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誰の手を握るのか 中

 うっすらと……霞む視界に映るのは火花を散らす鋼の二人。


 「……」


 口一杯に広がる血の臭い、指先に触れる滑った血、皮膚に張り付く乾いた血……。浅い呼吸を繰り返す少女は背を墓石に預けながら身を震わせ、徐々に失われてゆく痛みに寒気を覚えた。


 「……」


 死を前にした時、人が思い返すものは何なのだろう。老人と暮らした記憶? 凄惨な裏路地での苦しみ? 在りもしない家族と暮らす妄想? 口角から血を垂れ流し、俯いた少女は身体を横に倒すと薄く笑う。


 何も無い。思い出す事など、思い返せる記憶など何処にも無いのだ。生きていて楽しいと思えることも無く、喜びを感じた瞬間にそれは強者によって無惨に砕かれる生。死んでしまいたいと何度も願い、死ぬ勇気を持てなかったが為に延々と間延びされた命を浪費する。


 誰かに殺されることでこの苦しみから解放され、出口の見えない痛みに終わりを告げられるのなら、このまま目を閉じ楽になってしまおう。これ以上苦しむ必要が無いまでに徹底的に破壊されて、自分が居た痕跡すら消してくれないかと祈ってしまう。下層街という地獄に産まれ落ち、強者に搾取され続けるくらいならば……死んでしまった方が正しい。


 「……」


 死力を尽くして戦うダナンを眼に映し、血を撒き散らして抗う姿に玲瓏なる炎を見た少女は思う。


 何故自分如きの為に戦ってくれるの?


 アンタとアタシは赤の他人なのに、どうして守ろうとしてくれるの? 


 この街で他人を守っても、誰にも感謝されないのに。みんながみんな自分の為に生きていて、誰もが他人を踏み台か何かだと思っているのに、どうしてアンタは……ダナンは私を見捨てないの?


 機械腕から伸びる超振動ブレードがダモクレスの電磁クローを弾き落とし、へレスの刃が電磁バリアを斬り裂いた。紫電が迸り、周囲に飛び火するとプラスティック製の草木を溶かす。


 炎……真紅の揺らめきがこれ程までに温かいと感じたことはない。弾ける火の粉が頬に触れ、刺激となって痛みを呼び覚ます。


 「……」己はまだ生きている「……」死んでなどいない「……」まだ苦しみは続き、命は絶望に苛まれるのだろう。だが……己はまだ生きている。痛みを感じるということは、思考を続けていられるということは、命の証明に他ならない。


 手を伸ばし、必死に這い蹲る。脇腹から流れ出る血を気にも留めず、ダナンの邪魔にならない場所へ移動しようと這って進む。守られる己が此処から居なくなればダナンは自由に戦える。彼が戦いに集中できるよう、ダモクレスを殺すことができるように、己も誰かの為に行動しろ。守られてばかりでは……命を救ってもらうだけならば、犬畜生でも出来るのだから。


 「貴女、大丈夫?」


 荒い息を吐き、爪が剥がれた少女の指先に柔い白肌が触れた。


 「待っていなさい……大丈夫、処置できるわ。貴女は生きたい? それとも死にたい? 選びなさい」


 「……たい」


 「ハッキリ言って」


 「アタシは……まだ、生きていたい」


 「そう、なら少し我慢なさい。それくらいの傷なら治してあげる。荒治療だけどね」


 「え―――」


 銀の翼が少女の傷口に抉り込み、羽根の先から精密医療機器が展開される。想像を絶する痛みに叫び、ビクリと跳ねた少女は涙で潤んだ視界に映る銀髪の少女……イブを見る。


 「あまり動かないで貰える? 手元が狂うわ」


 「―――ッ⁉」


 「それにしても」


 ダナンが、彼が誰かの為に戦うなんてね。破れた血管を縫合し、鉄片を取り除いたイブは少女の身体へ人工血液を注入するとその細い体を抱き上げ、銀翼を羽ばたかせる。


 「アン、タ……は?」


 「アンタなんてそんな個性的な名前じゃないわよ? イブ……それが私の名前。貴女の名前は?」


 「……」


 「……まぁいいわ。守ってあげる」


 「……どう、して?」


 「私より弱くて、小さいから」


 「……ダナン、も」


 「えぇ」


 「どうして、アタシを、アンタ達は守って、くれるの? 下層街じゃ……意味が」


 「ダナンは分からないけど、私の理由はもう言ったつもりよ?」


 「……」


 「貴女が私よりも弱くて、小さくて、生きていたいと手を伸ばしたから。それ以上でもそれ以下でもないわ」


 凛とした声色で迷い無くそう言い切ったイブは、七色の瞳を煌めかせながら銀翼の一枚をダナンへ向けて飛ばし、その背に突き立てる。ダモクレスの猛攻を耐え凌ぎ、イブの存在に気が付いたダナンは「コード・オニムス、解放」と呟き、真紅の装甲を全身に纏った。


 「ダナンは……」


 「なに?」


 「ダナンは……ダモクレスに勝てると思う?」


 「さぁどうかしら。多分、そうね……勝てないわ」


 「……」


 「迷っているかぎり、自分の心さえも理解できない人間が覚悟を決めている人間に勝てる筈がない。そう思わない?」


 「で、でも」


 轟音が鳴り響き、ダナンの機械腕が大型ブラスターを構成する。赫々とした熱線を発射し、へレスから光波を放った青年は完全機械体と激突する。


 破滅と破壊を体現した強者同士の殺し合い。そこに弱者が介入する隙は無く、心さえも焼き尽くす殺意の奔流に吐き気を催した少女は、イブの腕に抱かれながら口元を押さえると粘ついた唾液を指の隙間から垂らす。


 「行きましょうか」


 「……何処に?」


 「ダナンの住処よ」


 「……」


 「此処に居ても邪魔になるだけ。私一人ならダナンの加勢に向かえるけど、貴女が居たら彼は死ぬ。ルミナがあっても……心が死んだら意味も無し。何か言いたいことはある?」


 「……なにも」


 「無いだなんて言わないで」


 イブの鋭い言葉に少女の心臓が早鐘を打ち、額から汗の雫が流れ落ちる。


 「流されるままに生きるのは誰にだってできて、その時に手に取った選択を後悔するのは自分自身なのよ? 貴女はどうしたいの? 貴女自身の心は何て叫んでいるの? その手は……何を柄みたいの?」


 「アタシは……」


 この両手に残ったものは何も無い。骨ばった掌は煤で汚れ、赤黒い血が付着していた。


 力も、自由も、誇りも……元から何も無かったのだ。奪い、奪われる世界に生きてきたから諦めを覚え、他人の命を踏み台にしてまで生き残る術を知った。


 だが……それでも、少女は掌を握り締めると死闘を繰り広げるダナンを見つめ「イブ、アンタは戦えるの? ダナンと一緒に」と問う。


 「えぇ」


 「なら……アタシのことは構わずに、ダナンと一緒に戦って。お願い、イブ」


 「貴女はどうするつもり?」


 「アタシは自分のできることをする。どうにかして生き残ってみせる。だからダナンを助けて……アイツが私を助けてくれたように、アンタの力を貸してあげて!」


 少女の言葉に満足げな笑みを浮かべ、四枚の銀翼を巧みに操ったイブは地上に降り立ち、七色の瞳を煌めかせる。


 「安心なさい」


 「……」


 「ダナンが守ろうとした貴女を見捨てる筈がないでしょう? 大丈夫よ、もうすぐ戦いは終わるんだもの」


 「何で―――」


 獣の咆哮を思わせる叫びが辺りに響き渡り、ブラスターの熱線がダモクレスの手帳を焼き払う。身体をビクリと震わせた少女が見たものは右腕を断ち切られたダモクレスと、バイザーの半分を砕かれ、満身創痍で立つダナンの姿。


 一瞬の静寂の後、うつ伏せで倒れたダナンはコード・オニムスを強制解除され意識を失った。ダモクレスもまた地面に転がる右腕を一瞥し、イブを見やると。


 「お前はダナンの番いか? 小娘ぇ」


 鋼の巨躯を唸らせながら二人の少女を見下ろす。


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