あまりにもふたりが同じ顔をするので、わたしは思わず笑ってしまった。
「結構シリアスなこと言ってたと思うけどね、遊佐ちゃんは」
香月さんは、やんわりとわたしをたしなめる。
「わかります。わかりますけど。ふたりがあまりにも面白くて」
うふふ、と笑うわたしを見て、香月さんとアンは顔を見合わせて首を傾げた。
「みんな仲いいんですね。バーテンダーさんたちも、瀬野さんも。うらやましい」
遊佐さんは口元を緩めたが、その目の奥は光を失っている。
そう言えば遊佐さんと仲のいいスタッフは聞いたことがない。世代も違うからかもしれない。同世代だった伊倉さんは産休に入ってしまったし、他のスタッフはみな50代だ。小さなクリニックでは看護師も数えるくらいしかいない。何より、訪問中は基本ひとりだ。
「訪問看護って、話し相手いないですもんね」
「そうですね。ひとりで回れるのは気楽でもありますけど」
苦いお酒をものともせず、遊佐さんは口元へ運んだ。すでにグラスの中のお酒はあと数センチまで減っていた。
開店したばかりの店内にまだお客さんは来ない。3人も出ていれば手が余った。わたしはカウンターの内側にいながらも、しばらく遊佐さんとの話に耽っていた。
話題が今日の千賀さんの件に戻ってきたころ、ふたたび遊佐さんの表情が険しくなった。好いていないことは明らかで、お酒が入った唇からはとげとげしい言葉が並ぶ。
「あの子、働けるんですよ。今のはただ駄々をこねているだけです。障害じゃない」
そして「羨ましい」とつぶやいた。
「ずっと受け持ちだったんですもんね」
「いやいやですよ。誰もいないから引き受けていたに過ぎません。訪問ルート的にわたししか入れなくて、何年もずっと。もう5年は経ちますかね。……今のあの子は、障害でもなんでもない、ただのわがままです。出来るんです。これを受け入れてはだめです。この先何十年が変わってしまう」
何年も見て来たからの感覚なんだと思った。正直わたしにはそこまで見抜くことが出来ない。
とは言え、遊佐さんが言うように就労訓練の場は大切だ。仕事をするということだけではない。日中の活動場所があるということは、朝晩の生活リズムを整うし、役割を持つことで自己肯定感を高めることが出来る。なにより彼女が苦手な人付き合いの練習にもなる。
しかし、障害と性格と言うものは切っても切り離せない。卵が先か鶏が先か。互いに作用し合う。服薬で精神症状が落ち着いても、どっちが本当の自分なのかと悩む人もいるほどだった。
「受け持ち、もう外れようと思ったんです。だから瀬野さんを同行につけてもらいました」
突然の告白に、また聞いていないふりをしていた男性陣がざわつく。
「今までいろんな患者を見て来たはずなんです。それなのに、あの子の意地汚いところを見て、もう生理的に無理になってしまいました」
口にした本人でさえ扱いきれない強い拒絶に、わたしは何と返していいか分からなかった。
どんな言葉を返しても安っぽく、中身が伴わない。この苦く重たい苦悩は、きっと千賀さんと正面から向き合い続けてきた彼女にしか出ない。
「わたし、お金がない家庭で育ったので看護師になったんです。お金のためと割り切るには、病院勤務の方がいいですね。訪問看護は距離が近すぎて、半ば何かつながりでもあるような、まったくの他人に思えなくなってしまうところがだめです。……今日だってそう。千賀さんのお母さんはご苦労されているでしょうが、スマホのゲームに55万も課金してしまっても、『払ってくれる実家があるじゃない』と思ってしまって」
冷めた笑みを浮かべる彼女を見て、誰も釣られて笑うことはない。生活の中に入っていく弊害を初めて感じた。一対一でじっくり時間を取れることは、いいことばかりではなかった。
わたしは個人でなく、もっとぼやかした、一般化した話をと考えていた。その矢先、遊佐さんは話を続けた。
「きれいなものしか見たくないってこと、瀬野さんにはないんですか」
カウンターにいた全員が手を止め、遊佐さんの方を見た。その中で一瞬だけ、アンがちらりとわたしの方に目をやった。
「きれいなもの、というと?」
わたしは恐る恐る、遊佐さんに聞き返した。もしかすると、開けてはいけない箱を開けてしまったかもしれない。遊佐さんはあまりにも普段通りのクールな表情で座っているので、酔っているのかどうかもはっきり分からない。
「こんなこと言ったらだめですけどね。もうあんまりにも仕事で精神疾患の嫌な面ばかり見るので、プライベートでは一切関わりたくないんです。独語がひどい人とか易怒性高い人とか、駅や通りでたまに見ますけど、正直避けてます。幻聴聞こえてそうだなって人が道端にいたら、そっと離れるんです」
カウンターに立っていると、お茶を濁すように、グラスに口を付ける人をたくさん見る。しかし遊佐さんは違った。まだお酒が入っているというのに、グラスはコースターの上に置かれたままだ。