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帰路

 煌めくネオンと綺羅びやかな電光掲示板。烙陽と呼ぶには未だ至らず、煌々と輝く電子の海を言い表す言葉は燃える海洋か。光に狂って泳ぎ回る深海魚にも見える半裸の娼婦と鎖に繋がれた少年少女、貪り食われた死骸のような貧者と浮浪者、欲望を滾らせ獲物を見据える客達と……。歓楽区は変わらぬ欲に身を焦がし、肥大して止まぬ渇望を燃え上がらせていた。


 街を一望し、疲労混じりの溜息を吐いたダナンは一台の装甲戦闘車両を視界に入れ、もう一度深い溜息を吐く。ロケットランチャーの爆薬さえも防ぐ特殊合金装甲に包まれた戦闘車両は中層街の要人を護送するためのモノであり、戦闘行為に使用される機会は殆ど無い。後部座席に通じるドアが自動で開かれ、暗い一室へ身を滑り込ませたグローリアは柔らかい笑みを浮かべながらダナンへ手を差し伸べる。


 「どうしたんだい? 浮かない顔をして」


 「特に何も。少し驚いただけだ」


 「驚いた?」


 「まさか俺がこの車に乗るなんて思ってもいなかった」


 グローリアの手を握り、導かれるまま柔らかいシートに腰を埋めたダナンはイブを腕に抱きながら瞼を閉じる。


 「疲れているようだね」


 「……そうだな」


 「休んでもいいだよ?」


 「……まだやることがある。全部、何もかもが終わった後に休む。問題ない」


 「そうか」


 鼓膜がビリビリと震える程のエンジン音。シートのスポンジを貫通する振動。ゆっくりと動き出した車両は道を塞ぐ娼婦を轢き殺し、銃を構える肉欲の坩堝構成員を容赦なく挽き肉して進む。窓の外へ視線を寄せていたダナンは飛び散る肉片を手元の洗浄装置を使って洗い流すと、光の線を描きながら通り過ぎる歓楽区の街並み眺める。


 顔も知らない他人がどうなろうと知ったことではない。積み上がる肉塊が血を滴らせ、ミンチになっても気にも留めない。現に次々と命を奪われる歓楽区の住人を見ても、ダナンは嫌悪感や忌避感を抱かずにいて、無関心で命が散る様を眺めていた。時折視界を塞ぐ鮮血を洗い流し、窓に叩きつけられた肉片を取り払うだけ。


 これが下層街の日常的な光景で、不思議とも思わない普遍的な状況。殺戮と粉砕と、圧倒的な力が弱者を蹂躙する有り様に精神が慣れきっている。だが……視線を横に滑らせ、HHPCを操作するグローリアを一瞥したダナンはイブを抱く腕に力を込め、軽く頭を振るうと額に手を添える。


 もしこの二人が殺戮の対象とされ、無慈悲に命を奪われる瞬間に立ち会ったら己はどう動くのだろう。武器を手に抗うのだろうか? それとも諦めたような顔を浮かべ、見てみぬフリを決め込むのだろうか? 多分……その時になったら、己はヘレスを抜いて立ち向かうのだろう。友人を守るために……戦いに身を投じる。ダナンの視線に気がついたグローリアの微笑みから眼を逸らし、再び窓の外を眺めたダナンは肘置きに自重を預けた。


 「ダナン」


 「……何だ」


 「その子と君はどういった関係なんだい?」


 「……単なる協力関係だ。それ以上でも、それ以下でもない」


 「そうか」


 「……」


 「何だいきなり。言いたいことがあるならハッキリ言え」


 「昔ね」


 「あぁ」


 「その子とよく似た少女を見たことがある」


 グローリアの言葉に精神がざわつき一欠片の殺意が芽生えた。真っ更な白液に黒いインクを一滴滴らせるように、溶け落ちる黒はダナンの激情に火種を焚べる。


 「……カナンか?」


 「さぁ名前までは知らないな。本当にチラッとしか見ていないんだ。綺麗な銀髪が印象的だったから覚えていただけで、他は何も知らないよ」


 「……そうか」


 HHPCの青白い光がグローリアの顔を照らし、暗い影を色濃く刻む。カナンとカァス……遺跡で対峙した白い少女と黒い獣の大男。二人との繋がりを問い質すべきか否か。刀剣ヘレスの柄に指を掛け、鍔を撫でたダナンは逡巡する。


 もしグローリアが己を二人に売り渡す……或いは殺すつもりなら情報を出す意味が無い。黙って口を閉ざしたまま車に乗せ、催眠ガスか何かで意識を奪った上で身柄を引き渡せばいいだけ。こうして長々と話をせずに、最短で行動するべきだ。それに……ダナンにはグローリアがそんあ事をする筈が無いと云う淡い期待があった。友人と呼んでくれる青年が、そんな裏切るような真似をする筈が無いという脆い希望。芽生えた殺意を抑え込み、冷静さを装いながらヘレスの柄を握ったダナンは欠伸を掻くフリをする。


 「眠いのかい? ダナン」


 「……」


 「……全く、君と云う奴は」


 どうしてそう無愛想なのかね。グローリアが指を弾くと同時にヘレスの柄を握りしめる。罠があったらすかさず刃を抜き放ち、殺してでも生き延びる。冷徹な意思を内に秘めたダナンへグローリアは毛布を掛け、淡いランプを点灯させるとHHPCのキーを打つ。


 「……グローリア」


 「何だ起きていたのか。眠っていてもいいのに」


 「……眠れる筈が無いだろ」


 毛布でイブを包んだダナンは微かな笑みを浮かべ「いや……悪かった」と呟く。


 「本当にお前は良いヤツだよ」


 「いきなりどうした?」


 「ただの独り言だ気にするな。とにかく……疑って悪かった」


 「疑うって……私が君を騙す筈が無い。それは裏切り行為だからね」


 「……あぁ、そうだな」


 歓楽区のネオンが遠ざかり、辺りが仄暗い闇に包まれる。商業区の騒がしさを通り抜け、欺瞞と詐欺で埋め尽くされた街は労働者と富裕層に分かれた極端な二分化社会の様相。


 ぼんやりと……商業区の様子を眺めていたダナンの目に一人の少女……否、人と云うにはあまりにも薄い空気のような存在感、影と呼んでも差し支えの無い姿。情報媒体の電子光に混じるテフィアの幻影を視界に収めたダナンは静かに笑う。


 「どうかしたのかい? ダナン」


 「……知った顔が居た」


 「知り合いかな?」


 「さぁどうだか。ただ、そうだな。アイツが生きていて良かったと……今はそう思う」


 「そうかい、それは良かった」


 ふとテフィアと目が合い、彼女の七色の瞳がダナンのドス黒い瞳と交差する。望遠レンズに反射した光のような、磨りガラスを通して見るライトを思わせる人工的な虹彩色。イブの瞳と同じ色。神秘と幻想が入り混じる瞳は機械眼とはまた違う生物的な反応を見せ、テフィアの瞳は人工生体部位であるとダナンは推測する。


 「ダナン」


 「……」


 「ダナン? おい、聞いてるのかい? ダナン?」


 グローリアが耳にしたのは微かな寝息。イブを毛布で包み、生身の腕で抱いたダナンは窓に頭を預けて眠りこけていた。人前で眠るということ……それは相手に無防備な姿を見せ、隙を晒す行為。リルスの部屋か自室以外で眠ることなどありえない。ダナンという青年はどれだけ傷つき、疲れ切っていようとも、安全を確保するまで眠らない。


 「……」


 HHPCのモニターを閉じたグローリアは文庫本を開き、読書灯を点ける。淡いランプの明かりが車内を照らした。


 「君は良い夢を見ているのかな? それとも悪い夢? 聞いているかどうか分からないけれど……私は夢を見ないんだ。理想や憧れ、望みは抱けれど……夢を見ることは無い。どうしてか分かるかい?」


 ダナンから返事は無い。グローリアは本の頁を捲り、文字を追う。


 「永久に続く無限回廊は永劫なる星の煌めきにして、不変と奉ずる水面の底。巡りて回るは人の生か、不変の中に変化を見出し変わらんとするは己自身か……。ダナン、君は何時まで忘れているつもりだい? ダナン……」


 本の表紙に書かれた命題はツァラトゥストラはかく語りき。そして、表紙の隅にはN.Lというイニシャルが刻まれているのだった。



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