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偽物でも 上

 エデスが見てきたダナンという青年は、常日頃から黒いボディアーマーと耐久スーツを身に纏い、片時も武器を手放さない剣呑とした殺意を撒き散らす人間だった。


 己に危害を加える人間が居たならば躊躇なくそれを排除し、相手が大人でも子供でも関係無く殺す青年。ドス黒い瞳は一切の希望を見せず、黒鉄の機械腕は何時も血に濡れ滑っている。ゲート管理業務中でも、怯えた人間を射殺しながら遺跡へ進むダナンをエデスは冷徹で極めて合理的な人間だと思っていた。


 だが、その考えは今この場で捨てるべきだろうと男は考える。ステラの頭を撫でながら、Mrs.アイリーンが運んできた料理を口にする少女の口元を紙タオルで拭うダナンの姿は面倒見の良い兄そのもの。例え血の繋がりが無くとも、家族や家庭と云った社会的な枠組みを持たずとも、エデスの瞳に映ったダナンとステラは仲の良い兄妹にしか見えなかった。


 「ダナン」


 「何だ? リルス」


 「楽しい?」


 「楽しいとか、そんなんじゃない。なんだろうな……少しだけ、安心しているんだ俺は」


 「安心?」


 「あぁ、あの時の……俺の選択は、間違っちゃいなかったって……安心してる。なぁリルス」


 「……」


 「家族ってのは……多分、こんな感じなのかもな」


 ビールを呷り、ずいとステラが差し出した油淋鶏の一切れを頬張ったダナンは小さく笑う。


 「ステラ、俺のことは気にするな。お前が食べたいだけ食べろ」


 「え? でもダナンだって言ってたじゃん、食べれる時に食べろって。さっきからお酒しか飲んでないんだから、少しはお腹に入れた方がいいよ?」


 「馬鹿だな、明日からお前にも遺跡発掘を手伝って貰うんだぞ? 遺跡に潜ればゼリーパックしか食えないし、エデスに誘われなきゃこんな良い料理を食える機会も無い。いいか? お前は子供なんだ、大人のことは……気にするな」

 またビールを呷り、深い溜息を吐いたダナンは二重に見える視界にステラとリルス、イブを映すと煙草の箱に手を伸ばしたが、暫し逡巡すると首を横に振り、クツクツと笑った。


 「あら、煙草吸わないのね」


 「……ステラが居るからな」


 「驚いたわ、貴男が他人を気にするなんて」


 「……だろうな」


 「私のことは気にしてくれないの?」


 「気にして欲しいのか?」


 「冗談」


 クスクスと笑ったイブはコーラのグラスを傾け、弾ける気泡を見つめる。氷に纏わり付いた泡が右へ傾けられる度に細かく分かれ、左へ傾けば水面に茶色の泡が立つ。


 「ダナン」


 「何だ? エデス」


 「お前はどっちを好きなんだ?」


 「は?」


 「おいおい恍けるなよダナン、年若い娘っ子二人と暮らしてるんだろ? 好きじゃなきゃ一緒に居られないと思うがね、俺は」


 「……馬鹿を言うなよ」


 三杯目のビールを飲み干したダナンのドス黒い瞳がエデスを射抜き、酷く冷めた視線を向け。


 「俺が誰かに好かれる筈が無い……いや、下層街に生きる人間が他人の全てを受け入れ、本当に誰かを好きになることは決して無い。皆が皆自分の為に生きて、今日を生き延びる為に他人の命を踏み躙る。……そうだと思わないか? エデス」


 深い溜息を吐き、ステラの頭を撫でたダナンは自分の席に少女を座らせ、煙草の箱を握ると千鳥足で喫煙所へ向かう。


 「大丈夫か?」

 「餓鬼じゃねぇんだ、煙草を吸って戻るだけ……。心配される必要は無い」


 「そうか」


 硝子扉を開け、紫煙が燻る喫煙室へ身を滑り込ませたダナンを見送ったエデスはビールを呷り、イブとリルスを見つめる。


 イブは変わらずコーラのグラスを傾けながら泡を眺め、美しい銀の髪を指先に絡めて弄っている。面白くなさそうな、興味が無さそうな……彼女の七色の瞳に映る世界は何色に染まっているのだろう? 鮮やかな世界が其処にあるのか、眺めるコーラのような茶けた世界があるのか……それはイブにしか分からない。


 対してリルスは喫煙所に入ったダナンを見つめ、ステラを呼ぶと自分の膝に乗せて頭を撫でる。少女の髪を指で梳かし、席を外した青年の代わりに面倒を見る様子は齢が離れた姉と云っても違和感は無い。


 「えぇっと、お嬢ちゃん達はアイツ……ダナンのことをどう思ってるんだ?」


 「馬鹿」


 「阿呆」


 「……」


 一秒足らずで返ってきた言葉にエデスは苦笑いを浮かべ、頬を掻く。


 「あのよぉ……俺が言うのも何だが、ダナンは馬鹿じゃなけりゃ阿呆でも無いと思うぜ? 遺跡発掘者としてのキャリアだけ見ればアイツは有能だ。生きて帰って来て、また潜る。これを五年以上続けられる人間は、俺が知る限りダナンくらいだろうな」


 「だからよ」


 「どういう意味だ?」


 「何時までこんな綱渡りを続けるのか、何時まで紙一重の戦いを続けるのか、それを自分自身で決められないから馬鹿だと言ったのよ、私は」


 Mrs.アイリーンへハイボールを注文したリルスは、ダナンを見つめたままグラスに口を付け酒を呷る。


 「お嬢ちゃん、齢は」


 「自認年齢は二十よ、何も問題は無いわ」


 「けどよ」


 「いざとなったら書き換えるから心配しないで、エデス」


 瞬く間に一杯目のハイボールを飲みきり、お代わりを注文したリルスはダナンと違って頬を朱色に染めておらず、凛とした姿勢を崩さない。酒……アルコールに対する耐性が強いのだろう。


 だが……綱渡りと紙一重。遺跡発掘者の仕事は常に危険と隣り合わせであり、命を落とす可能性は非常に高い。十人一組で潜ったチームが一人だけ生き残り、機械義肢を破壊された上で内臓を溢し、血塗れの状態で戻って来ることも珍しくない過酷な環境。遺跡に潜り、残された遺物を回収して生還するだけで御の字なのだから。


 「ダナンは確かに仕事の腕は良いし、私が出した依頼を完遂する能力も申し分ない。彼が仕事に失敗するところも見た事が無いのよね。けど、ダナンは遺跡発掘者としての生き方しか知らないの。正直言うとね……私はもっと彼が自分の生き方を考えて欲しいし、与えられた選択肢以上のモノを見つけて欲しいのよ」


 「与えられた選択肢……ねぇ」


 「そうよ」


 期待を掛けていると見るべきか。ランプの灯りに濡れるリルスの横顔を、ステラの頭を優しく撫でる少女をジッと見据えたエデスは、彼女の言葉を胸の内で繰り返す。


 与えられた選択肢以上の答えを見つけられる人間は多くない。中層下層問わず、誰もが己の手にある手札からより良い選択肢を選び、状況を鑑みて切っている。選択肢とは云わば心の取捨選択であり、混迷の濃霧に隠された道を照らし出す意思のライトなのだ。


 遺跡発掘者としての生き方しか知らず、下層街の思考に染まったダナンに変わって欲しい。自分の在り方を見つけ出し、見えている選択肢に隠された道を見出して欲しい。リルスという少女はそれを願いつつ、己が生きていく為にダナンを利用する。相反する思いに板挟みにされた少女、矛盾を内包しながら変化を望む白衣の娘……。彼女は彼女なりにダナンのことを考え、より良い結果を探し求めているのかもしれない。


 「お嬢さん」


 「なに?」


 「男が変わるのはそう簡単なことじゃねぇ。自分が背負ったものを否定出来ず、縛られた鎖を解く事も叶わない人間はいずれ失意の底に沈んで溺死する。多分……表向き変わったと見えたてもさ、性根は同じままなのさ」


 「自己紹介のつもりかしら?」

 「さぁね、どうだか」


 「ハッキリしないわね」


 「ハッキリとした答えを見つけるにはもう遅いんだよ、俺は」


 「みんな齢を取れば貴男みたいになるのかしら」


 そりゃぁ人其々だ。笑いながらリルスの言葉を流し、ビールを呷ったエデスは代わりのジョッキをMrs.アイリーンへ注文した。


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