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紫煙

 「―――ッ!!」


 ビクリと身体が跳ね、ルミナの活性化を認識したイブは銀翼に接続されていたコネクト・ケーブルを引っこ抜く。幾本もの細い接続端子が宙を舞い、それを一気に掴み取ったライアーズは「治療完了ってところね、イブちゃん具合はどう?」と七色の瞳を見開いた少女に問う。


 「最高とは言い難いけど……何だかスッキリした気分ですね。長い夢を見ていたような……遠い記憶を掘り返されていたような、そんな感じです」


 「ハカラを使っての神経系統治療ですもの、夢幻を見るのは当然よ。それとイブちゃん」


 「はい」


 「敬語は必要無いわ、堅苦しいったらありゃしないもの」


 ケラケラと笑うライアーズは未だ眠り続けるダナンを一瞥し、櫛でモヒカンの形を整えるとジャケットの袖に腕を通す。此処での仕事は終わりだと言葉無く態度で示した男はデッキの状態をビジー状態へ移行させ、大型アタッシュケースに施術道具を詰め込む。


 「……ライアーズさん」


 「……」


 「……ライアーズ」


 「なぁに? イブちゃん」


 「……ハカラには」


 何が入ってるの? イブの呟くような問い掛けにライアーズの機械眼がギョロギョロと蠢き、分厚い唇は意地悪な笑みを象って。


 「それには記憶が詰め込まれているのよ」


 「記憶?」


 「そう、記憶。デジタル・アナライズ化された記憶がハカラに入っていて、必要によっちゃそれを使用者の脳に再インストールする装置がハカラの正体よ。今回は神経系の治療に使ったけど、本来の使用目的はクローン体に本体の記憶を移植する為なの」


 だからサポーターが必要なのか……。一人納得したイブは静かに頷き、隣で眠るダナンをジッと見据える。


 複数人……否、それ以上の記憶がハカラに保存されていたとしたら、クラッキングによる完全消去を施して尚ダスト・データが残っていたとしたら、デッキを介した接続でも人格汚染のリスクが跳ね上がる。それを防ぐ為にサポーターとの並列接続、神経及び記憶の相互同期処理を行う。イブ一人だけの接続では耐え切れない精神的負荷をダナンが肩代わりしていたのだ。


 己が他者に塗り潰され、違う誰かになってしまう危険性は確固たる自我を持つ者にとって最大の恐怖。目が覚めた時に今の自分を形作る記憶が別人の記憶に挿げ替わり、その前の己は存在しなくなってしまうのは死以外の何者でも無い。そのリスクをダナンが知る由も無く、治療が終わる迄情報を伏せていたライアーズは相当意地が悪いに違いないとイブは深い溜息を吐く。


 「ライアーズ」


 「なによ、まだ何か聞きたい事があるの?」


 「……ありがとう」


 「あっそ、お礼を言うならダナンちゃんとリルスちゃんに言いなさい。アタシは自分の仕事を熟しただけなんだもの」


 「それでも」


 「それじゃまた何かあったらコールかメッセージを頂戴ね。バァイ」


 手を振りながら部屋を後にしたライアーズを見送ったイブは、冷感シートを額に張りながらキーを叩くリルスへ視線を移す。


 唇の先を尖らせ、プログラム・コードをノートPCへ入力するリルスの姿は正に零と一の世界を股にかけるウィザードと云っても過言では無い。一瞬のミスも許さぬハカラ・デッキの調整はダナンの精神を現実の肉体へ復元させる接続解除の最終段階であり、此処で一つでもキーを叩き間違えたりでもしたら彼は夢幻の中を揺蕩う存在へ成り果てる。


 「……ッ」


 リルスの小指がエンターキーを叩き、少女は喉の奥に溜まった息を吐き出した。ディスプレイには『complete』の文字が表示され、シートを剥ぎ取ったリルスはコーヒーを一気に呷り、顔を顰めると同時にイブへ視線を寄越す。


 「リルス」


 「あら、随分と顔色が良くなったじゃない。一件落着ってところかしら?」

 「迷惑かけたわね」


 「別に? これくらいどうってこと無いわ」


 泥水を思わせるコーヒーをマグカップ内で回したリルスは眠りこけるダナンに蹴りを入れ「起きなさいよ、もう接続は解除したんだから」と底に残ったコーヒーの残りを飲み下した。


 「ダナンは」


 「なに? 彼がどうかした?」


 「もしこの施術が失敗したら、死ぬ可能性があることを知っていたと思う?」


 「さぁどうかしら。多分知らないんじゃないの?」


 疲れたと一言呟いたリルスは毛布を被り、瞼を閉じる。


 「ねぇリルス」


 「……」


 「貴女とダナンは……何時頃出会ったの?」


 「……今そんな話、関係無いでしょ」


 「あるわ」


 「どうして?」


 「知りたいのよ、貴方達のことが」


 「知っても面白くないわよ」


 「面白いだとか、つまらないなんて話じゃないのリルス。夢の中で……ハカラ・デッキと繋がっている時に、言われたの。人は一人じゃ生きられないって」


 「……不思議なことを言うものね、夢の中の話でしょう?」


 「そうね」


 シンと静まり返った一室に三人分の呼吸音が木霊していた。話すべきか、話さないべきかと逡巡するリルスと答えを待つイブの浅い呼吸。永遠とも思える沈黙が耳鳴を呼び、布が擦れる音さえも雑音に思えて仕方が無い。


 「本当に面白くない話よ」


 「……」


 「私の父親が殺されて、どうしようもなくなって路地を歩いていたらダナンに助けられた。その後、私は私の出来ることで金を得て、ダナンに仕事を振っている。運が良かったのよ私は」


 「ダナンが貴女を助けたの?」


 「そう言ってるじゃない。そうね……あの時は二人とも飼い主を失った犬みたいで、心のどこかで依存先を探し求めていたんじゃないかしら。私は下層街で生きる武力……有能な護衛が欲しかったし、ダナンは情報データの価値をしっているウィザードを探していた。お互い必要だから手を組んで、相互依存的に生きてきただけ。十年間……変わらずにね」


 「十年間も?」


 「そう、十年間。あの時は私もダナンも若かったし、まだ子供だったわ。確か……私が八歳で、ダナンが十二歳だったかしら? 時が経つのは早いと思わない? ねぇイブ」


 懐から傷だらけのジッポライターを取り出し、蓋を開いたリルスはダナンの煙草を一本口に咥え火を着ける。細い紫煙が宙に舞い、円を描きながらクルリと回った。


 「ダナンは」


 「……」


 「彼はね、自分の心が分からないの。分からないから誰も信用しないし、信頼もしない。多分、十年一緒に仕事をしている私も信じていないわ。けど、それも崩れ始めてる」


 グローリアに向けるダナンの態度を目の当たりにしたイブはリルスの言葉に頷き返し、煙草を口に咥えてライターを借りる。


 「煙草、嫌いじゃなかったの?」


 「たまにはいいでしょ? 私の父も……よく煙草を吸っていたの」


 「そ、なら私達の父親は似たような嗜好なのかもね」


 紫煙を燻らせ、薄い笑みを浮かべたリルスはイブをジッと見つめ。


 「イブ」


 「なに? リルス」

 「中層街に行きたい?」


 「……そうね、塔の上に行かなきゃいけないと思ってるわ。どうしたの? いきなり」


 「いいえ、特に何も? けど、仕事をしなきゃいけないわね。それと中層街へのパイプ作りと……。ダナンもまだ起きそうにないし、少しだけ休みましょう? 後のことはこれから考えればいいんだから」


 膝を抱えたまま横になったリルスは微かな寝息を立てながら微睡みの底へ落ちる。少女の寝顔を眺めたイブは毛布を広げ、身体に巻きつけると瞼を閉じた。


 「……」


 己は何をどうしたいのだろう? 使命や計画を優先するべきなのに、何故この二人についてもっと知りたいと思ったのだろう? 一時の気の迷い……勝手な自己満足に過ぎないのだろうか?


 「……おやすみ」


 そう呟いたイブは、隣で動きを見せたダナンを最後に意識を闇の底へ落とすのだった。


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