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老いた者、若き者

 少女の心臓が早鐘を打ち、冷静さを失った吐息が口の端から漏れる。


 異形にして異常、人間の形をした機械の集合体、奇妙でありながらある種の美しさを帯びる不可思議な造形美……。生命維持装置に繋がれ、身動き一つ取らない男は少女を一瞥すると深い溜め息を吐き、骨ばった指でコンソールのキーを叩いた。


 「小娘、貴様はまだ此処に来る時ではない。帰れ、帰って来たるべき時までその姿を見せるな。計画に狂いは許されず、一切のズレも許容されん。そう、計画とは設計図なのだ。緻密な設計を基に事を進め、長期的視野を用いて実を結ぶ。それを貴様の父が教えぬ筈が無い」


 苛立たしげに語気を強めた男は手足の代わりとなる八本の機械義肢を操り、少女の腕を掴んで宙吊りにする。


 「私はな、人間という生物が嫌いなのだ。意味もなく糞尿を垂れ流し、感情によって理性を失い突き進む愚鈍な生命体。元来備わった叡智を放棄する愚者には吐き気を催すし、連綿と続く今に幸福を見出す阿呆は死んでしまえと思っている。小娘、貴様は人間か? それとも賢人か? はたまた人という皮を被った獣か? まぁ……そんなことはどうでもいい。貴様の顔など見たくもない」


 また溜息を吐き、少女の顔をジッと見つめては安楽椅子の肘掛けを指で叩く。硬い金属と乾いた爪がぶつかり合い、その度に男の皮膚片と朽ち欠けたカルシウム片が剥がれ落ちた。


 溝底のように暗い瞳には希望の一片も宿ることはなく、冷徹な口振りからは人間に対する深い憎悪が垣間見えていた。自分以外の生命を無価値と断じ、今ある命は無意味な虫けらと揶揄する男は皮肉気な笑みを浮かべ、少女へ侮蔑を込めた視線を向ける。


 「命は力、死は消失。我忘却せずは是が痛み、我喪失せずは非の苦しみ。ならば結構、貴様ら人間は同じ過ちを繰り返し、やり直したとて痛みに喘ぎ、苦しみに悶えるのだ。絶滅一歩手前まで個体数を減らし、命を喰らい合う亡者の極み。地球という妖星に繁殖したエラー。小娘、私は常々思っていたのだよ……人間という種は星にとって不要な異物であり、廃棄物であるのだと」


 渦巻く憤怒とドス黒い瞳に燃える希死願望。全てを諦め、退路を閉ざされ、少女の父の計画に力を貸す名も無き男……ネームレスは窪んだ眼に少女を映し、肋骨が浮き上がった胸を上下させた。


 ネームレスの言葉に口を返す者は誰も居らず、組み上げた計画に異を唱える者も居ない。彼こそが計画の中核を担い、大部分の負担をたった一人で背負い込んでいるから。方舟のセキュリティの改竄、監視カメラのすり替え、音声データの捏造、技術的支援……。ネームレスが居なければ少女の両親が目指した楽園は成就せず、計画そのものが破綻する。故に、誰も彼の言葉に意見を述べず、腫れ物扱いするばかり。


 だが……ネームレスに恐怖を抱いていた少女はその言葉に違和感を覚えた。人間という生物を見下し、希望を見ないその視点に些細な矛盾点を見つけてしまったのだ。それはあまりにも単純で、激情というラップで覆い隠された深層心理。宙吊りのまま藻掻き、七色の瞳でネームレスを睨んだ少女は「そんな事を言っても……貴男だって人間じゃないッ!!」と叫ぶ。


 「……」


 「そんなに人間を馬鹿にして、命を否定して、無意味や無価値だって評しても貴男も人間でしょ!? 人間が人間を馬鹿にしたって結局は自分自身を否定しているだけよ!! 難しい言葉で彩っても、大層な言葉を並べ立てても貴男は人間に希望を求めている!! だから父さんと母さん、皆に力を」


 パッと少女を掴んでいた鋼が口を開き、落下する身体を優しく受け止める。冷たい金属板の地面にそっと立たされた少女へ、ネームレスは尚も皮肉めいた笑みを投げかけ。


 「そうだ、結局は私も人間なのだ小娘。どんなに否定しようと、拒絶しようとも情と云う心からは逃れられん。憎いと言って罵ろうと、怒りを込めた言葉で他人を嘲ろうと、感情に縛られているかぎり人間性を完全に排除できん。私は人間が嫌いだ……果たせぬ約束を結ぶ者も、死にたくないと言いながら守る者の為に命を捧げる輩も、非合理的な想いに振り回される存在は不完全だと思っている。だが……それでも、美しい姿には僅かな敬意を払わねばならんだろう」


 ゴポリ―――と泡立つ培養カプセルを見つめた。


 「……小娘」


 「イブ」


 「……」


 「私の名前はイブ。小娘なんて名前じゃない。貴男の名前は確か……ネームレス。そうでしょう?」


 「……あぁ、そうだ。私の名前はネームレス。名を奪われ、名を無くし、失った者の名前としては上出来だろう。イブ……そうか、IVE……エヴァを捩ったのか? カミシロは」


 「父さんは貴男を友人だと話していたわ。えっと……気難しいけど、話は分かる奴だって。ねぇネームレス、どうして貴男はそこまで人間を嫌うの?」


 「……子供というのは人の心理に土足で入り込んでくる厄介な存在だ。私の人間嫌いは生来のモノ……生まれつきと言った方が正しいだろうな。私のような厄災を産み落とした母も愚かだと思うし、種を撒いた父も罪悪を分け合った番の一人。私が産まれてこなければ人はもっと早い段階で絶滅し、地球は緩やかに再生への道を辿った筈だ。イブ、私はな……私自身が嫌いなのだ。私という存在が居なければ、私が産まれて来なければ、人類は鳥籠に囚われた生を歩まなかった。だから」


 私は死んでしまいたい。生きていても仕方がないのだから、死んで楽になりたい。それか、もう一度やり直したいのだ……。疲れたようにそう呟き、眼を伏せたネームレスは指先で肘掛けを軽く叩いた。


 「……えっと、死んでしまいたいだなんて、そんなことを言わないでよ」


 「……」


 「貴男が居なければ父さんと母さん、皆の計画が破綻してしまうわ。父さんが言っていたもの……これが最後のチャンスなんだって。人類がもう一度地上で生きていけるには、計画を成し遂げる必要がある。貴男が居なくなれば……本当に人類は終わってしまう。だから」


 「だから私はもっと苦しまねばならないと? だからもっと痛みを噛み砕き、命を屠れとでも言いたいのか? 貴様らは私を利用しているだけで、上の連中と変わりはない。たった一人に罪悪を押し付け、苦しみを分かち合おうとも思わぬ愚図共だ。あぁ分かったぞ……貴様を此処に招いたのはカミシロだな? ヤツの偽善さが……仮初の甘さが私を苦しめようとしているのだな? イブ、貴様は」


 憎悪と憤怒を焚べるネームレスに歩み寄り、機械の山を上ったイブはドス黒い瞳と見つめ合い、掌を大きく振りかぶると骨と皮の頬を叩く。小気味いい肉の音が機械の騒音の中に木霊し、眼を白黒とさせたネームレスは実に百余年ぶりの痛みに困惑した表情を浮かべた。


 「辛いのは貴男だけじゃないのよッ! そもそも私は貴男の事情なんか知らないし、どんな人生を歩んできたのか知り得る術も無い! けど……禄に人と話さない人間がそんな言葉を吐いても説得力なんか在るはずが無い……そうでしょう? ネームレス」


 「……」


 「こんな暗い部屋に一人で居るのが悪いのよ。ねぇネームレス、貴男に友達は居るの?」


 「……昔、一人居た。アイツは……誰からも好かれる奴だった」


 「その人は……いいえ、聞かないでおきましょう。ネームレス、貴男さえ良ければなんだけど……私が貴男の友達になってあげる。暇があったら此処に来るから、ちゃんと饗す準備をしておきなさいよ? いい?」


 「……計画に狂いは許されない。貴様が此処に来るのはもっと後の」


 「そんな頭でっかちなことを言わないで。貴男の意思はどうなの?」


 「……たまになら、時間がある時でなら構わん。イブ、貴様は」


 「そ、なら明日また来るからね。あ、訓練と教育が終わった後だからね!」


 「ま、待てイブ」


 軽い身の熟しで部屋から走り去ったイブを見送り、熱を帯びる頬を擦ったネームレスは偏屈な表情に柔らかな微笑みを浮かべ、モニターへ視線を向けるのだった。


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