鍋を叩く玉杓子の軽快な音と、脂が弾ける食欲をそそる音。麺を啜りながら熱い息を吐き出し、真っ赤な汁を飲み干した兵士の一人がレジに置かれているカード・スキャナーへ差し込み料金の支払いを終える。
湯気立つ焼き飯、とろとろに煮込まれた豚の角煮、箸でそっとつつくだけで細かく身を震わせる水餃子……。大衆中華飯店『鉄皿』には多くの治安維持兵が席に座り、飲み食いに興じていた。
「エデス! なんだぁ? 今日はコンビニ飯じゃねぇのか?」
「親っさん、今日は俺の知り合いを連れて来たんだよ。だから」
親っさんと呼ばれた老人は口に咥えていた煙草を摘むと紫煙を吐き。
「あぁ皆迄言うな、分かってらぁ!」
豪快に中華鍋を振るうと鍋の中から淡い炎を燃え上がらせた。
「何処に座ればいい?」
「Mrs.アイリーンについて行きな!」
Mrs.アイリーン……。エデスの視線が忙しなく動き回るタコ型の給仕用機械へ向けられ、丸い胴体から伸びる四ツ目の一つが五人へ向けられた。
「お客様、此方へどうぞ」
ブースターを吹かしながら近づいてきたMrs.アイリーンは、胴体部に埋め込まれた液晶パネルに女の顔を映す。出来の悪い3Dポリゴンで作成された人格アバターは鉄皿と書かれた飯店帽を被っており、その顔は安いダッチワイフを連想させる。
「どうも、久しぶりだなMrs.アイリーン。元気にしてたか?」
「エデス様、お久しぶりで御座います。何でも課長に昇進なされたとか。お祝い申し上げます」
「耳が早いな、他の兵士が言っていたのか?」
「はい、後ろの方々もどうぞ此方へ。ご注文は順次受け付けます」
彼女……給仕用機械に案内された席は『予約席』と表示された店の奥に在るテーブル席。時代を感じさせるテーブルは油でテカリ、棚に置かれている小物は何処か色褪せ、淡いランプの光を反射する。時代錯誤の懐古主義、温故知新という言葉を中途半端に取り入れた古臭いボックス席。一足先にと奥へ身を滑り込ませたエデスは、ダナンとイブ、リルス、ステラへ「何処にでも座ればいい。遠慮するなよ」と柔らかい笑みを向ける。
何時までも突っ立ったままでは居られない。ステラを奥の席に座らせ、順にリルス、イブ。己はエデスの隣に座り、マグナムの弾倉を一瞥すると六発の弾丸が装填されていることを確認する。
治安維持兵がこれだけ居れば面倒事が起こる筈が無い。銃を乱射する精神異常者や麻薬中毒者、全身機械体、三大組織の構成員と思われる人間の姿が見られない。当然だ、此処はゲートを管理する治安維持軍の駐屯地で、一般的な下層民は踏み入ることが許されない場所なのだから。深い息を吐いたダナンはマグナムからそっと手を離し、ランプの光に照る機械腕をテーブルの上に置く。
「にしても」
エデスが目の前に座る少女三人を眺め、隣に座るダナンを一瞥し。
「また見ない顔が増えたんじゃねぇのか? 遺跡発掘者」
Mrs.アイリーンへビール二杯とソフトドリンク三つを注文した。
「そこの銀のお嬢ちゃんは見た事があるけどよ、黒髪の娘と子供は見た事がなかったな。遺跡発掘者、お前意外と面倒見が良かったりするのか?」
「面倒見が良いとかそんなんじゃない、ただ成り行きでそうなっただけだ。アンタの方こそ色々と面倒そうだな兵隊さん、いや、エデス」
「……お前とは名前で呼び合わない筈だぜ? 遺跡発掘者」
「……」
鼓膜を震わせるブースター音が聞こえると同時に、五人の前に飲み物が置かれる。泡立つビールはジョッキに水滴を滴らせ、ソフトドリンクの種類はコーラと果物系のジュース類。乾杯の音頭も取らずにジョッキの半分を飲み干したダナンは「気が変わったんだよ。随分と長い付き合いになるが……俺の名前はダナンだ。宜しく」と僅かに紅潮した頬で言葉を紡ぐ。
「長い付き合い……まぁ、お前との付き合いはもう五年以上になるか?」
「そうだな」
「毎回一人で遺跡に潜りに来て、満身創痍で帰って来るお前を見る。それが俺の下層街での日常だったが……。ダナン、あぁ良い名前じゃねぇか。遅くなったがよ、俺の名前はエデス。知っての通り中層街治安維持兵の一人で、サイレンティウム社軍事部門下層街ゲート管理局課長だ。しがないサラリーマンの一人だと思ってくれればいい」
ダナンと同じようにビールを呷ったエデスはジョッキを差し出し、青年とぶつけ合う。
「で、だ」
「何だ」
「見たところお前等は家族ってワケじゃねぇんだろ?」
「あぁ」
「不愛想で一人を好むお前さんがこうして飲みの場に連れて来たんだ。何だ? 家庭円満のコツでも聞きたいのか? えぇ? ダナン」
「……馬鹿を言うなよエデス。気が変わっただけだと言っただろ? それに、俺は家族ってのを知らないんだ。知らないから聞きようが無いだろうよ」
「馬鹿野郎、家族は大事だぞ? 家庭があるから男は働けるし、守る場所と人を見つけられるんだ。なぁ銀のお嬢ちゃんもそう思うだろ?」
「……家族であったとしても、対立した時……目的を違えたらどうなるか分からないと思いますが」
ちびちびとコーラを飲んでいたイブの瞳がエデスを捉え、嘲笑うかのように口角を歪ませる。
「何だ? 嬢ちゃんは家族と折り合いが悪いのか? それとも……あぁ、すまん。下層街に住む人間にこんなことを聞くのはナンセンスだったな。忘れてくれ」
「別に構いませんよ、もう家族と呼べる人間は居ないのに等しいので」
「生きてるのか?」
「……」
生きていたとしても、この手で決着を付けなければならない。不機嫌極まるといった様子でエデスを睨んだイブは「そういう貴男はどうなんですか?」と、グラスを指先で叩きながら問う。
「俺の家族は中層街に住んでるよ。下層街になんか連れて来れないだろ? あぁ子供の写真見るか? 見る度に大きくなってんだよ」
「必要ありませ」そう答えようとしたイブの言葉に覆い被せるよう「あら、可愛い子ね。何歳? もう初等教育機関には通ってるの?」リルスが身を乗り出し、エデスの個人用携帯通信機の画面に映る写真を見た。
「上は初等部三年生、下はまだ教育機関に入っていない。黒いお嬢ちゃん、何だ? 子供が好きなのか?」
「好きというより興味があるの。ダナン、可愛いと思わない?」
「あぁ……うん、そうだな」
何時の間にかに二杯目のジョッキを飲み干していたダナンがぼんやりと頷き、Mrs.アイリーンが持ってきたジョッキを受け取る。
「ダナン、貴男酔ってるの?」
「……あ? あぁ、多分、酔ってるんだと思う。いや、俺は元々酒は飲まないし、そう大した量を飲める人間じゃない。にしても」
ステラを見つめたダナンが「こっちに来い、ステラ」と呟き、テーブルの下を潜ってひょっこりと顔を出した少女を機械腕で持ち上げ、胸に抱く。
「ステラ」
「なに? ダナン」
「食いたいモノを食え」
「いいの?」
「別に金を払うのは俺じゃないし、エデスの奢りだ。ほら、飯を食わなきゃ大きくなれないぞ? 食える時に食っておけよ、ステラ」
本当に、心の底から穏やかな微笑みを浮かべたダナンはステラの頭を優しく撫で、細い髪を鋼の指で梳かす。未だかつて誰も見た事が無いダナンの表情にリルスとイブは驚愕し、子供らしく無邪気にメニュー表を開いたステラへ視線を向け。
「ダナン! これ、えっと、字が読めないんだけど?」
「あぁそれは水餃子だ、そうだな、ステラは何が食べたい?」
「肉!」
「じゃぁこのチキン竜田と回鍋肉、油淋鶏を注文しよう」
「うん! ありがとダナン!」
「別にいい。リルス、イブ、お前等は何が食べたい? 一度に注文しよう、その方が効率的だ」
眠た眼を擦りながら、少女の頭を撫で続けるのだった。