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星を追って 下

 大口径リボルバーの撃鉄はどれだけ力を入れても動かせない程に固く、弾倉から覗く弾丸は少女の親指かその一回り以上の大きさだった。


 ダナンが軽々と引き金を引けた理由は彼が機械腕をぶら下げているからで、動力と直結された鋼の人工筋肉が生身の身体と同じ動きをしていたから。脳から送られる電気信号を機械腕の接続部位が機械信号へ変換し、一寸の狂い無く使用者が思い描く動きを再現する。


 彼が人を撃ち殺すのは機械腕の誤作動やエラーなどではなく、彼自身の意思によるもの。引き金を引き、撃鉄が雷管を弾いて弾丸を敵の眉間へ撃ち込む殺意も、ダナンの意思が人を殺めている証左である。


 人殺しに抵抗は無い。下層街で殺しを躊躇い、一瞬の優しさを見せれば次に殺されるのは自分。弱さにつけ込もうとする人間は弱者を喰らう悪であり、悪を誇る者は罰を踏み倒す罪の権化に他ならない。鈍色に照り輝く銃身を見つめ、リボルバーの撃鉄から指を離した少女はダナンのドス黒い瞳を見つめると深い溜息を吐く。


 強くなければ生き残れず、弱さを見せれば全てを奪われる弱肉強食の理。弱いから生身の部分を切り売りし、粗悪な機械部位で失った部分を補う。少女が知る機械部位を持つ弱者とは過酷な世界と戦う術を持たず、残酷な結末から目を背け続ける諦めた人間ばかりだった。しかし、ダナンは違う。


 殺して、奪って、生き残り続けてきた彼の目は溝底より暗い黒。煤けたコートには幾つもの弾痕が刻まれ、傷だらけのボディアーマーは所々欠けていた。彼が手渡した大口径リボルバーだって、完全機械体や人外の化け物を殺す為に特化した兵器だ。きっと……ダナンの機械腕は弱者が身体を売却した名残ではなく、戦った際に負傷した腕を更なる戦いの為に補強した結果なのだろう。


 己はダナンのように強くない。いや、彼の何処に強さを見出したのかと問われれば、口を閉ざして考え込むのが関の山。人を簡単に殺す冷徹な心に憧れたのか、無謀な戦いにも果敢に挑む蛮勇に魅入られたのか、ドス黒い瞳の中に見えた微かな煌めきに手を伸ばそうとしたのか……真意は己の心の中に在り、答えを得るには自問自答を繰り返す他術は無し。


 「……ねぇダナン」


 「なんだ」


 「……アタシは、ダナンのように強くなれるかな」


 「俺は別に強くない。多分、いや、俺よりも強い奴なんてごまんと居るだろうよ」


 「けどアタシよりも強いよね?」


 「当たり前だ。馬鹿か? お前は。……けど」


 「けど?」


 「お前だって……俺よりも強くなるかもしれないんだぞ?」


 「……」


 嘘ばっかり。唇の先を尖らせた少女はダナンへ大口径リボルバーを手渡すと地面に転がった銃器の部品を蹴り飛ばす。


 慰めも必要無ければ、嘘で飾られた強さの保証も必要無い。己の弱さを痛感する少女にとってダナンの言葉は認め難い弱さを突くナイフであり、硝子の心を貫こうとする釘のようなもの。グニャリと歪んだ心が叫ぶ痛みに歯を食い縛り、ボディアーマーに包まれた腹を叩いた少女は言葉に出来ぬ憤りを鋭い目つきで訴える。


 弱者の心など強者に理解出来る筈が無い「なぁ餓鬼」憎悪に燃える心を癒せる言葉をダナンが吐ける筈が無い「お前の目は」圧倒的な力を持つ人間が、死に怯える者の心を掴める筈「星のように綺麗だな」


 「……星?」


 「あぁ、昔……爺さんが言っていた。黒い空には眩い点々があって、それを星と呼んでいたんだってよ。餓鬼、お前の目には星が見える」


 「星って……見た事がないんだけど?」


 「奇遇だな、俺も無い」


 「空って鋼鉄板のことだよね?」


 「違う」


 「なら何処のことを言ってるの?」


 「塔の外のことだ」


 「塔の……外」


 「まぁ普通は塔の外になんか行かないよな。当たり前だ、あそこは決して人が生きられる環境じゃないし、化け物染みた生物がうようよしているんだからな」


 リボルバーをホルスターに押し込んだダナンは少女の前にしゃがみ、目線を合わせながら頭を掻く。


 「爺さんは……本当の空には夜っていうのがあって、其処には綺麗な星が輝いてると言っていた。それが本当のことか分からないし、俺をおちょくる為の嘘だったのかもしれない。けど……俺はあの人が冗談染みた嘘を言うとは思えないんだ」


 「……」


 「きっと本当に夜空ってのが存在していて、星が煌めいていたらお前の瞳のように綺麗なんだろうな。俺には届かない……美しい光景があるのかもしれない。だから餓鬼……いや」


 暫し口を噤み、言い淀んだダナンは彼女の頭を優しく撫ですと「ステラ」不器用な笑顔を浮かべ、名前の無い少女へ新しい名前を……自分が老人から名を与えられたように、そう呟く。


 「ステラ、これがお前の名前だ」


 「……」


 「星っていう意味があるんだとよ。お前にピッタリじゃないか? なぁ、ステラ」


 「……ステラ」


 ステラ、ステラ、ステラ……。何度もそう繰り返し、自身の名を呼んだ少女は不安そうな面持ちでダナンを見つめる。


 「本当に」


 「あぁ」


 「本当に、その名前を貰ってもいいの?」


 「当然だ」


 「返せって言われても、やっぱり無しだって言われても、ステラって言い続けるよ?」


 「何時までも言えばいい」


 下層街の人間に名前がある方が珍しい。余る程人が居たとしても、大部分は両親が既に他界しているか、自分の子供を路地に捨てた現実が其処にある。ステラの両親もまた彼女を路地に捨てた後、新しい子が出来ては路地に捨てる行為を繰り返してきた人でなし。


 自分なんかが名前を貰ってもいいのだろうかと狼狽え、ダナンから貰った名を名乗る事に躊躇する。今まで一度も自分という個を定義することが出来ず、大多数の名無しの一人に過ぎなかった少女は口をまごつかせながらステラと呟き、嬉しさと戸惑いが入り混じる奇妙な表情を浮かべた。


 「ダ、ダナン!」


 「なんだ?」


 「その、アタシの名前、呼んでみてよ!」


 「ステラ」


 「もっと!」


 「ステラ」


 「もっと、たくさん呼んで!」


 「小うるさいぞ……ステラ」


 乱暴にステラの頭を撫でたダナンは棚の隅に飾られていた小銃を手に取ると、カウンターの奥に立つサーシャに「幾らだ?」と尋ねる。


 「あ、えっと……二万クレジットです」


 「弾薬ケースも一パックくれ。あと……子供用ホルスターとボディアーマー、ガスマスク、探索用リュック……遺跡発掘用の装備一式欲しい」


 「それは」


 サーシャの目が泳ぎ、椅子に腰かける老婆の頷きに溜息を吐きながら「三十万クレジットになりますが、一括で? それとも分割支払いになさいますか?」とダナンへ問う。


 「一括支払いだ。リルスが持ってくる服も全部」


 「分かりました。コード・スキャンを行いますので機械腕を此方へ向けて下さい」


 あぁ、と。ダナンが機械腕に刻まれたコードをサーシャの持つスキャナーへ近づけ、短い電子音が響く。


 「はい、お支払い完了です。商品を持って参りますので、少々お待ちください」


 「頼んだ……いや、待て」


 「何でしょう?」

 「俺が自分で選ぶ。ステラ、お前も来い」


 「うん!」


 店に並べられたアーマーやガスマスクをステラに合わせ、納得するまで調整を続けるダナン。自分の為に時間を割き、最適な装備を探してくれていると感じて喜びを隠せないステラ。その様子は不器用な兄が妹の為に世話を焼いているようであり、何処か微笑ましくある。


 だが、ダナンが購入した遺跡発掘用の装備はステラへ生きる術を叩き込む為のモノであり、優しさが混じっていようともこれから彼女が進む道を想像したサーシャは、もう一度深い溜息を吐くのだった。




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