目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

ハカラ・デッキ 下

 目の下に薄い隈を浮かべ、イブをソファーに寝かせたダナンはハカラをライアーズへ渡すと口に煙草を咥え、火を着け紫煙を吐く。


 「ダナン」


 「何だ」


 「お疲れ様、お友達が報酬のデッキを置いていったわよ」


 「そうか」


 「あら、お友達が誰か聞かないのね」


 「……」


 無言で肩を竦めるダナンに誂うような微笑みを向けたリルスはノートPCを片手に座椅子から立ち上がり、デッキにコネクト・ケーブルを差し込む。簡単な初期設定と情報装置の追加接続設定。神経接続型精神没入機器であるデッキの設定は挿入するソフトウェアを組み替えて使用する情報端末の設定を手早く済ませたリルスは、天井をぼんやりと見つめるイブにコネクト・ケーブルを握らせる。


 「イブ」


 「……なに?」


 「デッキを使うのは初めて?」


 「……昔何度か使ったことがある。一応使い方は理解しているつもりよ」


 「そ、なら説明は必要ないわね。ダナンは……あるワケないか、私達に縁が無い代物だもの」


 デッキを持つ下層民は殆ど居らず、使い方を熟知している人間も機械技術者の限られた人物だけ。遺跡発掘者であるダナンは勿論、情報技術者……ウィザードのリルスもデッキの設定だけは出来るが、実際に機器類を人体に接続し、神経と精神をデッキに繋ぐことは難しい。


 だが、熟練した技術者が居れば話は別。待っていましたとばかりに首の骨を鳴らし、アタッシュケースを開いたライアーズは神経系医療機器を広げると「さぁダナンちゃん、横になりなさい」イブの横を指差した。


 「待て、何故俺が」


 「イブちゃんを助けたいんでしょう? 違う?」


 「違わないが、どうして俺だと聞いている。理由を言え、ライアーズ」


 「しょうがないわねぇ……。先ず此処で機械義肢を持っている人間はアンタとアタシだけで、リルスちゃんは埋込式デバイスも持っていない人間。アタシはデッキと使用者の状態を診なきゃいけないし、リルスちゃんはデッキの稼働状況をPCでモニタリングする必要があるの。分かる?」


 分かるには分かるが、何故俺が必要なのだ―――。ダナンは溜息と共に薄い紫煙を吐き出した。


 「デッキ一つに精神と神経を繋ぐことはリスクがあるの。デッキがウィルスに汚染されていたり、突発的なエラーに見舞われたら使用者の頭はパァ。下手したら廃人になっちゃうの。だから、ダナンちゃんはイブちゃんのサポートに回ってほしいのよ」


 「つまり何だ、俺はイブの……デッキの外付け安全装置ってことか?」


 「ご明察」


 コネクト・ケーブルをダナンへ手渡したライアーズは笑みを浮かべ、青年のドス黒い瞳を見つめる。その視線は試しているかのような色を帯び、選択を迫っているようにも見えた。


 「……」イブを助けたいという気持ちに迷いは無い「……」だが、それ以上にリスクに手を出すことを恐れている。


 彼女の体内で蠢くルミナに全てを任せ、時間を掛けて損傷した部位を修復する選択肢もあるにはある。しかし、完全に修復されるにはどれ程の時間が必要で、その間にダモクレスやアェシェマ、下層街の危険からイブをダナン一人で守れる筈が無い。塔の始末屋がもう一度ダナンの命を狙い、イブの助力無しで撃退できる可能性は極めて低く、在る筈も無い奇跡を願うのは死を受け入れているのと同義。


 ならば―――煙草の火種を機械腕で揉み消したダナンはコネクト・ケーブルを機械腕の接続ソケットへ差し込み、イブの隣に横になる。


 「ライアーズ、始めてくれ。リルスも……宜しく頼む」


 「了解。バイタルや接続エラーは心配しなくてもいいわよ? アタシが面倒診てあげる」


 「……ダナン」


 「イブ」


 「……」


 「問題ない。きっと上手くいく。ライアーズとリルスは腕の良い技術者だ。お前がする心配は自分のことだけにしろ。もし何かあったとしても」


 俺が居る。その言葉を飲み込み、リルスへ目を向けたダナンは「頼んだぞリルス」と言って、瞼を閉じる。


 「本当にいいの? 後悔しない?」


 「……さぁ、どうだろう。多分……以前までの俺なら、こんな馬鹿な真似はしないだろう」


 「そうね、前の貴男なら身を危険に曝す行為はしないわ。誰かの為よりも、自分の為に動いていた筈。どんな風の吹き回し?」


 「……ただ」


 「……」


 「やらないで後悔するよりも、やってから後悔した方がいい。出来るなら、やるべきだ。そうだろう? リルス」


 「……そうね」


 闇の中でキーが叩かれる音が木霊し、コネクト・ケーブルを通して精神がデッキへ流される。身が細くなり、数多の線となって吸い込まれる奇妙な感覚。


 「……ダナン」


 イブがポツリと青年の名を呼び。


 「ありがとう……迷惑、かけるわね」


 今にも消えそうな声で語りかけた瞬間、二人の意識はハカラ・デッキの中へ落ちた。



 …

 ……

 ………

 …………

 ……………

 ……………

 ………

 ……

 …




 白い廊下と白い壁。染み一つ無い通路を二人の少女が歩いていた。


 陶器のように白い肌と流麗なる銀の髪。身体つきも背丈も寸分違わず全て同じ。違うところを挙げるとしたら、片方の少女は少し大人びた雰囲気を醸し出し、瞳は虹色に輝いていて、もう片方の少女は少し背を丸めた弱気な雰囲気で、目は鮮血を思わせる紅色。紅眼の手を引いた少女は「カナン、背を伸ばして歩きなさい。見苦しいわよ」と強く言う。


 「で、でもお姉ちゃん、ここから先は入っちゃ駄目な場所なんだよ? やめようよ、お父さんとお母さんに怒られるよ?」


 「私達はみんなの未来なのよ? 知っていることがあっても、知らないで済まされることはないの。いい? 知ることが私達のやるべきことで、知らないと言うのはただの言い訳に過ぎない。カナン、貴女はもう少し自分の使命を重く考えなさい」


 少女の圧に屈するように喉の奥からか細い唸りを発したカナンは、姉に引っ張られるまま歩を進め、分厚い黒鉄の扉の前に立つ。


 「……」


 重苦しい空気が滲み出す黒鉄の扉。この扉の先には知られざる者が居ると教えられ、来るべき時でなければ自分達は会うことが出来ないと教えられていた。もし開けてしまえば運命に逆らう術を忘却し、使命に殉ずる呪いを刻まれる。


 「お姉ちゃん……」


 「……」


 手を握り、勢いよく歩いていた姉の手が震えていた。大人相手にも全く気圧されない姉が恐れを抱いていることにカナンは生唾を飲み込む。


 「やっぱり戻ろう? ちゃんと待っていようよ……」


 「いいえ、行くわよ。私達は……全てを知って、希望に繋げなきゃいけないんだもの」


 一度決めたら頑として首を横に振らず、どんなに無理なことでも達成する出来た姉。カナンはそんな姉のことを尊敬していたし、彼女の選択は常に最善のものであると疑いもしなかった。だが、今は姉の行動が間違っていると感じてしまう。父と母の言いつけを守らない姉に僅かな反抗心を抱きつつある。


 閉じられていた扉が自ずと開き、暗闇に閉ざされていた空間から濃い機械臭が漂い二人の鼻腔を突く。冷えた空気と機械の騒音、それに混ざる微かな声。気弱で恐怖に対する耐性が無いカナンは姉の手を振り払い、叫び声をあげて脱兎の如くもと来た道を戻る。


 「カナ―――」


 グイ―――と、闇から飛び出した鋼の腕が少女の手首を掴み、勢いよく扉の中へ引き摺り込む。叫ぶ暇なく宙吊りにされた少女は、全ての衣服を斬り裂かれ、美しい肢体を青白いモニターを見つめる男の前に晒された。


 「……貴様、何者」



 「……」


 「何者だと問うている。何故此処に来れた? 何故私の眼を掻い潜れた? 言ってみろ、小童。いや待て、あぁそうか、貴様は計画の二人の片割れか? カミシロの阿呆が……だから餓鬼は徹底的に管理しろと言っていたのだ」


 老人と青年が入り混じった奇妙な声を発し、幾本もの生命維持ケーブルに繋がれた椅子型生命維持装置に座す男は少女の頬を蛸足を思わせる機械義肢で撫で、裸の上に毛布を被せた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?