それを見ていた篠田さんが、「ユウは反抗期なんだよ、ちょうど」と香月さんに話す。
「反抗期って。遅すぎんだろ」
「今なんだよ。今。ユウは今甘えてんの。施設にいた分だ」
いくつかの視線が篠田さんに集まる。 睨みつけるユウちゃん、そんなふたりを見つめる香月さんとアンとわたし。翔子さんはわざと聞いていないふりをした。
「夏希ちゃんには言ってなかったな。ユウは、養子なんだ」
篠田さんは聞かれてもいないことを明け透けに話した。自分たちに子どもができなかったこと、そして広島の知り合いの伝手で、ユウちゃんを引き取ることになったこと。篠田さんはひどく疲れていたようで、いつもより酔いが回っている。「血のつながりがなくたって」と、何度も同じところに戻ってきては繰り返し言った。饒舌に語ったのは、何も悪いことではないと考えているからかもしれない。誇らしそうな顔にも見えた。
香月さんもアンも、どこか居心地が悪そうではあるものの、ゆっくり首を振るだけの相槌を打つ。隣に座る翔子さんは、篠田さんを放ったままカウンターに並んでいたポテトに手を伸ばした。
篠田さんはわたしが知らない話だと思っているため、終始こちらを見ながら昔話をする。頬が不自然に動く。わたしのぎこちない笑顔に気付くほど篠田さんは冷静でない。
幸い本人から聞いた範疇の話だったが、正直言いふらされるなんてとてもじゃない。迷惑な話だ。
「先帰ってますね」
案の定、飲みの席で自分の身の上を話されたことに不快感をあらわにしたユウちゃんは、席を立った。
「まってよ、ユウちゃん」
わたしが彼を追うように席を立つ。動きのないカウンターとは正反対に、後方のテーブル席は誰もいなくなった。カウンター越しにアンの視線を感じたが、気づかないふりをした。
篠田さんが飲みすぎるとこうなってしまうなら、なおさらユウちゃんを気に掛けるべきじゃないのか。
直接話をしないと、自分の内にいるアンの気の利かなさにどんどんいらだってしまう。本当かどうかも分からないのに、頭の中で仮定しては、年下の面倒見の悪さに腹が立つ。
「じゃあ外散歩しよ。気晴らしに」
わたしもわたしだった。面白がっているのは香月さんだけで、アンは仏頂面。篠田さんはようやくユウちゃんの顔色の変化に気づいたようで、平謝りしている。翔子さんはそんな男たちの様子に呆れてか、飲み物をいつもより多く口に含んだ。
「行っておいでよ。お姉さんとデートしてきな」
この混迷を極めるフロアをさらにかき混ぜたのは、翔子さんだった。篠田さんの勢いが衰えたところで、翔子さんはいつものおちゃらけた態度を取り戻す。
「じゃあ川沿いの遊歩道まで」
わたしはエプロンをカウンターの隅に置き、「すぐ戻ります」とだけ言って、ユウちゃんを外に連れ出した。
お店の重たいドアを開けると、目の前の螺旋階段の先に人影が見えた。
「あら」
階段を降りて来たのは、なんと芦谷さんだった。薄手の羽織ものを肩にかけ、こんな時間にシックなバッグを肘にかける。見た目だけは品の良いマダムだ。
「どうしたんですか。こんな遅い時間に」
時刻は、23時を過ぎていた。閉店まで1時間を切っている。
「携帯電話を忘れてないかしら。バッグになくて」
「なんだ! 言ってくれればよかったのに」
「何言ってんのよ。あなた働いてる時間でしょ。わざわざ忙しい時間に行くようなことでもなくてね……って、今はお楽しみの時間だったかしら」
わたしの後ろに男の子が隠れていることに気づくと、芦谷さんは「お邪魔したわね」と言って、そのままお店に入ろうとした。
芦谷さんがお店のドアに手をかけたとき、ユウちゃんがドアを押さえた。ここ初めて、彼の手が大きかったことに気づく。引いたはずのドアはそれ以上開かない。
急に伸びてきた腕に驚き、芦谷さんは思わずドアから手を離した。そして男の子の顔を訝しむように見つめる。
「あら? あなた、もしかして――」
ユウちゃんはここ一番に緊張した面持ちで、バーのドアの前に立っていた。
わたしは「携帯探してきます」と言い残し、ひとりお店に戻った。
フロアのみんなに不思議がられたが、芦谷さんが忘れた携帯電話を取りに来たことを伝えると、フロア総出で辺りを探した。香月さんとアンはカウンターの中や奥の部屋を入念にチェックする。
いつも芦谷さんがバッグを置くかごの中に、携帯電話が不自然にひとつ入っていた。
ふたりが話し終えたころを見計らって、そっと入口のドアを開ける。話の途中で流れは分からないが、不穏な空気は感じない。ひっそりと胸をなでおろしていると、ユウちゃんがわたしの視線に気づいた。
「あ、すみません。携帯電話ありました。かごの中に」
「やっぱり落としてたのね。悪かったわね」
感動の再会だというのに、芦谷さんは普段と変わりないように見える。目元もすっきりしている。涙にぬれた様子はない。それはユウちゃんも同じだった。
あんな誰にも分からないようなメッセージをぽつぽつと残してしまうほど会いたかったんじゃないのか。
ふたりの仲が、なおさら分からない。
「じゃあわたしはこれで」
まだ話足りないかと思い、わたしはそそくさと店内に戻ろうとした。するとユウちゃんが、「川、行かないの」とわたしに声をかけた。
「川? あなたまだそんなことしてるの? こんな夜更けにだめよ、まったく」
「違うって。それにもう子どもじゃない」
「大人でもだめよ。こっちは都会なんだから。
世話を焼く芦谷さんに、ユウちゃんは押し負ける。でもこれが本当の彼なのだと思うと、とても新鮮だった。