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第百十話

集落の獣人たちは、俄に活気付いていた。

あのパンテラ部族を相手に、キトゥラ・シャゼイで二連勝したのだ。彼らの耳が興奮で揺れ、尻尾が左右に振られている。


「お、おい……まさか、勝っちまうのか?」


タカの獣人が翼をバタバタとさせながら呟いた。


「この人たちがこんなに強かったなんて……何者なの?」


集落の草食獣人の女性が、震える声で問いかける。

彼らは戸惑いながらも、目を輝かせていた。わずか数時間前まで絶望に沈んでいた彼らの顔には、今や希望の光が宿っている。

三回勝てば、自分たちの勝ち。そうすれば、許されるどころか、パンテラ部族に優位に立てることができる──かつて夢にも思わなかった逆転の可能性が、目の前に開けていた。


「凄い……これが、アドリアン様たちの本当の力なんだ!」


モル少年もまた、目を輝かせ興奮気味にアドリアンを見上げていた。

彼の長い耳が感動で揺れ、ふわふわの尻尾が喜びに震えている。彼の瞳にはエルフの姉妹への敬意と、英雄に対する憧れの色が浮かんでいる。


「ふふん。凄いでしょ〜!」

「ちょっと力加減失敗しちゃったけど……」


レフィーラは両手を腰に当て胸を張り、ケルナは頬を赤らめ、照れ臭そうに指先を合わせている。

アドリアンは二人の姿を微笑ましく見つめていたが、やがてモルに向き直った。彼の目には、単なる子供ではなく一人の獣人の長として認める色が宿っている。


「モル少年……いや、『族長』どの。単純な力だけを見て、尊敬する必要はないんだよ。真の強さは、弱い時でも立ち向かう勇気にあるんだから」

「ぞ、族長……」


族長という単語に今度はモルが照れた。彼の頬が赤く染まり、長い耳が恥ずかしさで垂れ下がる。けれど、その瞳には確かな誇りの色が灯り始めていた。

照れを隠すように、モル少年はとある場所を見て、口を開いた。


「つ、次はメーラ様の試合ですね……!」


モルの瞳には、美麗なドレスを煌めかせる可憐な魔族の姫……メーラの姿が映っていた。

草原の風を受け、紫紺の髪を揺らすメーラの姿は、絵画のように美しかった。小さな角が日光を受けて淡く輝き、彼女のドレスは草原の緑と空の青を背景に鮮やかに浮かび上がっている。


そして、対するはパンテラ族の戦士……。

他の戦士よりも一回り体格が小さいが、鍛え抜かれた筋肉と引き締まった姿勢が、獣人戦士としての誇りを物語っていた。その瞳に宿る気迫は凄まじく、静かに燃える炎のように、相手を……メーラを射抜いている。


「魔族の姫よ……先の二人を見るに、貴殿も恐らく、凄まじい実力の持ち主であろう。草原の戦士としての矜持にかけて、全力を以てお相手させていただく。どうか、この勝負に相応しい姿をお見せいただきたい」

「え?あ、はい……」


恭しい態度を取る戦士を目にしたメーラは一瞬きょとんとするも、すぐに平静を保ち返事をした。

パンテラ族の戦士たちにはもはや、相手を侮る視線はなかった。彼らの金色の瞳には強者に対する畏敬の念と、戦士としての矜持が織り交ざっている。

先の二戦で証明された実力に、彼らは真摯な尊敬を示していた。

そして、それは集落の獣人たちやモルも同じであった。


「お兄ちゃん、お姫さまも何かすごいことするのかな?飛んだり、壊したりするの?」

「うん、きっとすごいんだよ。だってアドリアン様と一緒に旅してるお姫様だもんね」


リスの少女、ペララの無邪気な問いかけに、モルは一層目を輝かせた。


そんな二人の無邪気な子供の台詞に、アドリアンは苦笑いを浮かべた。

しかし、レフィーラやケルナもまた、獣人たちと同じような反応を浮かべていた。


「メーラちゃん、頑張れー!」


レフィーラの声援が草原を巡る。その声に、メーラの小さな角がピクリと反応した。

二人は、帝国でのメーラの活躍を聞いていた。

なんでも、膨大な魔力でシャドリオスや黒幕を圧倒した、魔族の姫に相応しい力を持つ存在だと……。


故に、エルフの姉妹の目には、メーラは自分たちと同じく特別な力を持った仲間として映っているのだ……。


「あんまり期待しない方がいいと思うけど」

「何か言った?アドリアン」

「いーや、なんでも」


──そうして、試合が始まった。


三回戦目は、弓での射的。

遠く離れた的に、どれだけ正確に矢を当てられるかという競技だ。草原の風を読み、距離を計り、確かな腕で矢を放つ——獣人の狩りの腕前を競う伝統的な勝負である。


「いざ!」


パンテラ族の戦士が、深く息を吸い込み、弓を引き絞った。彼の瞳が遠くの的を鋭く捉え、筋肉が弦の張力に耐えている。

一瞬の静寂の後、彼の指が弦を離した。矢は風を切り裂き、鋭い音を立てて飛んでいく。その軌道は真っ直ぐ標的へと向かい、見事に的の中心を穿った。


「すげぇ……弓も得意なのか」

「あぁ、流石は大部族の戦士だ」


確かな腕前に、誰もが感嘆の声を上げる。

しかし、誰もがこれは前座に過ぎないと思っていた。

当の戦士ですら、「私如きではこれが限界か……」と半ば引き分けを覚悟している様子だった。彼の脳裏には、先の二戦での驚異的な光景が焼き付いて離れない……。


「さて……この競技は的の中心に当てた方が勝ち……正確性を競う競技だからな」


ゼゼアラが一歩前に出て言った。


「だが、魔族の姫が何らかの凄まじい力で的を粉砕したり、大地ごと消滅させたりした場合は、反則負けとする。あくまで、これは射的の競技だからな。異論はないな?」


族長ゼゼアラの言葉には露骨な警戒心が滲み出ていた。

しかしアドリアンは珍しく気まずそうな表情を浮かべ、こう返した。


「あ~……大丈夫、そんなこと心配する必要ないから」

「……なに?」


ゼゼアラが首を傾げていると、メーラの番が始まった。

メーラが弓を手に取ると、集落の獣人たちが「おぉ……」と声を上げた。彼らの耳が期待で揺れ、尻尾がリズミカルに動いている。


「魔族のお姫様はどんな魔法を見せてくれるんだろう!?」

「きっと矢に魔力を込めて、的を粉砕しないギリギリの力で命中させるに違いない!凄まじい精密さだぞ!」


獣人たちの期待に満ちた声が草原に響く中、メーラは弓を不思議そうに見つめていた。

そして、言った。


「うーん。どうやって、撃つんだろ、これ?」


メーラの小さな呟きが風に乗って周囲に届いた瞬間、獣人たちの間に静寂が広がった。


──彼女は、今なんと言った?何か不穏な言葉が聞こえたような気が……。


獣人たちが互いに顔を見合わせ、耳をピクピクと動かした。しかし、それ以上の混乱に陥る間もなく、メーラは再び口を開いた。


「まぁいいや……レフィーラさんがやってたのを真似して……」


メーラは真剣な表情で矢をつがえようとしたが、最初から何かが違った。矢を弦にかける位置が微妙にずれ、指の置き方も不自然だ。

弓を持つ左手は安定せず、右手の指で弦を引く姿勢も明らかに初心者のそれだった。

彼女が精いっぱい弓を引くと、傍から見ていた獣人たちの間に不安げなざわめきが広がる。パンテラの戦士たちは困惑の表情を浮かべ、族長ゼゼアラの眉が驚きで上がった。


「ちょ、ちょっと……あれ大丈夫か?」

「弓を引く姿が、子供みたいだぞ……」


弦がギリギリと悲鳴を上げるような音を立て、メーラの腕が震え始めた。彼女の額に汗が浮かぶ。


そして——弦が解き放たれた瞬間。


「!?」


矢は明後日の方向へと飛んでいった。

風に流され、弧を描いた矢は、遥か遠くにいた一人のタカの獣人の真横にある木に深々と突き刺さった。


「ひぃ!?」


タカの獣人が恐怖の声を上げ、羽をバタバタとさせながらヘナヘナと座り込んだ。彼の顔から血の気が引き、翼が激しく震えている。


静寂が草原を支配した。

誰もが口を閉ざし、互いの顔を見合わせている。パンテラの戦士たちは呆然とし、集落の獣人たちは目を丸くしたまま動けなかった。

そんな中、メーラは申し訳なさそうに、しかし恥ずかしそうに小さく呟いた。


「ご、ごめんなさい……!でも普通、お姫様は弓矢なんて撃たないよね?だから、しょうがないかなって。……だめ?」


ヒュウと風が吹く中、ゼゼアラがゆっくりとアドリアンに顔を向けた。

彼の顔には、何かを責めるような、咎めるような表情が浮かんでいる。

その視線に向かって、アドリアンはにこやかに笑って言った。


「……おめでとう!キミたちの勝ちだよ!」


草原に再び静寂が広がり、風の音だけが聞こえる。

パンテラの戦士の的中と、メーラの明後日の方向への矢——その結果は明らかだった。

キトゥラ・シャゼイの第三戦は、パンテラ部族の勝利である。


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