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第九章␣ネオン・ディープ・ラン

老人と青年

 「いつだって、人は一人じゃ生きられない。そうだろう? ダナン」


 オイルでリボルバーの銃身を磨く老人は紫煙を口から吐き出し、灰が長くなった煙草を灰皿の上で一つ叩く。


 落ちた灰がバラバラに砕け、細かな白と黒の滓になって散らばった。硝子を割り、それをブーツの靴底で更に砕いた無造作なコントラスト。空のマガジンに弾丸を込めていたダナンはぼんやりと老人の横顔を見つめると真新しい弾丸パックの封を切り、綺麗に並んだ9mmパラベラム弾頭を機械腕の指先で摘む。


 「いや違うな……生きる事は簡単だ。喰って、寝て、起きて、戦って、また眠る。それだけできたら人は生きていると言える。だがな、それじゃぁ生きているだけなんだ。ゾンビと何ら変わらねぇ。違うか? ダナン」


 パチリ―――と、ダナンの弾丸を込める手が止まる。


 「意味を持って、何を得たいか考えて生きるのは難しい。今を見つめて生きていても、前を向かなきゃ足元に広がる奈落にさえ気付かない。戦う事は生きることだが、人は戦いばかりじゃ生きられない。そんなものは……獣と同格かそれ以下だ。ダナン、お前が握る銃は何の為にあって、何で引き金を引くのか考えろ」


 「……」


 再び手を動かし、マガジンを弾丸で満たしたダナンの銃のグリップを握る。


 生きることは戦う事で、戦いとは連綿と続く闘争の呼び水に他ならない。戦えば戦う程に人は自ずと死へ歩み寄り、真っ黒な水面を揺らめかせる底なし沼に沈みゆく。憎悪が憎悪を呼ぶように、怒りが更なる憤怒の薪となるように……生きている限り人は戦いから逃れられない。


 抗いは無意味である。何故なら、己は暴力を用いて生き残る方法しか知らないから。


 贖いは無価値である。罪と感じ、悪と断ずる心を知れば躊躇いを覚え、弱さにつけ込まれるから。


 無慙無愧……恥知らずで生き、罪に後悔しない生き方でなければ世界に飲み込まれ、己の頭を抑えつける圧力に屈してしまうから。


 恥辱を飲み込んで生きるくらいならば、悔いを残しながら死ぬくらいならば、己は悪鬼修羅の道を選んで生きる。誰にも理解されずとも、同情や共感を得られなくとも、そんなものは関係無いと叫んでみせる。飢えた獣のように牙を剥き、殺意を滾らせ死を見つめよう。それが……生き残る術だと思い込みながら。


 「守るものが増える程人は身動きが取れなくなるし、取るべき選択が重くなる。当たり前だ、守るってのは言葉じゃ簡単に言えることだが、行動に移せる輩はそう多くない。何を拾い上げて、何を切り捨てるのか……情が判断を鈍らせ、心が合理性を捻じ曲げる。他人ってのはな、己を縛る枷なんだろうよ」


 「……爺さんは」


 「ダナン」


 老人の鋭く低い声がダナンを押し黙らせ、言葉を遮り。


 「それでも、枷を嵌めて生きることこそが人を人たらしめる証左なんだよ。邪魔だと思っても人の縁ってのは容易に振り解けない鎖であり、絆と呼べる感情の輝き。情があるから人間は獣に堕ちず、心があるから誰かを求めて止まないんだろうな。

 だからダナン……お前が他人をどう思おうが俺はお前の考えを受け入れるし、俺はお前の味方でありたいと思っている」


 老人の冷たい鋼の手がダナンの頭を乱暴に撫で、無精ひげの奥に見えた口に笑みが浮かぶ。


 「恐れるなよ、自分を。怖がるなよ、他人を。お前が世界をどんな目で見てるか知らんが、思っている以上に世界は綺麗だと思うぜ? なぁ、ダナン」


 「……」


 マガジンを銃に装填したダナンは俯きながら乾いた唇を舌先で舐める。


 「最近さ」


 「あぁ」


 「色々な奴と会ったんだ。理想を本気で叶えようとしてる奴、自分を信じて目的を全うしようとしている奴、欲望に染まった頭のおかしい奴……。爺さん、俺は……多分、ずっと周りが見えてなかったんだと思う」


 「そうか」


 「確かに爺さんの言う通り生きることは……ただ生きることは簡単なんだと思うんだ。危ない奴は殺して、利用できそうな奴は死ぬまで利用する。下層街じゃそれは当たり前……馬鹿でも分かる真理みたいなものでさ、俺もその生き方を疑ったことは無い」


 「……あぁ」


 「変な話だと笑ってもいいし、馬鹿だと思ってくれても構わない。爺さん、此処は夢なんだろ? アンタはとっくの昔に死んでいて、死体を見つけたのも俺だ。だから……夢の中でしか会う事ができない俺の想像が今の爺さんだ。でも……一つ聞いてくれないか? 爺さん」


 カチリ―――銃身をスライドし、弾丸を装填したダナンは引き金に指を添える。


 「守りたい奴なんて居ないし、守るなんて感情も分からない。だけど、何かを守ることに意味意を見出して、それが自分の求めている何かに辿り着く式だとしたら、あの少女を助けたことは間違いなんかじゃない。

 昔爺さんが俺を助けてくれたように、少しでもアンタに近づくことが出来たのなら、ちょっとはマシな人間に成れたんだって思えるんだよ。爺さん……俺は、アンタみたいに成れるかな? 誰かを助けられるような、救えるような人間にさ」


 絶対に、己は老人のようには成れないと思っていた。彼のように誰かを想い、誰かの為に動ける人間に成れないと感じていた。


 「ダナン」


 「……」


 「お前なら、きっと大丈夫だ。俺のように……いや、俺以上のお前になれるさ。なんつったってよ、お前は俺の息子なんだからな」


 「血の繋がりは無いけどな」


 「そうだ、俺とお前は実の親子でもなければ、赤の他人でしかない。だけど心の繋がりは血よりも濃いと思ってるぜ? 俺ぁな」


 ハットを被り、コートの袖に機械腕を通した老人はガンホルスターにリボルバー……鈍色の輝きを放つピースメーカーを押し込み、ドアノブを握る。


 「爺さん」


 「何だ? ダナン」


 「……俺は、アイツ等を守れるんだろうか」


 「……」


 「リルスとイブを守り抜くことができるのか……不安なんだ。俺は戦う事しか知らない馬鹿で、爺さんが……みんなが思う程賢くもない。ここまでずっと生きてきて、こうして悩むのだって……初めてなんだ。爺さん、俺は」


 「どうもこうもあるかよ」


 「……」


 「ダナン、お前が思った通りに事は簡単に進まない。当たり前だよな? 遺跡探索だって、リスクと利益を天秤に掛けて足を進めなきゃならん。戦いも同じだろ? 生きている限り何度も迷い、何度も挫け、何度も倒れてしまう。当然だ、悩んで躓くことは正者の特権なんだよダナン」


 だから―――扉を開けた老人はニヒルな笑みを浮かべ。


 「何度でも迷い、自問自答を繰り返し、最善の選択を……自分が納得する結果を諦めるな。お前だけで結果を変えられなければ、信じる誰かを頼ればいい。納得出来ない結末が見えたのなら、頭を押さえつける不条理に全力で抗え。安心しろ、お前に不可能なんざありゃしねぇさ」


 仄暗い闇が広がる廊下へ姿を消した。


 「……」


 一発、また一発……。弾丸をテーブルの上に並べたダナンは老人が座っていた椅子に腰かけ、煙草の箱に残されていた最後の一本を口に咥え、火をつける。


 細い紫煙がゆらりと上り、ジリジリと真っ赤な火種が燻ぶった。舌先を突く辛味と鼻孔を通り抜ける仄かな苦味。ゆっくりと瞼を閉じたダナンは、血に混じって体内を駆け巡るニコチンの酔いに身を任せる。


 「……爺さん、俺は」


 もう少し……誰かを信じてみようと思う。俺を拾ってくれたアンタのように、その大きな背を目指してみたいと……そう思うんだ。掠れた声で呟いたダナンは、吸いかけの煙草を灰皿に押し付け、意識を己の内へ落とし込むのだった。


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