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第百五十六話

──少しだけ、時間は遡る。


これは、レフィーラとグレイファングが互いの誇りを賭けて激突し、戦場に絶望の闇が訪れる、少し前の物語……。


セルペントスの女王ナーシャの私室。

アドリアンが放った、あまりにも突拍子もない提案に、ナーシャはしばらくの間言葉を失っていた 。

やがて彼女は我に返ると、目の前の人間を心底馬鹿にしたような目で、冷ややかに言い放った。


「……な、何を馬鹿なことを申しておる。覇権じゃと?このわらわと貴様が?」

「そう……実はね?俺は──霊脈を救うことが出来る、世界でただ一人の英雄なんだ。驚いた?」


──霊脈の、復活?


「『聖地』にさえ入れてくれれば、何とでもなるんだけど……どうせ頭の固いモフモフたちは大草原の聖地に、俺みたいな見知らぬ人間を入れてくれるわけないし。それなら俺が覇権を握って、命令してやろうって思ってるんだよね。『我こそは霊脈を復活させることが出来る大英雄である!さぁ、道を開けい!』ってな感じでさ」


それを聞いたナーシャは一瞬、動きを止める。だが、それも一瞬。

ナーシャはふん、と鼻で笑い、言った。


「大草原の根源的な問題……リガルオンの王ですら成しえなかった『霊脈の枯渇』という絶望を、貴様のようなどこの馬の骨とも知れぬ人間一人に、解決できるとでも思うてか。夢物語も、大概にするがよいわ!」


だが、そんなナーシャの冷ややかな拒絶にも、アドリアンは全く動じる様子を見せない。

彼は「よくぞ聞いてくれました!」とでも言わんばかりに、ぱあっと顔を輝かせ、自信満々に胸を張った。


「いやいや、女王様。その認識は、ちょーっと、いや、かなり間違っているね。このアドリアンに、不可能という文字はないんだ。──そうだよね?メーラ姫」


突然話を振られ、メーラは「えっ!?」と小さな悲鳴を上げ、その身体をびくりと震わせる。

そして、アドリアンの笑顔を見て、必死でその言葉を合わせた。


「え……?あ、そ、そうなんです!アドは……じゃなくて、我が騎士アドリアンは、何でもできてしまう、最強の英雄でして……!その……不可能を、可能に、してしまう、みたいな……?はい!」


しどろもどろになりながらも、なんとかそう言い切ったメーラの額には、びっしりと冷や汗が浮かんでいる。

そんな胡散臭い主従のやり取りを、ナーシャは心底訝しげな視線で見つめていた。

彼女の反応など、初めから分かっていたとでも言うように、アドリアンは不敵に笑う。


「言葉だけじゃ、信じられないか。……まぁ、当然だよね。じゃあ、見せてあげるよ。俺が、この大草原の『希望』になれるっていう、その証明をね」


そしてアドリアンはナーシャの返事を待つことなく、静かに言った。


「広場に行こう。その黒い石と一緒に。……あ、折角だから、里のみんなにも声をかけてくれないか?これから、とびっきり『面白い』ものを、見せてあげるからさ」

「貴様……まだそんなことを……いや、まぁいい……」


アドリアンの自信満々な言葉にナーシャは嘲笑を浮かべる気力もないのか、冷ややかに、そして諦めきった視線を向けるだけだった。


「……ふん。貴様の茶番に、最後まで付き合ってやろう。だがもし、それがくだらない冗談であったのなら……その時は貴様には、この里から出て行って貰おうか」


最後の強がりにアドリアンは、にやりと深く笑みを浮かべた。

そして、どこか遠くを見るような、切なげな瞳で静かに呟く。


「大丈夫。……君が、ずっと夢に見ていた、素敵な景色が見られるはずだから──」


アドリアンの呟きは、誰の耳に入ることもなく、部屋の静寂に消えていった




♢   ♢   ♢




──セルペントスの隠れ里、中央広場。

女王ナーシャの、有無を言わせぬ絶対的な命令の下、里の獣人たちが、何事かと集まってきていた。


「なんだなんだ?」

「英雄様と、魔族の姫様が面白いものを見せてくれるって!」


彼らは遠巻きに好奇の目で、広場の中央に立つ、異質な三人組——アドリアン、メーラ、そして彼らの女王であるナーシャを見つめている。

奇妙な沈黙を破ったのは、アドリアンの快活な声だった。


「やぁやぁ、セルペントスの心優しき蛇の皆さん!お集まりいただき、誠にありがとう!英雄アドリアン、メーラ姫、更には君たちが誇る、美しくて気高い女王ナーシャ様による、最高のショーへようこそ!」


アドリアンは、唐突に大げさな身振り手振りで高らかに演説を始めた。

その前口上に、ナーシャはこめかみに青筋を浮かべ、メーラは恥ずかしそうに顔を赤らめる。

集まった里の者たちも、困惑の表情を浮かべるばかりであった。


「これからお見せするのは、この大草原が抱える、全ての悲しみを希望へと変える、奇跡の大魔法……の、前に!」


アドリアンはそこで一度、大げさに言葉を切る。


「いきなり本番じゃあ、味気ないからね。まずは、英雄の小粋な魔法で、少しばかり場を和ませようじゃないか。ほら、例えばこんなのはどう?」


アドリアンが、パチンと軽やかに指を鳴らす。


「……!?」


するとどうだろう。広場の地面から色とりどりの、キラキラと輝く光の蝶が何百、何千と一斉に羽ばたき始めたのだ。

光の蝶たちは優雅に楽しげに、集まった里の者たちの周りを乱舞し、燐光で薄暗かった里を、幻想的な光で満たしていく。


「わぁ……!」

「きれい……!」


蒼く光る、美しい光景。

里の子供たちから、感嘆の声が上がる。大人たちもまた、不思議な光景に、見惚れていた。

しかし、アドリアンのショーはまだ止まらない。


「お次は、これだ!」


アドリアンが、今度は地面を軽く踏み鳴らす。

すると、広場の石畳が鍵盤のように、ぽろんぽろん、と澄んだ優しい音色を奏で始めたではないか。

獣人たちが、驚いて足元……というよりかは、蛇の胴体を見るたびに、歩みに合わせて石畳が楽しげな音楽を奏でる。


「おもしろーい!」

「きゃっきゃっ!」


子供たちは大喜びで広場を跳ね始め、軽快なメロディーとなって里全体に響き渡った。


「わ、すごい……!」


そんな楽しげな光景に、メーラもまた目をキラキラと輝かせ、思わず手を取り合って踊りだしそうになる。

しかし、ふと隣に立つナーシャの表情を窺うと——。


「っ!」


彼女は腕を組み、美しい顔に「くだらん」とでも言いたげな不機嫌極まりない表情を浮かべて状況を冷ややかに見つめている。

その表情を見たメーラは、はっと我に返ると慌てて背筋を伸ばし、はしゃぎたい気持ちをぐっと堪えるのであった。


「どう?ナーちゃん。楽しんでるかい?」


楽しげで平和な光景が繰り広げられる中、いつの間にか、アドリアンはナーシャの傍らに寄り、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

馴れ馴れしい呼び名と、全てを見透かしたかのような視線に、ナーシャは苛立ちを隠そうともせず言い放つ。


「これが、貴様の考えた『面白い光景』か?奇術師としては一流のようじゃな。それで?この光景を見て、霊脈を復活させられるという、大層な『英雄様』の言葉を、どう信じろと申す?あと、次ナーちゃんと呼んだら殺す」


ナーシャの冷ややかな言葉に、アドリアンは苦笑いを浮かべると、懐から不吉な『黒い石』を取り出した。


「さぁ、それは、今からのお楽しみだ。よく見てなよ『ナーちゃん』」


そうしてアドリアンは広場の中央へと、ゆっくりと歩き出す。

幻想的な光の蝶が舞い、楽しげな音楽が流れる広場の中を——。


「……」


その光景とは裏腹に、ナーシャの美しい虹色の尻尾は抑えきれない苛立ちから地面をバン、バンと激しく叩きつけていた。

横に立つメーラは、ナーシャを挑発するようなアドリアンの態度に憤りを覚えながらも、(早く、早くなんとかして……!)と、心の中でただ祈るばかり。


そんな彼女の内心など知らず、アドリアンは広場の中央で、手に持つ「黒い石」——霊脈の死骸を、天高く掲げた。


「さぁみんな!これからお見せするのは、そこらの手品師がやるような、ちゃちなトリックじゃない!英雄アドリアンが持つ、正真正銘の奇跡の力だ!」


それまで、アドリアンが作り出した幻想的な光景に夢中になっていたセルペントスの民衆が一斉に彼へと視線を向ける。

彼らの視線はアドリアンが掲げる、不吉な黒い石へと注がれていた。

そして、次の瞬間であった。すぐさま、広場の空気は全く別の神聖な光景で上塗りされる。


「──『星の涙』。今一度、この英雄の願いを、聞き届けてはくれないか」


アドリアンの静かな祈りの言葉に応え、彼の全身から青白い光が溢れ出した。


──それは、夜空に散らばる星々を身に宿したかのような優しくて、清浄な輝き。

光の粒子はアドリアンの身体から解き放たれると、一つ一つが生命を宿したかのように広場の上空で優雅に舞い始める。


「な、なんだ……?あの光……」

「わからん……でも、見てるとなんだか安心して……」


やがて無数の光は、一つに収束するかのようにアドリアンの掲げた手のひらの上へと集まっていった。

そして、光が形を成した時——そこには、この世のいかなる宝石よりも美しく、神々しい輝きを放つ一振りの光の玉が顕現していた。

ナーシャもメーラも、そして広場に集まった全ての蛇の獣人たちも、ただ息を呑み奇跡の顕現を見守る。


「やぁ、久しぶり。いや、違うか。ずっと一緒にいたんだよな。じゃあ……これから、俺がしたいことも、分かるよな!」


アドリアンは旧知の友に話しかけるような気軽さで、光る玉に話し掛ける。

これこそが英雄が持つ最強の力。至高の概念。世界が英雄に託した救世の光──『星の涙』。


「──」


星の涙は、アドリアンの言葉に頷くように何度か光る身体を上下させると、彼の手の中にある黒い石を優しい光で覆い尽くしていく。

そして、その光はどんどんと強まっていく──。


「ま、まぶしい……!?」


黒い石が、眩い光を放った。

石とは思えぬほどの、強烈な輝き。広場にいた全ての獣人たちが、思わずその腕で目を庇う。

光が里全体を白く染め上げ、そして、それがゆっくりと収まっていった時——。


「な、なに……?」


ナーシャが、呆気にとられた声を上げた。

アドリアンが掲げていた石——霊脈の死骸であったはずのそれは、今や不吉な黒色を完全に失い、生命力に満ち溢れた透き通るような翠色の輝きを放っていたのだ。


──だが、それだけではない。


「!?」

「う、うおお!?なんだ!?地面から、花が!?」


浄化された霊石が、心臓のようにドクンと一度大きく脈打つ。

すると、石を中心として乾いていたはずの大地から、次々と色とりどりの花が早送りでもしているかのように一斉に芽吹き始めたのだ。


「なに、これ……?」

「そ、そんな……大地が、喜んでる?」


あっという間に。殺風景だったはずの広場は、生命力に満ち溢れた、美しい花畑へと姿を変えていく。


「ば、馬鹿な……霊脈の死骸が、生き返った……?う、うそだ!うそ!うそよ……!そんなこと、出来るはずがないじゃない!」


信じられないものを目の当たりにし、ナーシャは女王の威厳などかなぐり捨て、素の……ただの少女のような口調で、声を荒げた。

美しい花畑の中で、一人震える彼女を前にしてアドリアンは悪戯っぽく微笑んだ。


「おや、まだ驚くには早いんじゃない?これからが奇跡の本番だからね」

「本番……?」


呆然とするナーシャに、アドリアンは先ほど浄化したばかりの生命力に満ちた輝きを放つ石を、そっと手渡した。ナーシャはアドリアンと石を交互に見るが、そのうちに恐る恐るその石を受け取った。


「うそ……本当に、生きてる……。温かい……」


手に伝わる温かく力強い脈動は、まさしく生きている霊脈の一部であると彼女に確信させた。

そして、彼女の横で先ほどから輝き続けている『星の涙』の光が、アドリアンの手の中で次から次へと形を変え始めた。


「さぁ、ナーちゃん。昔、『約束』したよな。俺が、この里にかけられた、悲しい呪いを、解いてあげるって」

「──え?」


蝶の形。花瓶の形。星の形。

そして、最後に。アドリアンの手の中で、無数の光の粒子が一つの形に収束していく。


──星涙剣。


それは、英雄の最強の武器。

悲しみも、憎しみも、喜びも——、全ての者の想いが希望となって詰まった、世界の光。


「な、なに……それ……?」


あまりの神々しさに、ナーシャは戦慄してそう呟いた。アドリアンは、ナーシャの言葉に、微笑むだけだった。

そして……神々しい輝きを放つ星涙剣を、天高くへと力強く掲げる。


「──星涙剣ステラクライ。俺とキミで、この暗い場所を明るくしてあげよう!みんなが、日光浴が出来るくらいにね!」


アドリアンの宣言と共に、彼が掲げた星涙剣から、蒼き光の奔流が、天へと真っ直ぐに昇っていった。

光の奔流は天に達すると、漣のように空全体へと広がっていく。

そして、光に呼応するように、長年セルペントスの里を覆い尽くしてきた鬱蒼とした木々の天蓋が、ゆっくりと枝を動かし始めた。


「み、見ろ!木が……木が、動いてる……!?」

「嘘だろ……?だって、この木は、『呪い』の……!」


──そして。

閉ざされていた空の、ちょうど里の真上だけが、円形に綺麗さっぱりと晴れ渡っていく。


「お……おぉ……!なんて、なんてことだ……!」


何百年、いや、何千年ぶりかに。

暖かく優しい太陽の光が、一本の巨大な光の柱となって里の中央広場に、燦燦と降り注いだ。

光は里の淀んだ空気を浄化し、湿った大地を乾かし、獣人たちの肌と心に忘れかけていた希望の温もりを優しく届けていく……。


里の獣人たちは、どこまでも広がる「青い空」と肌を照らす「太陽」の光に、言葉を失いただただ天を仰ぐ。

やがて、誰からともなく感嘆の声が漏れ始めた。


「あ……あたたかい……」

「里に、光が……?夢……じゃないよな?」


それは、やがて嗚咽となり。

そして、最後には里全体を包み込む、歓喜の叫び声へと変わっていった。


「うおお……!アドリアン様、万歳!万歳!」

「湿地の外に出ずとも……こんなにも太陽が、太陽の光が、この里に注がれるだなんて……!夢のようだ……!」


民衆の歓喜の声が、広場に……いや、里全体に鳴り響く。

メーラは爆発的な喜びの光景を、首を傾げながら不思議そうに見つめていた。


(みんな、太陽の光が見えてすごく喜んでる……?でも、どうしてこんなに……?)


確かに、太陽の光は暖かくて気持ちがいい。

でも、彼らは好き好んで、薄暗い隠れ家に住んでいたのではなかったのだろうか?

むしろ、こんなに天蓋が開けてしまっては、外敵から身を隠すという里本来の機能が失われてしまう。普通なら、怒ってもおかしくないはずなのに……。


そんな、メーラの純粋な疑問など、もはや誰の耳にも届かない。


「……うそ、だ」


そうして、女王ナーシャも。

理外の光景に、呆然と立ち尽くしていた。

女王としての威厳も、先ほどまでの怒りさえも忘れ。生まれて初めて見る宝物のように、そっと……光の柱の中へと、白い手を差し伸べる。

手のひらに当たる陽光の暖かさ。それを感じ、彼女は呆然と空を見上げ、青空と太陽を視界に入れる。


「……」


アドリアンは、彼女の横顔を静かに見つめていた。

目の前に広がる太陽の光を見上げ、無防備な少女の顔に戻っている、ナーシャ。


──だけど、その姿が。

アドリアンの脳裏に焼き付いて離れない『もう一人のナーシャ』の記憶の扉を、容赦なく開けてしまう。


(あぁ……そうだったね)


現在の里の民たちの歓喜の声が、アドリアンの意識から、すっと遠のいていく。

目の前のナーシャの横顔が、かつての戦場で隣を走り、時には背中を預け合った快活で、誰よりも優しい笑顔を浮かべていた戦友の顔と重なって……。


(君はいつだって、真っ直ぐに空を見上げていた)


アドリアンの脳裏に、鮮やかにかつての彼女の声が響き渡る。


『──私ね。いつか、里の呪いを解いて……みんなと一緒に思いっきり太陽の光を浴びたいんだ』


声が、聞こえる。


アドリアンと共に戦い、大草原を駆け……。


──そして、その手で葬り去ってしまった、一人の蛇の少女の願いの声が——。


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