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第百二十五話

「ぐわっははは!!雑魚どもは轢き潰して進めぇ!!」

「ぎゃぁぁーーーっ!?」


先頭を駆ける、一際巨大なリノケロスの大戦士が、肩に担いだ巨大な戦斧を横薙ぎに一閃する。

轟音と共に、凄まじい衝撃波が巻き起こり、哀れな獣人たちを枯葉のように宙へと吹き飛ばした。

圧倒的な体格差、絶望的なまでの力の奔流の前に、彼らは成すすべもなく蹂躙され、吹き飛ばされていく……。


「ひ……ひぃ……!あんな化け物どもに轢き殺されるくらいなら、後ろから味方の矢に射抜かれた方がまだマシだ……!」


恐怖に正気を失ったか、一人のシカの特徴を持つ戦士が叫び、ついに耐えきれず隊列から飛び出した。仲間を盾にするように、恥も外聞もなく背を向けて逃げ出そうとする。


だが——その愚行が許されるはずもなかった。


「うぎゃっ……!?」


列を離れた、まさにその瞬間。草むらから漆黒の影が疾風の如く躍り出て、逃亡兵の背中を鋭利な爪が一閃した。

短い悲鳴を上げる間もなく、シカの戦士は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


「戦いの最中に背を見せるとは……惰弱にも程がある」


影の中から現れたのは、パンテラの戦士だった。彼は血糊の付いた爪先を軽く振るうと、まだ息がある戦士には目もくれず、再び闇へと溶け込もうとする。


「モル族長からの言いつけ通り、雑魚に構うな。殺す必要はない。我らの役割は敵の攪乱と、指揮系統の麻痺だ」


別の影から、低い声が響いた。闇に潜んでいたもう一人のパンテラの戦士が、仲間に冷静に指示を与える。

戦士たちは無言で頷き合い、再び気配を消した。彼らは戦場の影となり、狩人のように、より価値ある獲物を求めて草原の闇に潜み始める。

正面からはリノケロスの圧倒的な突進が敵陣を粉砕し、側面や後方からはパンテラの奇襲が混乱を招く──

もはや戦いと呼ぶのもおこがましい、一方的な蹂躙がそこでは繰り広げられていた。


「ええい……おのれ!我らルミナヴォレンの兵ともあろうものが、なんたる無様を晒しておるのだ!」


後方でこの惨状を目の当たりにしていたルミナヴォレンの本隊——筋骨隆々としたキツネの戦士たちは、歯ぎしりしながら忌々しげに吐き捨てた。

同胞(とは言え、元は他部族だが)のあまりの不甲斐なさに、彼らの毛並みが怒りで逆立っている。


「うむ、ここは我らルミナヴォレンの真の力を見せつけてやるしかない!」

「そうだ!我らの勇猛さで、あの雑魚どもを蹴散らしてくれようぞ!」


口々に勇ましい言葉を吐く、赤褐色の耳と尻尾のキツネの戦士たち。彼らの尻尾は威勢よく振り立てられ、鋭い牙が剥き出しにされていた。

だが……誰一人として、その場から動こうとはしなかった。

代わりに、示し合わせたかのように、彼らの視線はその後方に控える、ひときわ巨大な体躯を持つ数人のキツネ戦士——ルミナヴォレンの大戦士たちへと注がれた。


「まずは、大戦士さま方の圧倒的な御力で、敵の戦意をくじいていただくのはどうだろうか?」

「おお、それは名案だ!我らでも……まぁ、十分ではあるが、大戦士さま方の武威の前には、あのパンテラやリノケロスとて赤子同然!たちまち戦意を喪失するに違いない!」

「そうだそうだ!さぁ、大戦士さま方、我らに敵を蹂躙するお姿をお見せください!」


『ヒラ』の戦士たちが一斉に囃し立てるのを見て、背後にいた大戦士たちの巨躯がかすかに揺らいだ。

彼らは互いに顔を見合わせ、その表情には困惑と焦りの色が浮かんでいる。


「い、いや……俺たちには指揮官としての役割があるから……」

「そ、そうだ。我々が軽々しく前線に出てしまえば、この大軍の指揮系統が混乱してしまうだろう。全体の戦況を見極めるのが、我らの務めだ」


先ほどまでの威勢はどこへやら、大戦士たちの巨躯は心なしか縮こまり、自慢の太い尻尾も力なくふにゃりと地面についてしまっている。

そんな彼らの言い訳を聞いて、前列のキツネ戦士たちは一様に呆れた表情を浮かべ、戦場の最前線を指と尻尾で指し示した。


「でも、リノケロスとパンテラの大戦士たちは、最前線でガンガン戦ってますぜ?」


キツネたちの尻尾が指し示す先——そこでは、リノケロスの大戦士たちが巨大な斧を振り回し、敵を薙ぎ払い、パンテラの大戦士たちが影のように敵陣を駆け巡り、次々と戦士たちを無力化している勇猛果敢な姿があった。


「……」


大戦士たちは目とキツネ耳を忙しなく泳がせ、額からは脂汗が止めどなく流れ落ちる。

──冗談ではない!あんな手ごわそうな連中を相手にするなど、面倒くさいし、傷を負う可能性が高い!

……そんな、大戦士にあるまじき情けない考えが、彼らの脳裏をぐるぐると巡っていた。


しかし、それも無理からぬことかもしれなかった。

ルミナヴォレンとは、そういう部族なのだ。弱者に対しては限りなく尊大で残虐になるが、少しでも相手が強いと見るや、途端に尻尾を巻いて媚びへつらう。そうやって狡猾に立ち回り、この大草原で勢力を築き上げてきたのである。

しかし今回の相手は、リノケロスとパンテラ——今までとは比較にならない、正真正銘の大部族。その上、あの人間……矢を空中で止め、大戦士を蹴り一発で吹き飛ばす得体の知れない存在までいる。

これでは、戦う前から戦意を喪失してしまうのも当然の帰結と言えた。


「う……む……我らが出て行ってもいいのだが……」


周囲の戦士たちからの野次ともつかぬ催促が飛び交う中、一人の大戦士が、何かを思いついたようにポツリと呟いた。


「──ここは、族長さまに、敵を打ち砕いていただくというのはどうだろうか?」


その言葉に、他の大戦士たちの動きが一瞬、凍りついた。

そして、まるで電光石火の如く思考を巡らせたのだろう、瞬時に全員が満面の笑みで賛同に回った。


「……おおっ!それは素晴らしい名案だ!さすがは我が同胞、目の付け所が違う!」

「うむ、うむ!そうだとも!やはり族長こそが、我らルミナヴォレンの力の象徴!その御姿を見れば、敵も恐れおののき、戦わずして退散するに違いない!」


大戦士たちが次々に手を叩き、世紀の大発見でもしたかのように喝采を送る。

そのわざとらしい賞賛に、前列の戦士たちは一瞬呆れたような表情を浮かべたが、すぐに状況を察し、とりあえず賛同するように尻尾を大きく振って騒ぎ立て始めた。


──そして、その視線と声援は、一斉に軍の中央へと向けられた。


「さぁ!族長フェンブレ様!あの無礼千万なる不埒者どもに、ルミナヴォレンの真の恐ろしさを見せつけてやってくださいまし!」


先ほどまで言い訳をしていた屈強な大戦士が、今はへりくだるように手を揉みながら、軍の中央に鎮座する巨大なキツネの獣人——族長フェンブレに懇願するように言った。


「なぁにぃ……?わしに出ろと申すか……?」


呼びかけられたキツネの獣人は、ゆっくりと重そうな瞼を開いた。

その体躯は確かに巨大であったが、それは鍛え上げられた筋肉によるものではない。むしろ、贅肉によってでっぷりと太り、動きも鈍重そうだ。

豊かなはずの赤褐色の尻尾も手入れが行き届いておらず、ところどころ脂で光っている。顔も弛んだ頬肉に埋もれ、どこか締まりのない印象を与えていた。


「──馬鹿者!族長自ら前へ出るなど、愚の骨頂!少しは考えてものを言え、アホどもが!」


その一喝に、周囲の戦士たちがびくりと身体を震わせるが、すぐに一人の大戦士が指で戦場を指して、言った。


「しかし族長。リノケロスとパンテラの族長は、一番前で暴れておりますが……」


その視線の先では、イルデラが斧を豪快に振り回し、敵兵をまとめて吹き飛ばし、ゼゼアラが流れるような動きで敵の攻撃を掻い潜りながら、的確に急所を突いていく姿があった。

二人の族長は、まるで戦いそのものを楽しむかのように、嬉々として敵兵を粉砕していた。


「……あのなぁ!大将が突撃するってのは普通はおかしいことなの!そんなことしてるのは、脳筋の獣人だけ!大草原の外じゃあ、そんな間抜けなことしてる種族なんていやしねぇんだよ!」


慣れない威厳のある口調に疲れたのか、フェンブレは素に戻って太い腕を組みながら話し始めた。その弛んだ頬肉がぷるぷると揺れている。

その姿に、大戦士や戦士たちはざわざわと不満げに騒ぎ始める。


「でもぉ……相手の族長が前に出て戦ってるのに、こっちの族長が後ろでふんぞり返ってるだけってのも、士気に関わるっていうか……」

「なんていうか、理屈じゃないんスよねぇ。見てるこっちのやる気が削がれるっつーか」


次々に上がる不満の声。その様子を見て、族長フェンブレの額に青筋が浮かび、遂に堪忍袋の緒が切れたのか、でっぷりとした太い尻尾を力任せに地面へと叩きつけた。

ドンッ!!という轟音と共に大地が揺れ、衝撃波が周囲に広がる。立っていたルミナヴォレンの戦士団全員が、一瞬、宙に浮き上がるほどの威力だった。


「ええい!!四の五の言わずに、さっさと突撃せんかぁ!!まずは貴様ら戦士が突撃し、その後に大戦士が続き、最後にこのわしがとどめを刺してやる!文句があるやつは、このわしの槍の錆にしてくれるわ!」


族長フェンブレが、傍らに突き立てていた巨大な槍を引き抜いた。その体型からは想像もつかない程に俊敏な動きで、重そうな槍を軽々と頭上で豪快に振り回す。

槍の穂先が風を切り、唸りを上げるその様は、周囲の戦士たちを恐怖させるには十分だった。


「と、突撃ぃ!フェンブレ様に後ろから突き殺されるより、サイとクロヒョウに正面から殺された方が痛みは少ないぞ!」


大戦士の一人が、半ばヤケクソ気味に叫んだ。

その声が合図となり、ルミナヴォレンの本隊——赤褐色のキツネの戦士たちが、ついに重い腰を上げ、雄叫びを上げながら一斉に敵陣へと突撃を開始する。


「ルミナヴォレンが来るぞっ!お前ら、迎え撃ってやれぇ!」


リノケロスの大戦士の一人が、迫りくる赤褐色の波を前に叫んだ。

もはや、先ほどまで蹂躙されていた配下の他部族の戦士たちは散り散りになり、戦力としては期待できない。

しかし、ルミナヴォレンの本隊は違った。彼らは気絶した味方の身体を踏み越え、凄まじい気迫で突進してくる。


──そして、軍勢がぶつかり合い、金属同士がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。


「むぅ……!?こいつら、意外にやりやがる……!」


リノケロスの戦士が、キツネの戦士の振るう剣を受け止めながら、驚愕の声を漏らした。

そう、腐っても大部族。ルミナヴォレンの戦士たちは、単なる雑兵ではない。

その肉体は鍛え上げられ、サイの獣人と比べても遜色のないほどの強靭さを持ち、加えてキツネ本来の俊敏さをも兼ね備えた精強な戦士たちなのだ。

それに加え、キツネの戦士たちは兵数がこちらより、遥かに多い──


「ぐっ……!速い、だけじゃない、連携が厄介だ!」


一人のパンテラの若き戦士が、三人のルミナヴォレン戦士に囲まれ、焦りの声を上げた。

鋭い爪と短剣で必死に応戦するも、多方向からの攻撃に捌ききれず、体勢を崩される。


「しまっ……!」


足がもつれ、わずかに体勢が崩れた瞬間を見逃さず、ルミナヴォレンの一人が槍を突き出す。

──ここまでか!

パンテラの戦士が死を覚悟した、まさにその瞬間である。


突如、戦場を切り裂くように、白い閃光が迸った。それは地を駆ける流星の如く、若きパンテラとルミナヴォレン戦士たちの間に割り込むように現れた。


「ぎゃあああっ!?」

「な、なんだ!?」


閃光が通り過ぎると同時、パンテラに襲い掛かっていた三人のルミナヴォレン戦士たちが、見えない力に弾き飛ばされたかのように宙を舞い、地面に叩きつけられて沈黙した。

何が起こったのか理解できないのは、助けられたパンテラの戦士も同様だった。


「……!?」


白い閃光が収束し、そこに立っていたのは——黒髪の青年。

ウサギの長い耳を風になびかせたモル少年を背負い、戦場を舞っているのだ。


「さぁ、モル族長!この便利な『英雄』という名の道具に、的確なご指示を!もちろん、戦後の賠償請求とか、捕虜の扱いとか、そういう面倒な後始末のこともちゃーんと考慮した上で、ね?」


白い英雄の軌跡が、混戦模様だった戦場に、再び新たな秩序の風を吹き込もうとしていた。


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