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銀の少女達 上

 「お姉ちゃん、本当に行くの? やめようよ……」


 「大丈夫よカナン、貴女が怖がる程ネームレスは怖くない。ほら、ちゃんと背を伸ばして前髪を上げなさい。胸を張って歩くのよ。いい?」


 「そんなこと言われても……」


 「そんなことも何もないでしょう? 全く……双子なのにどうして此処まで性格が違うのかしらね、私達は」


 少しだけ背中を丸め、イブに手を引かれながら歩くカナンは喉奥から呻くような、掠れた声を絞り出すと衣服の裾を強く握り締める。


 双子であろうとも性格まで同じな筈がない。当たり前だ、個々人の人格が統一されていれば争いなんて起こらないし、相互理解も進む筈。人間が人間である限り、人という種が心や個性を捨て去らなければアイデンティティと呼ばれる言葉は消えず、個を尊重する社会は連綿と続くのだ。それをイブは十分に理解しているし、社会という枠組みでしか人間は生きられないことも知っている。


 だが、己と全く同じ姿形をしたカナンを見れば少女の心は小波をたて、何故其処まで自分に自信が無いのかと問い質したくなってしまう。鏡に映った己が矮小な姿を見せ、人の目線や言葉に過剰反応する心理的違和感。それが嫌でカナンの姿勢を咎め、強くしようと一々鋭い言葉を投げかける。イブは卑屈なカナンに苛立ちを覚えていたし、それ以上に些細なことで彼女を傷つけてしまう己が嫌いだった。


 カナンはカナンであって、イブはイブ。それに何の違いもないし、個人として独立した人格がある以上自分の価値観を押し付けてはいけない。何時もカナンを叱りつけるイブへ父が諭した言葉に少女は頷き、涙を浮かべる妹を優しく抱き締め、頭を撫でる母の姿が脳裏を過る。


 父と母が親としての役割を果たすように、己も姉の役割を果たさねばならぬ。両親の愛情を目一杯に受けて育つ妹への嫉妬を抑え込み、誰よりも己に課せられた使命を重く受け止め、強く……罅割れない鋼鉄に成らなければならない。心に渦巻く汚濁を飲み込み、甘えたいという欲求を噛み砕き、齢不相応の冷徹さと冷静さを兼ね揃えなければとイブは自分自身に言い聞かせる。


 「……」


 「お姉ちゃん……? どうしたの? やっぱりやめて」


 「何でも無いわ」


 「う、うん……」


 イブの有無を云わせぬ七色の眼がカナンを黙らせ、無理矢理にでも足を動かす。白い廊下を往き、黒鉄の扉の前に立った二人の少女は独りでに開いた扉の奥……仄暗い闇の中へ進む。


 闇というのは人間の本能的な恐怖を呼び起こし、耐え難い圧力を与えるもの。身を震わせるカナンを他所に「来たわよ! ネームレス!」と叫んだイブは、安楽椅子型の生命維持装置に繋がれた男の前に立つ。


 「……」


 「ちょっとネームレス? 生きてる?」


 男の瞼は閉じ、皺だらけの顔はモニターの光を浴びて生白い。いや、生白いを通り越して視認の顔のように生気の一欠片も感じなかった。


 「お、お姉ちゃん、この人は……?」


 「ネームレスよ」


 「ネームレス……? それって、お父さんとお母さんの計画に協力してくれてる人だよね? えっと、私達の身体に埋め込まれているルミナもこの人が開発したって」


 「そうよ、彼無くして計画は成就せず、世界再生の道もまた見えずってね。ネームレス? 生きているなら返事をくらいしなさいよ」


 機械の山を登り、男の乾いた頬を軽く叩いたイブをカナンは慌てて止める。幾ら異形の姿を持った者が相手でも、年老いた人間の頬を叩くのは如何なものかと思った故に。


 「……起きている。私の傍から離れろイブ」


 「起きていたなら返事しなさいよ、死んだかと思ったでしょう?」


 「私は私のやるべきことをしていた迄。貴様のように勉学と訓練ばかりしていれば良いと云うワケではない。して……」


 ネームレスのドス黒い無機質な瞳がカナンを捉え、骨ばった喉が上下しながら深い溜め息を吐く。


 「もう一方の小娘は片割れの一人か。随分とまぁ……貴様とは様子が違うなイブよ」


 「小娘じゃなくてカナンよ、もう一度そんな風に言ったら張っ倒すからね」


 「……貴様ならやりかねんな、肝に命じておこう。カナン……約束の地の意味を持つ者か。イブとカナンが揃い、後はアダムを待つばかり。計画も順調に進んでいるように見える。イブ、掌を出せ」


 「なに?」


 怪訝な顔をしながら手を差し出したイブの掌に、数個の飴玉が握らされる。見たこともないキャラクターがプリントされた包装紙に包まれた飴玉は、黄金糖のような色を帯びた砂糖の塊。俗に言うベッコウ飴と呼ばれる代物だった。


 「貴様にやる。二人で食うといい」


 「……」


 「どうした? 不要なら此方で処分する。所詮は有機物精製装置で作った砂糖菓子。何も特別なものじゃない」


 「い、要らないだなんて言ってないでしょ!? ほらカナンも手を出して!」


 「う、うん」


 飴玉を口に放り込み、濃厚な砂糖の臭いに鼻腔が擽られる。包装紙にプリントされたキャラクターも奇妙な可愛らしさがあり、何故か心惹かれるものがあった。


 「ネームレス」


 「何だ」


 「このキャラクター……何て名前なの?」


 「名前は無い」


 「どうして?」


 「これは私が一からデザインしたものだからだ。名前も付けていないし、意味も無し。貴様がまた来ると話していた故に作り上げ、その為だけに存在している儚きモノ。何故それに名を付け、存在としての個を与えねばならぬ。全く以て理解できん」


 「そう……けど、なんだか味があって私は好きよ? 貴男、以外にデザイナーとしての才能もあるんじゃない? もし地上で生活出来るようになったら、デザイナーか技術者になればいいと思うわ」


 「……ふざけたことを言う」


 満更でもないと云った表情を浮かべ、柔らかな笑みを浮かべたネームレスはクツクツと笑う。その微笑みを見たイブもまた年相応に笑った。


 「……」


 姉が笑う姿を見たのは何年ぶりだろう。最後に笑ったのは七歳の誕生日であり、その頃から既に使命を負った者としての自覚を携えていたイブは全てを計画に捧げ、誰かの為に生きることを誓っていた。無邪気に喜ぶ己とは違い、誕生日を齢を取る際の形式張った日付として見ていた節がある。


 全員から希望を託され、向けられる期待に恥じない成果を挙げるイブはカナンにとって重荷に他ならなかった。出来が違う双子の姉、それだけでカナンの精神は削れ、両親の優しさも慰めの偽善にしか思えなくなっていたのだ。


 飴玉から滲み出る甘味が喉を焼き、舌が痺れる感覚に襲われる。知らず知らずの内に俯き、目尻に涙を溜めていたカナンは何故己はこんなにも……姉と違って弱いのかと内心嘆く。


 「こむす……カナンとやら」


 「……」


 「何故貴様は泣いている。声も出さずに慟哭し、何故悲しみと嘆きに内心を悲哀に染める。イブよ、この娘は貴様と姿形が同じ……いや、私がそうなるように調整した故に失敗は起こり得ぬ。だが、どうも貴様と違って脆いようだなカナンは」


 「ネームレス」


 「何だイブ、私が間違ったことを言ったか? いいや、言っていない。個我の独立性と自我の共通性は双子であるのならば多少の類似点はあるのだ。一卵性双生児の神秘とでも言い得ようか……片方が死んでも、脳を移植しハカラに保存した記憶を再インストールすれば同一個体を超えた完全なる個を実現できよう。奴は互いに支え合えるようにと願ったが、私からして見れば双子という存在は遺伝子的相性を踏まえた代替品……保険にしか使えぬ欠陥品よ」


 カナンの心が決壊する寸前、乾いた音が部屋に木霊し憤怒を滾らせたイブがネームレスを睨みつけ。


 「妹を侮辱することは許さない。ネームレス、もう一度言ってみなさい……カナンのことを悪く言った瞬間、計画も何もかもをぶち壊してあげる。私自身のことを何て言われてもいい……だけど、カナンに謝って。謝りなさいネームレスッ!!」


 激怒したイブはネームレスの襟首を掴み上げるのだった。


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