生きていても仕方が無いと溜息を吐き、それでも死にたくないと銃を握る。
生きる事は苦しみの連続だ。痛みに喘ぐ夜を越え、曖昧な生の実感を得ながら目を覚ます。化膿した傷口から黄緑色の膿を絞り出し、白みがかった鮮血を指で拭う。異臭を放つ膿混じりの血液は粘つきながら皮膚に染み込み、固まった血と剥がれ落ちる。
痛みを奥歯で噛み砕き、叫びをあげようとする声を押し殺す。荒い息を吐きながら血痰を吐き出し、黒いアスファルトにへばり付いた液体に映る己を見た時、そこでまた生きていると……死んでいないと認識して銃の弾倉に弾丸を詰め込む。
生きる為に戦って、死にたくないから戦って、積み上げてきた屍の数を数える暇なく戦った。命の意味を考える余裕も無く、何故死にたくないと心から願い、生きていたいのかと祈っているのかさえ分からずに。
老人の墓石を見下ろしたダナンは彼が死んで、一人で生き抜いてきた十年間を振り返りながら「俺はまだ……見つけちゃいない」と呟き、酒瓶の蓋を開ける。濃いアルコール臭が鼻孔を突き、瓶の口ギリギリまで満たされた酒の一滴が零れ落ちた。
育ての親である老人がどんな酒を好んでいたのかダナンは知らなかった。スキットルを一口呷り、古ぼけたピースメーカーの手入れをする姿は覚えている。多分……それは自分が自分で在り続ける為の儀式めいた所作であり、仕事と向き合う姿ではなかった筈。当時のダナンはその行為に何の疑問も抱かず、ただ生きる為の……戦いの為の準備だと思っていた。
だが十年の時を経て、一人前の遺跡発掘者として生きるダナンは何故老人が丹念にピースメーカーを磨いていたのか分かったような気がした。
考えていたのだ。これからの事や、何をするべきかを。銃の手入れの中に自分を見出し、何をどうしたらいいのか老人は整理していたのかもしれない。布に湿らせたシリコンオイルの香り、鈍色の金属光沢に映る己の顔、引き金から響く撃鉄の乾いた音……武器との無言の対話の中で老人は自分がやるべきことを見出していたに違いない。
老人のようになりたかったのか、自分だけの道を見出したかったのか……。時代遅れのカウボーイを名乗り、誰かを救えるような人間に己は成れないだろう。老人のように弱者へ手を差し伸べ、誰かの為に戦える程己は強くない。自分の命を守ることで精一杯の人間が……誰かを守る余裕を持てる筈が無い。
墓石へ酒瓶を傾け、中身をかけたダナンは残った一口分の酒を口に含み飲み下す。熱い息を吐き、くらりと視界が歪んだ。
ずっと……ずっと、このまま迷って生きていくのだろうか?
生きる意味さえ見出せず、死にたくないと引き金を引いて死を振り撒く存在に成り果てるのだろうか?
足元に転がっている再起のチャンスに見て見ぬフリをして、生きる屍のように命を腐らせるのか?
「ダナン?」
「……」
「ダナン!!」
「……五月蠅いぞ」
「五月蠅いってなによ! 考え込んで……えっと、その石はなに?」
「墓だ、俺の育ての親の」
「アンタが言ってた爺さんって人の?」
「そうだ」
「へぇ」
背中越しに伝わる少女の鼓動とダナンの鼓動が重なり、耳鳴りを思わせる朧げな静寂が木霊した。
「何を考えてたの?」
「……言っても分らんだろうよ」
「分かるか分からないかはアタシが決める」
「決めるってか? お前が?」
「うん」
「馬鹿も休み休み言え、お前如きに答えられる問題じゃない。これは俺自身の問題だ。俺が解決しなきゃいけないんだよ。餓鬼は黙ってろ」
「餓鬼って……少しくらい教えてくれてもいいじゃん!」
深い溜息を吐いたダナンは少女を背中から下ろし、リボルバーを抜くと背後で腕を組んでいたダモクレスへ視線を向ける。
「ダモクレス」
「……」
「俺は無頼漢には入らない。これは俺の選択で、お前がどんなに俺を勧誘しても変わらない」
二度とお前の顔は見たくない。静かに歩を進め、墓地から去ろうとしたダナンの肩を鋼の手が握り締めた。
「ダナン」
「……」
「俺は何度でもお前の前に現れる。お前がダナンである限り、ダナンを名乗り続ける限り、俺の眼から逃れられると思うなよ? そうだ……お前と俺は決して離れられぬカインとアベル。個我と自我を司る神が供物を寄越せと囀る限り……死が二人を別つまで殺し合うべきだ。違うか? ダナンッ!!」
「黙れよ狂人が」
正に一触即発の殺意の応酬。完全機械体が故の機械の咆哮がダモクレスから轟き唸り、ダナンの機械腕もまた超振動ブレードを展開する。
死が二人を別ち、一方の生存を許さぬなら何方か一人殺すまで闘争は終わらない。ダモクレスはダナンと殺し合えることに至上の喜びを感じ、ダナンはダモクレスという存在自体を許容出来ないから苛立ちを込めた激情を滾らせる。あと一つ……起爆剤と成り得る何かが爆発した瞬間、破滅的な殺し合いが始まる。
もしかしたら……と、ダナンはダモクレスの狂気に染まった機械眼を見据えながら思う。
俺はこの男が嫌いなんだ。人間性とか精神性を差し置いて、ただ単純に存在が気に入らないから殺したい。一人自分だけ納得している姿に腹が立つし、思い通りに事を運ぼうとする魂胆が許せない。見えない手で頭を押さえつけられるような不快感と、力づくで全ての願望を叶えようとする底無しの欲望……。俺はこの男が嫌いだ。個人的に……殺したいんだ。
だが―――ダモクレスの手を叩き落とし、鋼の巨躯に背を向けたダナンは吼え狂う憤怒を胸に歩き出す。思い通りにさせてなるものかと。命を賭ける瞬間は自分で決めるとばかりに、ゆっくりと。
「ダ、ダナン」
ダナンの後を追うように走り出した少女をダモクレスが一瞥する。ギョロギョロと忙しなく動き回る機械眼に恐怖し、一瞬足を止めた少女は小さな悲鳴を漏らした。
「おぃ餓鬼」
「あ、あ……ぁ」
「お前はダナンの何なんだ? お友達か?」
「あ、アタシ、は」
「あぁ安心しな、俺に餓鬼を殺す趣味は無い。だがな……お前一人で何が出来る?」
「―――」
「後ろ盾も無い、守ってくれる奴も居ない、親兄弟も居ないんだろう? 餓鬼、お前に選択肢をやる……。黙って無頼漢に入るか、肉欲の坩堝に売られるかだ。選べ、餓鬼」
強者の言葉は下層街では絶対で、必ず答えなければならない命の選択。早鐘を打つ心臓が収縮を繰り返し、上昇しては下降する体温に冷汗が流れ落ちた。
提示された二択は服従か死の束縛。どちらを選ぼうと少女の命は塵滓のように浪費され、無様に消え逝く定め。ダモクレスのプレッシャーから目を逸らし、俯いた少女は歯をカチカチと鳴らし、込み上げてくる胃液を吐き出した。
死ねば全てが終わる。苦痛も、絶望も、文字通り何もかもが綺麗サッパリ消え失せる。しかし、それは希望と明日を同時に投げ捨てる選択なのだ。限られた選択肢の中で苦しむか、痛みの中で死ぬかという残酷な二択。
「―――」ダナンは言っていた。弱者であっても選択する義務があると「―――て」弱者は弱者なりの選択を選び取らねばならないのだ「―――助けて、ダナン!!」第三の選択肢を手繰り寄せて。
「ダナンがお前を助ける筈が無いだろう⁉ アイツは奴とは違うんだ―――」
瞬間、ダモクレスの電磁バリアが展開され、マグナム弾を弾き返す。紫電が舞い散り、閃光の中を掻い潜ってくる一人の虎狼―――ダナンはへレスを抜き放ち、驚愕と歓喜の表情を浮かべるダモクレスへ刃を振り翳し。
「俺が何だって? ダモクレスッ!!」
と、完全機械体へ戦いを挑むのだった。