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骨肉腫

 空薬莢が宙に舞い、鼓膜を震わせる銃声が廊に鳴り響く。弾倉から弾き出された弾薬はクルクルと弧を描きながら真紅のカーペットに一つ落ち、白い煙を噴き上げると堰を切ったかのように連続した射撃音を轟かせ、シークレット・ニンジャの纏う黒装束をハニカム状に貫いた。


 「―――ッ!!」


 弾丸を弾く刀が紫電を纏い、雪崩が如く押し寄せる鋼鉄の礫を焼き払う。細い雷は空気に含まれる水分子を伝って弾丸を煤へ帰し、アサルトライフルの銃口へ迫ると超圧縮された電気エネルギーを暴発させる。


 「ッ!!」


 引き金から指を離し、瞬間的な危機を察知したダナンは弾薬ごと爆発したアサルトライフルを間一髪で投げ捨てる。細かな火の粉がダナンの頬を焼き、濃い火薬の臭いが鼻孔を擽ったが今はそんな事を気にしている暇は無い。替えのショットガンを構え、照準をニンジャへ合わせ、喉元へ突き出される凶刃を銃身で逸らし防ぐ。


 「ダナン! 大丈夫か⁉

 大丈夫な筈が無い。グローリアの声に返事もせず、奥歯を噛み締めながら苛烈極まるニンジャの猛攻を防いだダナンは、機械腕から伸びる超振動ブレードを振るう。ニンジャが持つ凶刃は不可視の刃であり、どんな形をしているのか、リーチはどの程度なのか全く見当も付かない。此方が知り得る敵の得物の情報はアーマーをも容易に斬り裂く切れ味と、使用者の技巧による変則的な太刀筋のみ。今こうして防げたのは運が良かっただけだ。


 だが……僅かな隙を見抜いては引き金を引き、弾丸を撃ち放つダナンは微かな違和感を感じ取る。


 これは仮定……いや、それにも至らない推論に過ぎない。確実な証拠は何処にも存在しないし、断定するには判断材料が少なすぎる。しかし何度か刃を打ち合い、銃の引き金を引いたダナンは命懸けの戦闘経験からくるある種の結論を導き出していた。


 これが間違っていたら、もし的外れにも程がある回答だとしたら、己はシークレット・ニンジャとの消耗戦に突入するだろう。何方かが死ぬまで戦いは止まらない。中層街の治安維持兵よりも質が悪い影の護衛を潰すまで、時折送り込まれる刺客に対処しながら生きていくことになる。間違ってはいけない、選択肢を見誤ってはならない。故に……使えるモノは何でも使う。


 空を切る紫電がシークレット・ニンジャの機械腕から放出された。両下肢を覆う強化外骨格に緋色のラインが奔り、機械腕が電気エネルギーを供給する。ウゥン……と、駆動系の回路が作動し、地面を蹴り砕きながらダナンの心臓と頭部を狙って突進するニンジャは勝利を確信すると同時に、獰猛な殺意に濡れたダナンを瞳に映す。


 刀で骨肉を断ち斬られ、臓物を傷付けられたというのに何故生きている。傷口を覆う白い線虫のような蟲は何だ。何故攻撃を避けようとせず、そのまま向かってきている。ハッと息を呑み、攻撃の手を緩めようとしたシークレット・ニンジャの判断は間違っていなかった。だが、遅かったのだ。もう少し早くダナンの異常性に意識を向け、殺意を潜ませていれば気付けた不自然さをニンジャは見抜けなかった。戦闘経験の蓄積の差が、手札の切り方の差がダナンとニンジャの命運を分けた。


 「ネフティス」


 そう呟いたダナンの右肺をニンジャの抜手が貫き。


 「敵の機械腕ごと俺の身体に癒着しろ……奴をそのまま殺す」


 『了解』


 「ッ⁉」


 青年の命令を聞き届けたネフティスはニンジャの腕に白い線虫を這わせた。


 イブであれば身体装着型兵装の銀翼を用いて下級から上級セキュリティを突破し、生体部位と機械義肢の接合部を強制的に外すことが出来ただろうが、ダナンに宿るルミナの蟲には敵の機械義肢のシステム系統をハッキングする能力は備わっていない。彼が今実行しようとしている技は己が肉身を犠牲にしてニンジャの動きを封じ、無理矢理破壊する力技。身の危険を感じ、何とか線虫と機械腕の癒着を逃れようとするニンジャへダナンは刀剣へレスを抜き放ち、半透明の硝子を思わせる刃を向ける。


 「死ねよ……半端者」


 「ッチ!!」


 黒頭巾の奥から漏れ出た細い声。機械腕の結合部を強制解除したニンジャは己の意志で片腕を放棄すると素早い身の熟しでダナンと距離を取り、両脚に纏う強化外骨格から白い蒸気を排出した。


 「な、なにを手間取っている! 俺は貴様等に高い金を支払っているんだぞ⁉ 金額分の仕事をしろ! 戯けが!!」


 「……」


 豚のような男が声を荒げ、ニンジャを糾弾する。地べたに座り込みながらも横暴な態度を崩さない男へグローリアが歩み寄り、手に持った血濡れの棍棒でそっと頬を撫でると彼は顔を青褪め鼻を醜く鳴らす。


 「な、何だ⁉ 俺を殺すのかグローリア! 私が居なくなればサイレンティウムは」


 「君が居なくなろうともサイレンティウムは存在し続ける。何も変わらない」


 「ば、馬鹿な! いいのか⁉ 新規プロジェクトだって私の人脈無しじゃ」


 「君は一つ勘違いしているね。いいかい? 君が居なくとも、他の幹部が居なくても、果ては総帥である私が居なくてもサイレンティウムは在り続けなければならない。変わらずに、中層街の為に在らねばならないんだよ」


 グローリアから漏れ出す殺意を感じ取ったのかニンジャが男を守るべく駆ける。依頼主の命を守るべく行動するニンジャの動きは正しかったが、対峙するダナンから視線を外すことはあってはならなかった。


 血が噴き出る音がニンジャの耳に木霊した。肉が千切れ、床に滴る不快な音色と機械腕が唸る音。鮮烈な殺気が背に突き刺さり、すかさず身を捩ったニンジャの頭上を血塗れの機械腕が通り過ぎて、勢いよく壁に突き刺さる。


 「余所見している暇があるのか? お前の相手は俺だろうがよッ!!」


 穴が空いたダナンの胸をルミナの蟲が埋め尽くし、傷など無かったと云う風に修復する。破損したアーマーにこびり付いた血が塵と化して、細胞の隙間を縫いながらダナンの体内を再び循環する。口に溜まった血痰を吐き捨て、ブーツの靴底で踏み躙ったダナンは驚愕の色を瞳に宿すシークレット・ニンジャへ煮え滾る殺意を向けると刀剣ヘレスを構え、ショットガンの引き金を引く。


 狂っている。ダナンの殺意と激情に触れたニンジャの頬に冷たい汗が伝った。ショットシェルからバラ撒かれる散弾を紫電で焼き払い、残った機械の片腕を器用巧みに繰るニンジャは狂気に染まるダナンに命を捻り潰されるような脅威を感じ取る。中層街から下層街へ降りる人間の護衛を引き受け、暗く湿った空気を嗅ぎ取った時と同じ不快感。死が街の至る所に染み込み、誰もが他者の命を省みない大罪の都市の住人が醸し出す圧倒的な絶望の色。下層街の住人であるダナンの猛攻から身を退いたニンジャは「……割に合わない」と呟いた。


 「おい! 俺を助けろ! グローリアを殺せ! 早くし」


 「……」


 壁に張り付き、散弾を躱し続けていたニンジャがグローリアを見据え、小さく頷いた瞬間姿を消す。隠密行動用光学迷彩を起動したニンジャは音も無くグローリアの背後に忍び寄り、刃を首筋に当てる。


 「君」


 「……」


 「私を殺しても意味が無い。いや、それ以上に君が危険に晒されるだろうね。あぁ、私を盾にしてダナンを止めようとしても無駄だよ? きっと彼は必要であれば私ごと君を撃ち抜き、殺してでも前に進むだろうからね」


 「……なら」


 「そこで私から提案だ。君の雇用主が支払ったクレジットの金額を話してくれないか? 私はそうだな……言い値を支払おう。多重契約が無理なら、今此処で私と一緒に死んでもいいし、ダナンに殺されても仕方ない。さぁ選び給えよ、忍びの君」


 「……」


 利益を追求した場合、グローリアの口車に乗った方が最も合理的な選択だろう。失った機械義肢の注文と接合の費用を考えても、彼の言葉を拒否するのは愚かな選択の一つ。

 ショットガンを構えながら近づくダナンを一瞥したニンジャは一言「三千万クレジット、それを払えるなら直ぐに寝返ろう」と話し、笑顔を浮かべるグローリアを睨みつけるのだった。


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