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第118話:家族

 翌週、今日で遊佐さんとの同行訪問も終わりと言うころ、いつになく遊佐さんと千賀さんの間の空気が悪かった。

「働かないって言ってんじゃん」

 あからさまに不機嫌になる千賀さんをよそに、遊佐さんは自分の訪問バッグに手を伸ばした。

「今の体調なら、訓練所とかに通ってもいいと思います。いつまでも働かないわけにもいかないし。体調に不安があるなら、A型の作業所はどうですか」

 遊佐さんが訪問バッグから出てきたのは、近所にある就労継続支援A型の作業所の案内パンフレットだった。パソコンを覚えたり、くじ引きを作ったり、チラシの間にポスターを挟むような軽作業がメインだ。働く時間も短くでき、融通が利く。一般就労よりはだいぶハードルは低い。

「薬の副作用でだるいから無理」

「外に出ることはできていますし、今の状況だと徐々に始めても。もちろん見学もできます。ご自身に合う作業所を選べますよ」

 千賀さんは、ギッときつく遊佐さんを睨みつけた。

「またお母さんがなんか言ったの?」

 遊佐さんは動じることなく、「お話はしました」とだけ答える。


 今日の訪問に入る前、遊佐さんの社用携帯に千賀さんのお母さんから連絡があった。実のところ、ここ最近は訪問の様子を伺う電話が頻繁にかかってきている。

 同行訪問の日は、前の訪問を終えた遊佐さんとクリニックの裏手に待ち合わせるのだが、このときによく電話がかかってくる。もちろん横にいるわたしにも会話は筒抜けだ。

 千賀さんのお母さんは、日中どこかに居場所があればと願っていた。彼女はまだ21歳若く、発達障害も治るようなものでもない。訓練も受けず、いつまでも働かず、駅前をプラプラしている現状を悲観していた。

 そんなお母さんに担当の相談支援員がすすめたのがA型の作業所だった。持参したパンフレットも、相談支援員が手配してくれたものだ。

――障害や難病によって、働くことが難しい人や就職に不安を抱える人が、一定の支援を受けながら働くことができる福祉サービスのひとつです。

 分かりやすいパンフレットは、お母さんにもあらかじめ渡してある。

 疑問に感じたことは相談支援員に聞けばいいのに、なぜか遊佐さんも連絡が来た。その度に対応する遊佐さんは真面目だ。お母さんの不安に耳を傾け、作業所について何度も説明をする。そんなお母さんの苦悩に多く触れてきたせいか、今日の遊佐さんはいつになく強い口調だった。

「いつまでも甘えてはいられないですよ。遊びに行ける気力も体力もあるでしょう」

「新型うつだから。わたし」

「誰が言ったんですか」

「知らないの? テレビでもネットでも言ってる」

「診断は医師しかできません。気になることがあれば、眞鍋先生に聞いてみてください」

「めんどい。調べればすぐ分かるし」

 千賀さんは終始この調子だ。体調や精神の状態を見てこちらが助言しても、就労の件を出すと、以降の訪問は話にならない。しまいには「健常者に何が分かんだよ」と怒鳴り始める。


 そのとき、急に玄関のドアがガチャガチャと音を立て始めた。入ってきたのは、合鍵を持つお母さんだった。

 薄い色のスーツ姿で髪を一本にまとめる姿は、絵に描いたような学校の先生だ。千賀さんのこともあり日中働けなくなったお母さんは、夜の塾講師に転職していた。これから出勤だろうか。

「いつもお世話になっております。今日はもうひと方一緒だったんですね」

 お母さんはわたしを見るなり、「娘がお世話になります」と深々頭を下げた。千賀さんとは似ても似つかない、落ち着いた常識的な人だ。

「なに」

 千賀さんは気怠そうにお母さんを見た。

「ひな子、また勝手に契約したでしょ」

 そう言ってお母さんは千賀さん宛ての郵便物を広げた。

「いいって。ポスト勝手に開けないでって言ってんじゃん」

「見ないじゃない。1日に1回は確認してって言ってるのに。すぐごみ箱になって……」

 どうやらお母さんは、出勤前に千賀さんのアパートの外に設置された郵便ポストの片づけをしていたようだ。黒いA4サイズが入る合皮のバッグから取り出したのは、美容系のサプリの定期購入完了の知らせだ。しかしよく見ると、同じ企業からの封筒がいくつもある。

「お金はどうするの」

 赤い文字で「〈重要なお知らせ〉」と記された封筒から出てきたのは、未支払いのお知らせと振込用紙だった。

 ふたりが言い合う横で、わたしはテーブルに雑多に置かれた書類を読んだ。最初の契約の時点で、3ヶ月の定期コース継続が定められている。その分の金額は払わないといけないし、大きく印字された980円は初月だけで、2か月目からは7980円の通常の値段に戻るらしい。

 わたしは同じく静かに座っていることしかできない遊佐さんに、ひっそりと聞いた。

「通販にクーリングオフ制度は適用されないんでしたっけ……?」

「されません。みんなこれに引っかかるんです。何度も。そしてそのお金は自分で払えず、たいてい家族が肩代わり」

 書面の下部を遊佐さんが指さした。確かに小さな文字であれこれ重要なことが書かれている。そんな部分を丁寧に読める人は限られていて、結局今回もお母さんが肩代わりすることになった。ため息は伝播する。コールセンターに電話し終わったお母さんは、部屋に入ってきたときよりやつれていた。

 千賀さんがトイレい言ったとき、お母さんがわたしたちの方を向いて言った。

「先月もスマホゲームに55万ですよ……もう生活できません。早くどこかで見てもらわないと……」

 ソシャゲに大金を使ったことを打ち明けてきた。

「55万⁉」

 わたしは思わず金額を聞き返した。遊佐さんは驚きもせず、口をつぐんでいる。

 結局そのときも返金はされず、母が肩代わりするしかなかったと言う。


 訪問からの帰り道、言い合う親子を見て、わたしはこれから自分に何ができるのかを考えていた。

「お母さんが不憫で。早くデイケアとか就労継続支援とかにつなげられればいいんですけど。なんせ本人があの調子じゃ……」

 どうしたらいいんですかね、とこぼすと、遊佐さんは「近々サ担を開けないか相談してみようと思います」と言った。「サ担」とは、サービス担当者会議のことだ。千賀さんを支援する医療・福祉の関係者が集まって、今後について協議する。

「それがいいですね。ありがとうございます」

 訪問看護だけでは手に負えない。支援者が多くいることを千賀さんに見せるだけでも、何か変わるかもしれない。



 冬に近づき、17時を過ぎた外は暗くなっていた。

「ああいうのを見ると、まじめに働いているのが馬鹿らしくなりませんか。わたしも親にお金出してもらって好き勝手遊びたい」

 うふふ、と笑う横顔を、わたしはそのまま返すことができなかった。

「このまま上がりなら飲んでいきませんか。わたし、このあとバーで働いているんですよ!」

 クリニックからもわりと近くなので、と言って少々強引に遊佐さんを「Toute La Journée」に誘った。

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