目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

ハカラ・デッキ 中

 キーを叩く指を止め、真っ黒いタール駅のようなコーヒーを口に含んだリルスは膝を抱えて息を吐く。


 通信音声を聞いている限りダナンの身の安全は保証されている。中層街の戦闘車両を襲う酔狂な輩は居住区に住んじゃいないし、区一帯が無頼漢の支配下にあろうとも連中はよっぽどの理由がなければ治安維持兵と敵対しない筈。絶望的な状況が続いた歓楽区からよく五体満足で帰還できたものだ。


 苦いコーヒーを啜り、これまでの作業工程を情報媒体に保存したリルスは椅子に座るライアーズを鏡に映し、機械腕に握られている鈍色の古臭いピースメーカーを一瞥する。単発式シングルアクション・ピストル。今の時代そんな骨董品で敵を殺せる筈は無く、全身機械体が相手ならば意味を成さない拳銃を何故ライアーズは丹念に手入れしているのかリルスは不思議に思う。


 彼の……否、彼女の武装ならば半機械体や完全機械体が相手でも一蹴できる。卓越した機械技術者(メカニクス・テック)であり、下層街を支配する三大組織と情報のやりとりをしているライアーズは強者の部類。たった一人でこの最低最悪の街を生き残る力があるのならば、銃火器類も最新式の装備にしたらいいのに……。銃の隙間にシリコンオイルを染み込ませ、柔らかい布で拭き取ったライアーズはリルスの視線に気づくと生身の眼でウィンクし、特殊合金弾頭を弾倉に詰める。


 「なぁにリルスちゃん、アタシのことジッと見つめちゃって」


 「別に? 古臭い銃を持ってると思っただけよ」


 リルスの言葉を鼻で笑い、バレルを勢いよく回したライアーズは銃口を玄関へ向ける。


 「古くても便利なモノは使えるのよ? リルスちゃん」


 「へぇ、例えば?」


 こういうことよ。鼓膜に響く銃声と宙に回転しながら舞う薬莢。ギョッと目を見開いた少女を他所に、鋼鉄製の玄関ドアを撃ち抜いたライアーズは撃鉄を引き、照準を機械眼に合わせた。


 「覗き見は良い趣味と言えないわね死者の羅列首領。入ってくるなら堂々とした方がいいんじゃないの?」


 薄暗い玄関の闇が人形を持ち、濃い影を纏って足音一つ無く部屋に歩み入る。死者の羅列首領と呼ばれた全身黒尽くめの男……メテリアは、闇の中に浮かぶ二つの目玉をギョロギョロと動かし「あの遺跡発掘者はまだ帰って来ていないのか」と一言呟いた。


 「……ダナンなら後少しで帰って来ると思うけど? それよりも貴男、報酬の方は用意出来てるんでしょうね」


 「当たり前だ、死者の羅列は対価と報酬を裏切らない。それはそこのレディが良く知っているだろう」


 モヒカンを櫛で整えるライアーズを一瞥したメテリアは指を弾き、二人の影を呼び出し一台の箱型情報装置を部屋に運び込む。


 「報酬のデッキだ。使った後は売るなり私用にするなり好きにしろ」


 「……そう、助かるわ」


 「それと」


 「なに? まだ何か用があるの?」


 「ただの伝言だ。ありがとう……そうを伝えてくれ。あの遺跡発掘者に」


 行くぞ。撤収の合図を出したメテリアは二つの影を引き連れ部屋を後にしようと足を踏み出す。一切の音を出さず、まるで空中に浮きながら歩く姿は幽霊のよう。


 「死者の羅列」


 「……」


 「貴男達、私から依頼を引き受けてくれない?」


 「報酬は」


 「二十万クレジット」


 「仕事を言え」


 「M区画の調査と今から渡すデータの復元。まぁ前者については全く期待していないのだけれど、後者は貴方達が持つ相応の情報機器類が必要なのよね。此処じゃ全然作業が進まないもの」


 「ブツを寄越せ」


 「機械腕か記録媒体はある?」


 コートの袖を捲り、真っ黒い腕に括り付けていた三機のHHPCを見せたメテリアはコネクト・ケーブルをリルスへ伸ばす。


 「分割ファイルにした方がいい?」


 「不要だ。全て並列処理する」


 「器用ね。貴男達の方にもウィザードが居るのかしら?」


 「聞きたいのか?」


 「結構」


 メテリアのコネクト・ケーブルをスタンドアローンPCへ繋げたリルスは、自身のクラッキング行為によって破壊された大容量データを一気にHHPCへ流し込む。完全に壊す予定だったデータはエラー・メッセージを吐くプログラム・コードの集合体であり、その正体を知る者はリルスのみ。


 一秒、二秒、三秒……。ダウンロードの文字が消え、完了と表示された瞬間に前払金の十五万クレジットがメテリアへ送金され、契約書類も同時にリルスのPCへ送られた。


 「一週間よ、それまでにお願いね」


 「善処しよう。行くぞ」


 今度こそ部屋から立ち去った死者の羅列を見送り、契約書類を読み込んでいたリルスへ「ちょっとアンタ、アレって」とライアーズが冷たい目を向け溜息を吐き「クラッキングで壊しても、便利なモノは使えるでしょう? ねぇライアーズ」意地悪な笑みを浮かべたリルスに額を押さえた。


 「ダナンちゃんが聞いたら怒るわよ?」


 「そうね」


 「せっかく築いた信頼を失ってもいいの?」


 「私とアイツの信頼はきっと綿のように軽くて、紙のように燃えやすいの。だからコレがバレたら簡単に燃え尽きて、煤になる。そうに違いないわ」


 「……馬鹿な娘ね、アンタは」


 「周りよりは多少賢く生きているつもりよ? けどライアーズ、私は思うのよ。これが多分……いえ、最後のチャンスだって」


 マグカップをテーブルに置いたリルスは破損データを完全削除するとライアーズに向き直り。


 「彼が……ダナンが変わる最後のチャンスなのよライアーズ。もし何か不幸があって、私や貴男がダナンから離れてしまった時、彼は一人になってしまう。誰も信じられず、生きていたいから誰かを殺し続ける冷徹な機械になってしまうわ。

 だけど、今のダナンにはイブが居て、私が居て、面倒を見なければならない誰かが居るの。昔の大切な人の死を引き摺っていても、大切だった誰かを殺してしまっても、彼はまだ近くの誰かの為に動く意思がある。私が死者の羅列へ渡したデータは最後の砦……ダナンがもしもの時にまた歩き出す為の一手なのよ」


 昔……己と出会ったばかりの頃のダナンは傷ついて飼い主を失った獣のようだった。目に映る命は全て敵と認識し、優しさや甘さと云った感情を忌み嫌う狂犬。大人相手にも容赦なく弾丸を撃ち込み、玲瓏に燃える殺意と冷酷な激情を露わにした瞳は殺人者のそれと同様。赤い血が通っていない殺戮者。身を擦り潰す狂気に悶え、常に自分の命だけを天秤の乗せて推し量る者は……人間などではない。


 当初、それこそ十年も昔のことだが、リルスはダナンに恐怖を抱いていた。躊躇いなく引き金を引き、他人の命を塵か滓程度にしか思っていないドス黒い瞳を恐れ、機械腕の唸りに慄き生唾を飲み込んだ。


 下層街は異常な場所だ。強者が弱者を虐げ、強者も更なる強者に殺され全てを奪われる。住人全員が弱肉強食の色に染まり、死を何とも思わない異常地帯。リルスが産まれ育った場所とは全く違う世界。塔の最底辺に位置し、常に何処かしらで銃声が鳴り響いている下層街は強者の楽園と云うべき辺獄なのだ。


 「ダナンは強くない。いえ、むしろ弱い人間なのよライアーズ。弱いから誰かを信じることを恐れ、自分しか信じない。弱者であることを無意識に自覚しているから、死にたくないし、弱さを隠すように他人を殺す。

 多分……私は彼に人であって欲しいのよ、変わり始めたダナンに……人間であって欲しい。だから彼との関係が終わってしまうリスクを背負ってまで死者の羅列にデータを渡して、復元を依頼したの。それだけよ、ライアーズ」


 「……」


 リルスは、己よりも一二周り齢が離れた少女は毅然とした態度でそう言葉を紡ぎ、一人の男を想っている。感情で飾り立てた理屈を並べ、あやふやで未熟な愛……拙い母性を以て脆弱な人間性を守ろうとしているのだ。


 「リルスちゃん」


 「なに? ライアーズ」


 「アンタの独り善がりはアンタにしか分からないの。それを本人に言わなきゃ駄目よ? そう……くれぐれも後悔が無いように、ね」


 「……耳が痛いわね」


 クスリと笑い、モニターと向き合ったリルスは玄関扉が開く音を聞き、イブを背負ったダナンへ視線を向けるのだった。






この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?