下層街の路地裏に銃声が轟いた。それも一発や二発ではない。幾重にも重なり合った発砲音が下手な輪舞曲を奏で、コンクリート壁を削りながら女に迫る。
追い詰める猟師と追い詰められる獲物。拳銃のマガジンを交換し、壁に背を預けていた女は頬を伝って流れ落ちる血を手の甲で拭い、歯を食いしばる。多勢に無勢、女一人に対して銃を乱射する男の数は二十九。一人撃ち殺したところで勢いは衰えることを知らず、濁流の如く殺意を帯びて押し寄せる。
何処で選択を間違えた。女は大きくなった腹を庇いながら銃を撃ち、空薬莢を宙に散らす。
いや、自分は何時も間違えていた。重要な選択を強いられる度に間違え、何かを失いながら生きてきた。両親を失い、自由を失い、純潔を奪われた。今回だって抗わずに運命を受け入れ、大人しく状況に流されていればよかった。こうして命の危機に陥ることもなかった。
ガチン―――と、弾丸がチャンバーに挟まり詰まる。軽くなった引き金を何度引こうと撃鉄は空回り、雷管を打つことは無い。必死に銃身をスライドし、詰まった弾丸を取り除こうとも銃器に不慣れな手は上手く詰まりを解消することは出来ず、意識を追ってから逸らした女の頭に機械の腕が振り下ろされる。
耐え難い激痛と眩む視界。白黒に明滅しては星が舞い、吹き出た血は女の美しい金髪を朱色に染める。全身機械体の男……肉欲の坩堝の構成員は女の首を鷲掴みにするとコンクリート壁に叩きつけ、赤い点が這う機械眼をギョロギョロと動かし睨む。
「選択しろ」
「―――ッ!!」
「戻るか否か。此処で腹を割かれて死するか、戻って赤子を産み落とすか。二つに一つ。貴様に与えられた選択肢は二つに一つ。塵の分際で自由を求めるな愚か者が」
機械腕を叩き、全身機械体の男を睨んだ女は眉間に拳銃の照準を合わせ引き金を引くが、木霊したのは情けない金属音。男の腹を蹴り、爪が剥がれるまで掻き毟っていた女の手は鮮血に染まり、首を締める力が抜かれると同時に咳き込みながらアスファルトの上に倒れ込む。
「産むだけ産んだら貴様には次の仕事を与えてやる。何時も通り客の相手をして股を開き、金を稼げ。貴様が負った借金分の金を稼いだら解放してやる。分かりやすいだろう? なぁ……アェシェマ」
「黙れ……ッ!! 私は、この子は、アンタ達の為にあるんじゃない!! 私の子を、肉欲の坩堝に渡すものかよ!! ふざけるなッ!!」
鋼の脚が女……テネブラエの頬を蹴り飛ばし、金糸のような髪を鷲掴みにする。
「勘違いするなよ売女……これは恩情だ。俺達はその腹の餓鬼に用がある。貴様なんぞ娼館の売女連中と同じ……無価値な肉だ。いや……肉袋と言った方がいいか? 欲望を満たす為だけに存在する肉塊。それが貴様らだテネブラエ」
蠢く機械眼の赤い点がテネブラエを見据え、機械燃料の臭いを孕む吐息が彼女の鼻腔を刺激した。全身機械体の人間に生身の……機械義肢を装着していない人間が叶う筈がない。今までも歓楽区の娼館から逃げ出した数多の娼婦が追手に捕まり痛めつけられ、それでも抵抗する者は皆達磨の肉人形にされ、舌と眼を刳り抜かれて性欲を満たす為だけの道具となった。テネブラエとてそれを知らぬ筈が無い。
だが、彼女は男へ唾を吐きかけ睨みつけた。達磨にされ全てを本当の意味で奪われるよりも、腹の中の赤子が大事だった。このまま追手に捕まり、出産しても腹の子は己と同じように歓楽区の欲望を満たす為の道具となってしまう。死ぬまで使い潰され、最後には豚の餌に混じって捨てられる。それだけは……阻止しなくてはならない。自分の命に代えても……守り抜く。
「……」機械腕が駆動し、鈍色の……血に濡れ錆びた赤茶色のブレードが展開される。「死ね、売女」スゥ……っと、ブレードの刃がアェシェマの腹に突きつけられた。
少し機械腕を動かすだけで彼女の腹は簡単に斬り裂かれ、赤子は死の帝王切開によって取り出されるだろう。無惨に、残酷な手で胎児を奪うも殺すも男次第。しかし、機械腕のブレードは一寸たりとも動かず、その場に静止するのみ。
「……いい度胸してるなテネブラエ」
「……」
口を開いたテネブラエの奥歯に挟まる錠剤。それは彼女が逃げる際に持ち出した爆薬の起動装置だった。
錠剤に偽装された装置を噛み砕けば膣に仕込んだ小型爆弾が起動する。爆弾の威力は人間一人を容易に吹き飛ばし、胎児諸共テネブラエを殺すのだ。
「何だ? それでお前を逃がせと? 馬鹿な考えは止せテネブラエ……。腹の子供と一緒に死ぬ。それで貴様は満足なのか?」
「……アンタ達に奪われるくらいなら、こんなクソみたいな世界を見せるくらいなら、私はこの子が下層街を知らない内に殺すわ! 私諸共」
腹の子を守りたいが、今の自分では守りきれないことなど理解っている。生き抜く力が無く、流されて選択を間違え続けた己は下層街で云う弱者の一人。もしこの場を切り抜けてもいずれは子供諸共強者の喰い物になるだろう。だが、それでも一人の人間として……母親として腹の子の自由だけは守りたい。
深い溜息と共に額に据えられた銃口。機械腕から伸びる銃身は正確にテネブラエの眉間を捉え、散弾を撃ち放つ。
「―――ッ!!」
咄嗟に身を翻そうとの細かな散弾の一発がテネブラエの右目を撃ち抜き眼球を潰す。溢れ出る血がテネブラエに紅い染みをつくり、悲痛な叫び声が路地に響いた。
「テネブラエぇ……お前は選択を間違えた」
テネブラエの首を持ち上げ、投げ飛ばした男が鋼の唸りをあげながら歩み寄り。
「死んじまえよ、安心しろ……腹の餓鬼は俺が貴様の死体から取り上げてやる」
歪な笑みを浮かべた。
折れた歯を吐き捨て、地面を這いずりながら進むテネブラエは男から見れば芋虫と同じ姿で、整いながらも腫れ上がった顔に加虐心が唆られる。一歩、また一歩と追い詰め、その精神を叩き折る瞬間が待ち遠しい。銃を撃ちながら歩みを進め、逃げ這いずるテネブラエを追う男の眉間に一本のレーザーポインターが当てられ。
「男ってのはな、女子供を守るべきなんじゃねぇのか? 俺ぁそう思うぜ? 全身機械体」
ビルの窓から身を乗り出した男の銃によって頭を木っ端微塵に撃ち抜かれた。
「嬢ちゃん、大丈夫かい? 待ってろ直ぐに連中を片付ける」
ハットの唾を鋼の指で押し上げた男は無精髭で隠れた唇に笑みを浮かべ、テネブラエにコートを羽織らせ「チクアン! この嬢ちゃんの手当を頼む!」と叫び、テネブラエをビルへ押し込むと追手を迎え撃つべく駆け出した。
「……」
「お前さん」
「ッ!!」
「おっとそんなに身構えるなよ? なぁに安心しな、アイツは敵じゃねぇよ。まぁ……俺はどうか分からんがな」
「あの男は」
「時代遅れのカウボーイさ」
「カウボーイ……? 何、それは」
「知らなくても仕方ねぇ、俺だって詳しくは知らん。だが、アイツは何時も自分の事を聞かれたらそう答える。敵味方関係なくな」
チクアンと呼ばれた男は両目統一型の機械眼に赤いラインを奔らせ、テネブラエの傷に機械腕を添える。
「嬢ちゃん、名前は?」
「……」
「別に俺が聞きてぇワケじゃねぇ。聞いておかないとアイツにグチグチ言われるからな」
「先ずは」
「あ?」
「自分達から名乗ればいいんじゃない? ハッ……そうやって、後から私を」
「俺の名前はチクアン。普段は中層街で医者をやってんだが、偶にアイツの手伝いをしてる。報酬は……これ以上は言えねぇや。すまんな、嬢ちゃん」
「……」
機械腕から更に展開された精密作業用義肢がテネブラエの傷を塞ぎ、治療して。
「時代遅れのカウボーイを名乗ってるアイツの名前は自分で聞きな。その方がアイツも喜ぶからよ」
呆れたように笑った。