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第121話:訪看の苦悩

 クラフトコーラを出し始めるとき、ポップを考えた。

――今日を、ちょっぴり特別な日にしたいあなたへ

 その言葉に込めたのは、お客さんが自分と向き合う時間にしてほしかったからだ。そしてほんの少し、愚痴や悩みを吐露してくれるような、そんな環境を作ることが出来ればと思っていた。

 しかし現実は、そんな雰囲気の良いものではなかった。遊佐さんは仏頂面で、むしろどこか怒っている。

「みんなそうじゃないですか。易怒性高い人なんて、何が原因か分からないですし。手なんか出たら、こっちが怪我するかもしれない」

 苦し紛れに共感を示す。名前がついていると安心するのは周りにも当てはまるのかもしれない。

「でもそれは、訪問でも一緒だと思いませんか。病気だと分かっている。障害だと知っている。……それだけですよ。訪問して、一対一になって怪我をしない保障はない。言いがかりをつけられるかもしれない。ご家族がいる場合もありますが、独居の方だったら敵わない」

「わたしは、できることも増えるのかなって。病名や障害名が分かっていれば、癖やゆがみをできるだけ理解できるような気がするんです」

 道行く人の病気や障害が分かったらいいのに、と非現実的にも考えてしまったこともあった。そんな人権侵害が許されていいはずがないが、「知っていたら、何かできることもあったのに」と感じることがそれだけあったのだ。

 統合失調症、鬱病、双極性障害、パニック障害、ADHD、ASD、知的障害、パーソナリティー障害、……仕事中、普段はカルテに書いてある。でもその情報にアクセスできるのは、患者さんの病状・特性が落ち着くまで伴奏する責務を負うからだ。道行く人に、同じように接することはできない。

「限度がありますね」

「そうかもしれません。遊佐さんのとはまた程度も違うでしょうし」

 甘い考えかもしれない、と思わないわけではない。遊佐さんもわたしをこれ以上深追いするつもりもないようで、それ以上の話は続かなかった。


「ふたりとも、なんか難しい話してるね。ドッキョとかドクゴとか」

 空気の変わり目を察してか、香月さんが話に割って入ってきた。

「ああ。ドッキョはひとり暮らしって意味です。ドクゴは、独り言」

「なるほどね。何の話かと思ったよ」

 わたしが用語の説明をする。香月さんは、へえ、と言いながら話を聞いていた。そして自然に遊佐さんに二杯目を聞く。遊佐さんはアルコール度数の低いものを、と言ってメニューを見た。ちょうどそこにアンが作っていた軽食が出てきたので、遊佐さんは一度ウーロン茶に変えることにした。

 やっと仕事を得たわたしは、ウーロン茶の瓶を取りに得意げに冷蔵庫へ向かう。


 しかし料理に箸をつけて3口目、遊佐さんは「正直もうお腹いっぱいです」と言った。

「え!」

「あ、違います。お腹は空いてます」

 今日一番の困った表情を見せた遊佐さんを見て、周囲も頬を緩ませる。 

「わたしが一番無理なのは、他責がひどい人。分かりますよ、難しいことが人より多い。でも、文句ばっか言って解決するんですか、って話ですよ」

 一杯目のお酒がいまさらきいてきたのだろうか。言葉の端々に苛立ちが隠せないでいる。香月さんが今手元にあるウーロン茶のグラスを指差して、「お酒に変えようか」と言った。遊佐さんは「大丈夫です」とだけ言って、話を続ける。

「鬱とか知的とか、そんな人たちはいくらでも親身になれます。なりたいくらいです。なにかできることがあればと、褒められた動機でこの職に就いたわけじゃないわたしですら、思います」

 わたしの香月さんは、頷きながら彼女を見た。アンは聞いているのかいないのか、はっきりとさせない雰囲気を纏いながらカウンターの少し離れたところで手を動かす。

「でも、どうですか。話せば誰かの悪口ばかり。自分が出来ないことを棚に上げて、あの人があれしてくれない、これしてくれないって」

 千賀さんのことを話している。名前は出さないが、わたしにはわかった。

「ええ、まあ……でも、こう言ってはあれですけど、よく見られることではありますよね」

 頬が強張る。苦笑いをしたつもりが、変に力んでしまった。遊佐さんの話はもっともで、これを患者さんでない人にされたら堪ったもんじゃない。

 しかし、良くも悪くも、彼らには「診断」がある。苦手なことも考え方の偏りも、ある程度傾向が決まっている。それに、本人が困っている――それを一番に考えて関わるからこそ、その耐えがたい状況にも向き合うことができる。

「分かってますよ、それが彼女の課題で、練習していかないといけない。でもずっとです。何年も、訓練に繋がらない。だって、本人にやる気がないから。いつまでもお金の心配をしなくていい。いくら使っても結局払ってくれる親がいて、生保でなくとも住む家があって、多少遊び歩くくらいのお小遣いもある」

「そうですね。あの子に関しては、恵まれた環境が本人に良く作用しているかと言えば、またちょっと微妙かも……」

 どうしてこうなってしまったんだろう。

 お母さんはきちっとした常識のある人で、障害を持つ娘を気に掛ける優しい人だ。遊佐さんだって、精神病院での経験も、クリニックでの精神科訪問看護の経験も十分にあるベテランだ。

 何が問題だったのか。

 何が足りなかったのか。

 本人にどう働きかければよかったのか。

 必死に頭を巡らせる中、遊佐さんはきっぱりと話した。


 「新年度にはクリニックを退職するつもりです。まだ誰にも言ってないんですが。実は精神科も、これでおしまいにするつもりです」


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