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星を追って 上

 鋼鉄板に覆われた空を踊るは電子で彩られた仮想の美女。昼夜が存在しない仄かな闇に金糸の髪を靡かせる美女は、予めインプットされていた電子情報広告を読み上げ、道行く労働者へ妖艶な笑みを投げかける。


 本日の特売広告と内臓類の売買価格情報、機械義肢換装費用の立替企業、高利息だが期日までにクレジットを払えば幾らでも金を貸す闇金融……。美女が口ずさむ広告は死者の羅列が管理するも代物であり、偽装広告を混ぜたものだとしても彼等へ多額のクレジットを積むことで問題は全て見逃される。


 下層街商業区の情報を鵜呑みにしない方がいい。広告が正しい情報を伝えているとは限らない。清濁入り混じった情報戦を制する者だけが商業区で成功を収め、弱者から搾り取られる甘い汁を啜る。だが、一時の成功に酔いしれ、失敗を学ばずに転落の苦渋で喉を潤さぬ成功者は存在しない。


 クレジットこそが正義であり、多くの労働者を酷使する者が商業区の強者である。悪辣な手を使うのも良し、卑怯と誹られて尚腹を抱えて笑い転げるのも良し。綺麗事だけで事業を回すことは不可能で、無限に湧き出る労働者を使い潰して富を得る。悪徳と不正を重んじ、人命や美徳を蔑ろにする不義の都。商業区とは下層街におけるビジネス拠点であると同時に、多くの夢を喰らう現代のゴモラなのだ。


 自動車が走る交差点の信号機が切り替わる。疲弊した労働者が人の波を形作り掠れて罅割れた白線を踏む。其処に信号を無視した車が突っ込み、岩礁に打ち上げられた波飛沫のように多くの人が吹き飛んだ。


 人を轢いた程度で車が止まる筈がない。真紅のテールランプが美しい軌跡を描き、街頭に衝突すること無く道路を疾走する。痛みに呻き、息も絶え絶えな労働者を踏みつけ、仕事場へ急ぐ人間は皆虚ろな眼で前だけを見つめていた。誰かに構っている時間は無く、思わぬアクシデントに見舞われ勤務時間に遅れたとしても、首を切られ路頭に迷うのは自分なのだから。


 クレジットという眼には見えない金に執着し、極限の搾取に没頭する成功者。使われるだけ使われて、命を削りながら漠然的な生を歩む労働者。生者と死者を尋ねれば人は前者を生きていると断じ、後者は生きる屍だと嘲笑う。だが、商業区の実質的な支配権を握る死者の羅列は両者共々死者であると歪に笑う。


 生者であれば一生を掛けて何かに執着する筈がない。生きていると云う自覚があれば転落した先でも再起を狙う。甘い汁を啜ることばかりに眼が眩み、足元に空いた穴にすら気づかない者は虫けら……生きる屍と同義である。無論、酷使され続けて無惨に命を散らす労働者も死者の羅列は死者であると断じよう。


 富を得るために己等を利用するも良し。力を得る為にクレジットを借り、破滅に突き進みながら成功を夢見るのも良し。クレジットという対価を支払い、支援を得る行為に間違いは無い。持たざる者が成功者へ、成功者が惨めな労働者へ転落する様を何度も見届けた死者の羅列は自分達が支配する商業区にたった一つのルールを敷いている。


 それは、借りたモノは何が何でも返すこと。クレジット、物品、人、不動産……ビジネスで必要になったありとあらゆるモノを死者の羅列は独自のルートで調達し、返済期限を定めた上で卸す。無理や不可能という言葉は彼等に存在せず、可能の二文字を口にする死者の羅列は他者を寄せ付けぬ圧倒的な資金力を持ち、商業区では無類の影響力を持つ強大な組織なのだ。故に、ルールを敷くことが出来るし、商業区内で起こり得る契約不履行の裁定権を握っている。


 ネオンで彩られた鮮やかな地獄。崩壊した道徳と破綻した倫理。薄氷の上で罅を奔らせながらも成り立つ脆弱な秩序。区に住む人間がクレジットに踊らされ、破滅と成功を繰り返す興亡。雑多な人混みに目を回し、イブに手を引かれて足を進めていた少女はみんながみんな同じ服を着て歩く姿に困惑を隠せない。


 居住区では多少なれど衣服の違いや機械腕の有無で個性を見ることが出来た。ボロ雑巾のようなシャツを着て、痩けた頬に骨を浮き上がらせる子供や失った部位を補う為に質の悪い機械義肢を装着する人間。血の香りに混ざった腐敗臭を醸し出す浮浪者等。強者は大手を振って自由を謳歌し、弱者は影に潜みながら怯え逃げ惑う光景が少女から見た世界の全てだった。


 だが、今目にしている光景は何だ。みんな薄汚れた作業着を身に纏い、虚ろな目で歩を進める異常。肩がぶつかった程度で殺し合いに発展する居住区とは違い、商業区の表通りを往く人間はそんな些細な出来事に気を荒立てず、無関心を装っているように思えてならない。


 気分が悪い。自分が来てはならない場所に居るようで吐き気がする。誰も此方を見ていないのに、ジロジロと観察されている気がする。人の臭いに喉奥がつっかえ、足音と車のクラクションが鼓膜を叩いて鳴り止まない。どうしてこうも……無関心でいられるのか理解出来ない。


 「大丈夫か」


 「……」


 フラめいた少女の身体をダナンが支え、頬に冷たい鋼が当たる。


 大丈夫だと話そうとしたが、込み上げてくる吐き気で声が出ない。喉を通って溢れたのは掠れた空気の音。ドス黒い瞳で己を見下ろすダナンと目を合わせた少女は数秒黙り、首を横に振った。


 「そうか」


 なら仕方ない。そう呟いたダナンは軽々と少女を背負うと「婆さんの店へ連絡は入れたか?」横に立つリルスへ問う。


 「とっくの昔にね。にしても」


 「人が多いな」


 「えぇ、今日は特別な日じゃ……あぁ、あれね」


 「何だ」


 「下層送りの日じゃなかったっけ?」


 合点がいったとダナンが頷き、反対にイブは眉を顰める。


 「下層送り? リルス、それはなに?」


 「中層街からの追放者が下層街に落とされることよ。まぁ俗に言う死刑宣告ってことね」


 「死刑宣告?」


 「そ、上は此処より法がまともに機能しているの。死刑判決相応の罪に対して行われるのが下層送り。下層街に送れば自分達の手を汚さずに死を与えられるし、下層民も自分達よりも弱い人間……囲いで飼われていた馬鹿を狩ることが出来て一石二鳥よね。ほら、アレを見なさいな」


 リルスが指差した方へ目を向けたイブは身なりの良い人間が首に爆破装置付き首輪を付けられながら大型トラックに詰め込まれる様子を見る。騒ぎ立てる者が鞭で叩かれ、見せしめに容赦なく射殺される現場は怒声と叫喚が入り乱れる混沌の渦。


 「……あの人達はどうなるの?」


 「さぁ? 商業区で捕まったなら競りに掛けられるか、他所の区に売り払われるかの二択だと思うけど?」


 「……」


 「助けたいの?」


 「……無理で無駄なことはしない方がいいでしょう? 貴女もそう思わない? リルス」


 「同感」


 騒ぐ中層民が血飛沫に怯え、まだ若い男女のグループは顔を青褪め「ま、待ってくれ、僕達は」と震えた声で話すが、作業着を着た労働者に銃底で鼻を殴られ血を流す。


 彼等を助ける義理も無ければ理由も無い。前を歩くダナンを一瞥したイブは、冷めた目つきでトラックに押し込まれる中層民を見つめる彼の裾を握る。


 「俺達に出来ることは無い。それに、連中を助ける必要も、お前が気に病む必要も無い。それにイブ、此処は商業区だ。多分……歓楽区よりはマシな扱いを受けるだろう」


 「……そうね」


 視線を逸らし、路地へ回ったダナンの後を追ったイブは胸に纏わりつく靄を晴らすように鋼鉄板の空を見つめ、深い溜め息を吐き。


 「そういえばダナン」


 「何だ」


 「私達は何処へ向かっているの?」


 「婆さんの店だ。お前も行ったことがあるだろ? サーシャだったか……コイツと同じくらいの餓鬼がいる店だ」


 「あぁ……あそこね」


 真っ白い蛍光灯が照り輝く店へ七色の瞳を向けるのだった。


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