誰かの為に戦うなど非効率的だ。誰かの為に戦ったとしても、己に利益があるワケではない。死んでしまったら元も子も無く、どうせ後悔するに決まっている。助けを求める声に耳を貸さず、見殺しにしておけばよかったと悔恨に沈む己の姿が見えていた。だが……何故己は武器を握って無意味な戦いに挑んでいる。少女の助けを求める声に反応し、勝機が見えない戦いに身を投じた。分からない……。
ダモクレスの勝ち誇った顔が憎たらしい。そうあるべきだと声も出さずに肯定する態度が忌々しい。凶刃を振るい、圧倒的な力で意思を捻じ曲げ、捩じ伏せようとする完全機械体は見るだけで吐き気を催す醜悪な武の権化。孤独こそが人を強くすると信じ込み、人は無頼であれと強要するダモクレス。奴と己は決して相容れぬ水と油であり、熱湯と冷水なのだ。混ざり合うことが出来ず、交わってしまえば別の物質へ変わってしまう存在であるが故に衝突する。
鋼の巨腕から展開された超電磁クローを紙一重で躱し、へレスの刃を薙いだダナンは少女を抱え込むと虎狼のような身の熟しでダモクレスと距離を取る。敵対する存在を際限なく追い続けるダモクレスの機械眼が蠢き、常人には耐え切れない情報の波を補助脳が瞬時に判断し、最適な戦闘行動を提示する。
「ダナン―――」
「少し黙ってろ、舌を噛むぞ」
此処でダモクレスと戦うのは分が悪い。それは地形や戦力、武器武装といった環境による問題ではなく、ダナンの腕に抱かれていた少女の存在によるものだった。
一人ならばこんな苦労を背負い込む必要は無かった。肉と血を撒き散らせながらダモクレスの手帳を奪い取り、燃やしてしまえば事は済む。だが、機械の巨人は既に少女をターゲットにしていて、ダナンとも何方か一方が死ぬまで殺し合うつもりなのだ。逃げたとしてもダモクレスは何処までも追って来る。息の根を完全に止めるまで彼の狂気は血に濡れた牙を剥く。
「ダナァン」
「……」
「御祈りは済ませたか? 闘争の準備は万全か? 俺を殺す用意はオーケー? あぁ安心しろ……俺の方は」
既に整っているッ!! ダモクレスの脚部装甲からスラスターが展開され、高速移動を開始する。瞬きする程度の時間でダナンの眼前に十枚の電磁クローが襲い掛かり、頬を斬り裂かれた青年は少女を抱えたままマグナムを連射する。
こんなモノは無意味だ。電磁バリアによって弾け飛んだ弾丸が木っ端微塵に粉砕され、パラパラと煤に帰して溢れ落ちる。
皮膚に生体融合金属を纏わせ、凶刃を弾いたダナンは叫び声をあげる少女の口を塞ぎ、EMP手榴弾をベルトから起爆装置の制御ピンと一緒に引き抜く。液晶パネルに表示された目盛りが時間と共に減少する。
EMP……チャフを撒けば己の中で活動するルミナが麻痺し、機械腕も機能を停止するだろう。だが、ダナンは強烈な電磁波の中でも活動することが出来る生身の人間で、ダモクレスは身体の九割超を機械に挿げ替えた完全機械体。再起動を考慮しても……僅かな時間を稼ぐことが出来れば上々だ。
「させるかよッ!! ダナン!!」
「ッ!!」
機械体の装甲から展開された四門のターレットが一分の狂い無くEMP手榴弾を撃ち抜き不発に終わらせる。実弾とレーザーの色鮮やかな閃光がダナンのコートを燃やし、弾痕を刻む。
「ダナァン……どうした? お前はこの程度じゃねぇ、もっと俺を追い詰めろよッ!! お前がダナンなら、ダナンを名乗るなら、そのガキを守りながら俺を殺せッ!! 殺意の牙を研ぎ澄まし、憎悪の濁流に飲み込まれながら憤怒の業火を滾らせろッ!! なぁ……時代遅れのカウボーイッ!!」
「―――俺は」
焼け爛れる傷口から嫌な臭いが漂った。抉られた傷口から血が噴き出し、鉄錆の臭いが鼻腔を突く。
時代遅れのカウボーイ……そんなものに己は成れない。誰かの為に戦う高尚な意思も、自分以外の命を救う力を持ち合わせていない己は空虚な伽藍に違いない。
ダモクレスのように力を信じ、無頼に一種の美学を見出す狂人に己は成れない。アェシェマのように欲望を追い求め、絶望と狂気を振り撒く支配者にも成れない己は一体何だ。もしかしたら……己はダモクレスの言う通り、既に心が鉛と化した機械なのかもしれない。彼の言葉を否定出来る材料は……この両手に存在しないのだから。
「……」腕に小さな振動が伝わった「……」咳き込む声が鼓膜を叩き「……」少女の苦痛に歪む顔が視界に映る。
「……ッ」
少女の頬から真っ赤な血が流れ出していた。拭っても、擦っても、止めどなく溢れる鮮血が示すは取り返しの付かない刃傷。口元を押さえていた小さな掌の、骨ばった五指の隙間からも血が滴り落ち、そこでダナンはようやく少女が重傷を負っていることに気づく。
横腹に突き刺さっていた鉄片と、電磁クロ―の熱によって爛れた皮膚。ダナンとダモクレスの苛烈を極める攻防は少女の柔肌を容易に傷付ける悪鬼の殺陣。自分一人だけが生き残れば良いと、他者の傷などお構いなしに殺し合うダナンの戦いは無意識レベルで助けを求めた少女へ流れ弾を刻んでいた。
早急に救命措置を施さなければ命を落とす。出血量と傷の度合い、見た目の年齢から逆算するにもって五分。今直ぐに闇医者に診せなければ少女は死ぬ。腹の底から迫り上がる焦りに鳥肌が立ち、言いようも無い吐き気を覚えたダナンは「ネフティス」と呟き、戦闘支援AIを呼び出す。
『何でしょう? ダナン』
「……」
『何か御用があればお答え致します』
「……イブの状況は」
『管理者イブは現在睡眠中です。呼び出しましょうか?』
「頼む。リルスに通信を繋いでくれ」
『了解』
少女を地面に横たわらせたダナンは超振動ブレードを展開し、左手にヘレスを握る。
「やっと本気で俺と殺し合ってくれるのか? ダナン」
「……」
「黙ってねぇで何とか言えやッ!! ダナンッ!!」
襲い来る鋼の巨人と真正面から戦うのは不可能。超高密度の弾幕と近接戦闘に特化した武装をやり過ごし、懐に潜り込もうとしても電磁バリアの障壁に阻まれ容易に近づけないことは明白だ。身体を貫かれ、斬り裂かれ、ルミナによる修復でこの場を凌ごうと、時間を掛ければ掛ける程少女の命は削れてしまう。傷口から流れ出る血が時計の代わりとして。
血を吐きながらヘレスを振るう。動きを鈍らせるために放たれる弾丸を鋼の表皮で弾き、高速で移動するダモクレスに必死で食らいつくダナンは激情を纏った咆哮をあげながら自問自答する。何故此処までボロボロになりながら、たった一人の少女の為に戦っているのかと。見捨て、踏み躙り、搾取するべき弱者の為に戦っているのかと、己に問いを投げかける。
過去の己と重なったから? 血と虐に曝され、暴力に屈した己と重なったから老人と同じように戦っているのか? もしかしたらという希望を抱き、拙く脆い光を得たいが為に内で暴れ狂う獣性を制そうとしているのか? いや違う、そんな複雑な思いを己が抱ける筈が無い。憧れを諦め、理想を卑下する己が……あの人のように成れる筈が無いのだ。そんなこと……自分が一番理解している筈。なのに何故―――。
閃光と鋼の唸り、鳴り響く銃声と轟く咆哮。ダモクレスの両肩に積まれた大型レーザー砲にエネルギーが収束し、血を撒き散らしながらヘレスで動力パイプを斬り裂いたダナンの視界が真っ白い極光に覆われ、生体融合金属が赫赫とした熱に包まれる。
「もう終わりか? ダナン、アレを使えよ。前に使ったあの力を……破滅を回避するための切り札を俺に見せろッ!! それで俺を殺せダナンッ!!」
「……」
黒焦げとなったダナンを見下ろし、思いっきり踏みつけたダモクレスは少女へターレットの銃口を向け。
「そうしなきゃ……お前が自分自身で守ろうとした餓鬼を殺すぞ? ダナァン」
「―――ッ!!」
ドス黒い瞳に再び闘志を燃え上がらせたダナンに、期待と歓喜が入り混じった歪な笑みを浮かべるのだった。