かんでいた。遥か遠くの星を見上げるような、憧れに似た眼差しだ。

アドリアンは相変わらず静かに微笑みながら佇んでいる。彼を包んでいた不死鳥の翼のような光が次第に薄れていき、戦場に残されたのは、アドリアンと星涙剣。

そして深い静寂だけ。


「さて」


不意に。アドリアンは膝をつくノーマを見下ろし、声を落とした。


「もう一度、星のショーを見たいかい?今度は君の目の前で、もっとゆっくり披露してあげられるんだけど」

「……」


ノーマの肩から力が抜けていく。完全に諦めたようだと察し、アドリアンは星涙剣を下ろした。


「そうそう、その方が賢明だよ。それに、実を言うと君とゆっくりお話ししたいことがあってね。『あの御方』のことだとか、その素敵な『加護』のことだとか……ああ、そうそう、『前の世界』の話なんかも──」


そう、アドリアンが、そう言いかけた時だった。


「がっ……!?」


突如、ノーマの身体から漆黒の闇が噴き出す。

それは意思を持つかのように蠢きながら、彼の肉体を貪り食うように包み込んでいく。


「──まさか!」


アドリアンが叫ぶ。彼の脳裏には、奴隷市場でカイが見せた、闇の力に取り込まれる光景が鮮明に蘇っていた。

まさか。ここまで、あの時と同じ展開なのか──!?


「や、やめ……これ以上、『世界』が繋がると──ぐっ……がぁぁ!!」


ノーマの悲鳴が響く。彼の体は闇に蝕まれながら、痙攣するように震えていた。

アドリアンは咄嗟に手を伸ばすが、ノーマはその手を振り払う。そして彼は、アドリアンではなく、その後方にいる……メーラを見て、目を見開いていた。


「あ、ああ……『世界』が、繋がった……記憶が、全て、甦る……あぁ……あぁ……!そんな……!!」


ノーマは息を切らせながら、遠くにいるメーラに向かって震える手を伸ばす。

その異様な雰囲気と、すがるような、祈るような眼差しに、メーラは足が竦んで動けなくなっていた。


「な、何故……アドリアンと……共にいるのだ……」

「──え?」


その瞬間であった。

ノーマを包む闇が急激に膨れ上がり、まるで黒い太陽のように凝縮していく。そして一瞬の閃光と共に──。


「あ……があぁぁぁぁぁっっっ!?」


──闇が内側から爆発した。

悲鳴と、轟音が響き渡り、黒い霧が晴れた時、そこにはもはや何も残されていなかった──ノーマの存在を示すものは、かすかな余韻だけ。

戦場に残されたものは、重い静寂だけだった。


「終わった……の?」


トルヴィアが、おずおずと言った。

その言葉に、アドリアンはノーマが消滅した場所を見つめ、呟くように答えた。


「……あぁ。終わったよ。全て」


その言葉を皮切りに、戦場は歓声に包まれる。兵士たちは互いを抱き合い、喜びの声を上げた。

歓声の最中、アドリアンはひとり静かにつぶやいた。


「いや、始まりか──」


その言葉は、周囲の喜びの声にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。


「アド……」


背後から心配そうな声。振り返ると、メーラが不安げな表情でアドリアンを見上げていた。

アドリアンは彼女を見て、優しく微笑むと、その小さな頭を撫でた。


「メーラ、怖かったかい?いきなり力を与えてごめんね」

「ううん、私も、アドの役に立てて嬉しいの」


二人は穏やかな笑顔を交わす。その仲睦まじい様子は、先ほどまでの壮絶な戦いが嘘のようで……。


不意に、メーラがポツリといった。


「ねぇ、アド」

「なんだい?」

「──あの人が最後に、言ったことって……どういう意味なんだろう」


メーラの言葉に、アドリアンの目が一瞬鋭く、細まる。

だが、それも一瞬のこと。次の瞬間には、いつもの優しい笑顔が戻っていた。


「いいかいメーラ。死ぬ間際っていうのは誰だって見えない物が見えちゃうものさ。あまり真に受けない方がいいよ」

「そう、なんだ……」


何かを考え込むメーラに、アドリアンは彼女の手を取って、軽やかな声で言った。


「さてさて、そんな難しい顔はやめにして、大事な準備があるんだけど?」

「え……準備?」

「そう」


アドリアンが意地の悪い笑みを浮かべ、トルヴィアの方を見やる。


「帝国を救った英雄と、魔族の姫を称える豪勢な宴会のね。もちろん用意してくれるよね?『ご立派な皇姫様』?」


からかうような口調にトルヴィアは目を丸くし、やれやれといった表情を浮かべた。


「自分から褒美をせがむ英雄なんている?普通……」

「目の前にいるじゃないか。もしかして初めて見たのかい?いい勉強になったね」


そんなアドリアンとトルヴィアの軽口のやり取りに、メーラは最初こそきょとんとした表情を浮かべていたが、次第に吹き出すように笑みがこぼれる。


先ほどの不穏な予感も、戦いの記憶も、メーラの心から薄れていくように、闘技場に、穏やかな空気が満ちていった──。


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