巨大な光球が、闘技場の天井を覆い尽くしていく。
その禍々しい輝きは、まるで太陽が地上に落ちてきたかのような威圧感を放っていた。光球からは灼熱の波動が放たれ、大気そのものが歪んでいく。
魔導機械兵の装甲さえ、その熱波で軋みを上げ始めていた。ドワーフたちは盾で顔を覆い、トルヴィアでさえ思わず腕で目を庇い絶句する。
「ア、アド……」
世界の終わりを見ているかのような光景に、メーラは震えが止まらなかった。
先ほどまでアドリアンの魔力を得て、世界を掌握したかのような感覚があったのに、それが今は愚かしく思えるほど。
目の前の光景は、そのあまりの凄まじさに、魂さえも凍りつかせるものだった。
「はは……ははは!全て終わりだ!この『煉獄天焼』が、全てを飲み込み、灰燼に帰す!俺も、貴様らも、帝都も……この光の中で消え失せるのだ!」
ノーマの狂気めいた高笑いが、光球の放つ灼熱の唸りと共に響き渡る。その顔には、もはや理性の欠片も残っていない。
──だが。
「メーラ」
アドリアンが、ゆっくりと振り返る。
死を予感させる光の中で、二人の視線が交差した。
「俺は英雄だ。──知ってるかい?英雄は、いつも勝つんだ。少しばかり派手な演出が入るけどね」
「──え?」
その時、メーラは気づいた。
アドリアンの手が……いや、全身が青白い光に包まれ始めていることに。
その光は星空のような輝きを放っていた。アドリアンの体の輪郭が滲むほどに明るく、そして穏やかに煌めいている。
世界の理そのものが具現化したかのような、神秘的な光──。
「『星の涙』──今一度、この英雄の願いを叶えてくれないか」
アドリアンの全身から放たれる青白い光が、虚空へと昇っていく。
光の粒子が一点に集まり始めた。それは刻一刻と形を変えていく。
まずは流星のように。
次には満月のように。
そして星座のように。
光は様々な形を描き出していった。そして、ついにその光は一つの形に収束する。
宙空に浮かぶそれは、剣の形をしていた。
だがそれは、この世のいかなる剣とも異なる。天空から零れ落ちた星々を一つに束ねて作り上げたかのような、神秘的な輝きを放つ剣。
「その剣は……!おのれ、この世界でも忌々しき世界の加護を得ていたか……!」
ノーマの声には、憎悪と共に明確な恐れが滲んでいた。
神秘的な剣がゆっくりとアドリアンの掌へと降り注ぐ。その手に収まった瞬間、凄まじい光が闘技場を満たした。
それは醜い闇を祓うような、しかし同時に慈愛に満ちた温かな輝き。夜明けの光のように、世界を優しく包み込んでいく。
「『
親友と語らうように、アドリアンは剣に話しかける。
頭上には世界の終焉を思わせる光球が迫っているというのに、アドリアンとその剣からは一切の迷いも恐れも感じられなかった。
壮大な魔法の脅威と、神秘的な剣の輝き。その光景に、メーラもトルヴィアも、戦士たちも言葉を失い、ただ見入るばかりだった。
その時ノーマが自らの震えを押し殺すように、叫ぶ。
「く……ははは!だが所詮は虚しい抵抗!『星涙剣』があろうとも、『煉獄天焼』の前では儚く消えるだけだ!あの世界でもそうだったように──」
「──誤解しているようだけど」
ノーマの言葉を遮るように、アドリアンが星涙剣を優雅に一閃する。
それだけだった。ただの一振り。しかし、その仕草だけで聖なる力の奔流が吹き荒れ、ノーマの全身が凍りつき、一歩も動けなくなる。
「『あの時』はね。ベゼルヴァーツとの決戦の為に、魔力を使いたくなかったんだ。ただ、それだけ」
そう。魔力を温存させたいがために、ベレヒナグルは犠牲になった。
痛ましい記憶が脳裏を掠めるが、手の中で煌めく星涙剣の清らかな輝きが、アドリアンの心を静かに落ち着かせていく。
「この子はね、結構な大食漢でさ。他の誰が振るっても、魔力を根こそぎ飲み干しちゃう厄介な武器なんだ。まあ、贅沢な趣味ってやつかな」
そして、アドリアンは続けた。
「でも、それも当然のこと。『星涙剣』は、世界の彼方で流された無数の涙が結晶となった、かけがえのない存在なんだから」
英雄にすべてを託して犠牲になった者たち。
暴虐に飲み込まれ、それでも希望を捨てなかった者たち。
その全ての涙が星となって煌めき、想いは光となって昇華していく。
そして世界の理そのものが、その全てを包み込み、英雄の武器として具現化する。
「悲しみも、憎しみも、絶望さえも──こうして希望の光になる」
星涙剣から放たれる光が、久しぶりに再会した友アドリアンを優しく包み込んでいく。
それは次第に形を変え、不死鳥の如き光の翼となって広がっていった。アドリアンを守護するように、導くように、青白い光の羽が空間を切り裂いていく。
そして今、不死鳥を宿したアドリアンは、全てを滅ぼさんとする『煉獄天焼』の禍々しい輝きと対峙していた。
「さあ、行こう!みんな──!」
アドリアンが静かに、しかし揺るぎない決意と共に星涙剣を掲げた。
そして──
「
アドリアンが星涙剣を振り下ろすと、天空の星々が一斉に瞬いたかのような光が放たれた。
それは一条の斬撃となって空間を切り裂き、青白い光の奔流が、夜空そのものが降り注ぐかのように広がっていく。
「──」
一筋、また一筋と星の光が『煉獄天焼』を貫いていく。
破壊の光球が、まるでガラス細工のように美しく裂かれていく様に、メーラは息を呑み、トルヴィアは目を見開く。戦士たちは言葉を失い、ノーマでさえもその光景から目を逸らすことができない。
「馬鹿な……大公様の、極大殲滅魔法が、こんなにも容易く……」
ノーマの呟きと共に『煉獄天焼』は、まるで夜明けの星のように、美しく消えていく──。
そして、天から流星のような光が静かに降り注ぐ。その幻想的な光景にメーラは息を呑んだ。
(──これが、アドの本当の力)
世界を滅ぼすのではなく、世界の涙を光に変える力。それは彼女が信じた通りの、いや、それ以上の慈愛に満ちた力だった。
「あ……あぁ……!」
光球が完全に消え去ると、ノーマは全てを失ったように、ゆっくりと膝をつく。
その姿を見た戦士たちから、歓喜の声が沸き起こった。
「これぞ真の英雄の力か……!」
「なんて凄まじい光!だが、見ていると、暖かい気持ちになってくる、不思議な光だ……」
歓声が辺りを包む中、トルヴィアが安堵と共に微笑んだ。
「敵わないわ。やっぱり、貴方は本当の『英雄』なのね──」
トルヴィアの瞳には、慈しみと、そして僅かな羨望の色が浮かんでいた。遥か遠くの星を見上げるような、憧れに似た眼差しだ。
アドリアンは相変わらず静かに微笑みながら佇んでいる。彼を包んでいた不死鳥の翼のような光が次第に薄れていき、戦場に残されたのは、アドリアンと星涙剣。
そして深い静寂だけ。
「さて」
不意に。アドリアンは膝をつくノーマを見下ろし、声を落とした。
「もう一度、星のショーを見たいかい?今度は君の目の前で、もっとゆっくり披露してあげられるんだけど」
「……」
ノーマの肩から力が抜けていく。完全に諦めたようだと察し、アドリアンは星涙剣を下ろした。
「そうそう、その方が賢明だよ。それに、実を言うと君とゆっくりお話ししたいことがあってね。『あの御方』のことだとか、その素敵な『加護』のことだとか……ああ、そうそう、『前の世界』の話なんかも──」
そう、アドリアンが、そう言いかけた時だった。
「がっ……!?」
突如、ノーマの身体から漆黒の闇が噴き出す。
それは意思を持つかのように蠢きながら、彼の肉体を貪り食うように包み込んでいく。
「──まさか!」
アドリアンが叫ぶ。彼の脳裏には、奴隷市場でカイが見せた、闇の力に取り込まれる光景が鮮明に蘇っていた。
まさか。ここまで、あの時と同じ展開なのか──!?
「や、やめ……これ以上、『世界』が繋がると──ぐっ……がぁぁ!!」
ノーマの悲鳴が響く。彼の体は闇に蝕まれながら、痙攣するように震えていた。
アドリアンは咄嗟に手を伸ばすが、ノーマはその手を振り払う。そして彼は、アドリアンではなく、その後方にいる……メーラを見て、目を見開いていた。
「あ、ああ……『世界』が、繋がった……記憶が、全て、甦る……あぁ……あぁ……!そんな……!!」
ノーマは息を切らせながら、遠くにいるメーラに向かって震える手を伸ばす。
その異様な雰囲気と、すがるような、祈るような眼差しに、メーラは足が竦んで動けなくなっていた。
「な、何故……アドリアンと……共にいるのだ……」
「──え?」
その瞬間であった。
ノーマを包む闇が急激に膨れ上がり、まるで黒い太陽のように凝縮していく。そして一瞬の閃光と共に──。
「あ……があぁぁぁぁぁっっっ!?」
──闇が内側から爆発した。
悲鳴と、轟音が響き渡り、黒い霧が晴れた時、そこにはもはや何も残されていなかった──ノーマの存在を示すものは、かすかな余韻だけ。
戦場に残されたものは、重い静寂だけだった。
「終わった……の?」
トルヴィアが、おずおずと言った。
その言葉に、アドリアンはノーマが消滅した場所を見つめ、呟くように答えた。
「……あぁ。終わったよ。全て」
その言葉を皮切りに、戦場は歓声に包まれる。兵士たちは互いを抱き合い、喜びの声を上げた。
歓声の最中、アドリアンはひとり静かにつぶやいた。
「いや、始まりか──」
その言葉は、周囲の喜びの声にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
「アド……」
背後から心配そうな声。振り返ると、メーラが不安げな表情でアドリアンを見上げていた。
アドリアンは彼女を見て、優しく微笑むと、その小さな頭を撫でた。
「メーラ、怖かったかい?いきなり力を与えてごめんね」
「ううん、私も、アドの役に立てて嬉しいの」
二人は穏やかな笑顔を交わす。その仲睦まじい様子は、先ほどまでの壮絶な戦いが嘘のようで……。
不意に、メーラがポツリといった。
「ねぇ、アド」
「なんだい?」
「──あの人が最後に、言ったことって……どういう意味なんだろう」
メーラの言葉に、アドリアンの目が一瞬鋭く、細まる。
だが、それも一瞬のこと。次の瞬間には、いつもの優しい笑顔が戻っていた。
「いいかいメーラ。死ぬ間際っていうのは誰だって見えない物が見えちゃうものさ。あまり真に受けない方がいいよ」
「そう、なんだ……」
何かを考え込むメーラに、アドリアンは彼女の手を取って、軽やかな声で言った。
「さてさて、そんな難しい顔はやめにして、大事な準備があるんだけど?」
「え……準備?」
「そう」
アドリアンが意地の悪い笑みを浮かべ、トルヴィアの方を見やる。
「帝国を救った英雄と、魔族の姫を称える豪勢な宴会のね。もちろん用意してくれるよね?『ご立派な皇姫様』?」
からかうような口調にトルヴィアは目を丸くし、やれやれといった表情を浮かべた。
「自分から褒美をせがむ英雄なんている?普通……」
「目の前にいるじゃないか。もしかして初めて見たのかい?いい勉強になったね」
そんなアドリアンとトルヴィアの軽口のやり取りに、メーラは最初こそきょとんとした表情を浮かべていたが、次第に吹き出すように笑みがこぼれる。
先ほどの不穏な予感も、戦いの記憶も、メーラの心から薄れていくように、闘技場に、穏やかな空気が満ちていった──。