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家路

 宙に漂っていた紫煙が時間と共に薄れ、煙草の香りを残して消える。


 長くなった灰を弾き落としたエデスは、ゆっくりと椅子に腰掛けるダナンを一瞥し「もういいのか?」微小を浮かべ、小声で問う。


 「何のことだ?」


 「心の整理整頓のことだよ」


 「……」


 どうだろうな……一言そう呟いたダナンは灰皿に残った煙草の吸殻を摘み上げ、もみくちゃにすると燃え滓のように零れ落ちた茶色の葉を見つめる。


 自分の腹の内さえ分からないのに、煙草一本吸う時間で気持ちの整理が出来るものか。生温いビールで喉を潤し、苦みと辛味がこびりついた口腔内をアルコールで洗い流したダナンは火照る頬を機械腕で拭う。


 照れ臭いから頬が火照るんじゃない。恥辱を受けたワケでもない。ただ……酒に酔っているだけ。思いの外己はアルコールに対する抵抗が弱く、免疫を得ているワケじゃなかった。


 ビールを一息で飲み干し、重い溜息を吐いたダナンの視線がテーブルの下に向けられる。薄目を開けて、霞む視界の先には驚いた表情を浮かべるステラが居た。


 「……どうした? ステラ」


 「あ、えっと……ダナンが戻って来たから」


 「俺が戻って来たから何だ?」


 もぞもぞと華奢で小さな身体を捩らせ、ダナンの膝の上に座った少女はテーブルの上に残された料理にフォークを刺し、青年の口元へ運ぶ。


 「これ」


 「……」


 「ダナン、あんまり食べてなかったでしょ? だから、食べて」


 「お前が食えばいい。俺はあまり腹が減っちゃいない」


 「それでも食べて」


 有無を言わせぬ真剣な眼差し。肉汁が滴る焼売にたっぷりと辛子を塗りつけ、綺麗な焼色が濃い茶色に染まるまで醤油に浸したステラは空いた方の手に小皿を持ち、ダナンの乾いた唇に焼売を押し付ける。


 「……俺は大人だ、子供のお前が食え」


 「明日から遺跡に潜るんでしょ? アタシを連れて」


 「……」


 「なら、少しでも食料をお腹に入れるべきだと思う。ダナン、アタシは遺跡がどんな場所なのか、遺跡で何をしたらいいのかサッパリなの。アンタが腹を空かして倒れたら困るじゃん」


 「……」


 見るからに味が濃い焼売を見つめたダナンは、一口で焼売を食べきり咀嚼する。薄い皮と溢れ出る肉汁、滅茶苦茶に混ざりあった醤油と辛子の鼻腔を刺激する香り。普段口にすることの無い本当の料理の味に食道が激しく震え、目尻に涙が溜まる。


 人工肉の缶詰とは違う歯ごたえ、一日分のカロリーと栄養素が入った遺跡発掘者用の簡易栄養食と比較にならない上質な味。えづきながらも何とか焼売を胃袋に収めたダナンは、晴れやかな笑顔の華を咲かせるステラの頭を撫で、次の分だと言わんばかりに差し出された竜田揚げに頬をヒクつかせた。


 「……それも食えってか?」


 「うん!」


 「ステラ、俺は本当に腹が減っちゃいないんだよ。あの……イブとリルスにやったらどうだ?」


 「二人はダナンが居ない間に色々と食べてたけど?」


 「俺は酒を飲んでるから十分」


 「十分じゃないからお酒を飲んでるんじゃないの?」


 グイグイと押し付けられる竜田揚げに齧り付き、芳醇な油の匂いが鼻腔を突き抜ける。


 二人の様子は年の離れた兄妹のように見えた。妹の我儘に小言を言いながら付き合い、何とか納得させようと奮闘する兄の姿。血の繋がりが無くとも、過ごした時間が短くとも、ダナンとステラの間には微かな情が芽生え始め、否定できぬ絆が見え隠れしていた。


 「ダナン」


 「……何だ?」


 「家族ってのは……良いモノじゃないか?」


 「……あぁ」


 微笑ましい光景を眺めるように目を細め、煙草を咥えたエデスにダナンが頷き返し、次々と押し付けられる料理に苦笑する。


 「どうする? まだ飲むか? 俺は別に構わないが―――」


 短い電子音がエデスの胸から響き、携帯端末を取り出した瞬間顔を顰める。


 「あぁ……すまん、仕事の電話だ。少し席を外す」


 「大丈夫なのか?」


 「もし十分以内に戻って来なかったら今日は解散だ。金は払っておくから安心しろ」


 「金のことを聞いたんじゃない。なんだ……手が必要だったら、言ってくれ」


 「……ありがとよ、ダナン。それとお嬢さん方、コイツのこと頼むぜ? 酔ったら結構面倒みたいだからな」


 携帯端末を肩と耳の間に挟み、腕に装着したHHPCを操作しながら席を立ったエデスはMrs.アイリーンへ代金を支払い、店外へ急ぎ足で向かった。


 「で」


 酒を呷ったリルスがダナンを見つめ、グラスを揺らすと半分ほど溶けた氷をリズム良く鳴らす。


 「これからどうする? ダナン」


 「十分待って、エデスが戻って来なかったら家に帰る。それでいいだろ?」


 「ま、貴男の判断に任せるわ。イブとステラもそれでいい?」


 「アタシは大丈夫だけど、イブは……」


 頬に手を当てた銀髪の少女はグラスの縁を指でそっと撫で、何か考え込むように沈黙を貫いていた。これからのこと……今日や明日のことではなく、それよりも後か先のことを。


 「イブ、どうした?」


 「……別に何も? 少し考え事をしていただけよ」


 何を? その言葉を飲み込んだダナンはステラを膝の上から降ろし、リルスへ預けると煙草に火を着け紫煙を燻らせる。


 「あら、ステラが居るのに煙草を吸うのね」


 「イブ」


 「何よ」


 「……お前はどうでもいいと言うだろうけど、あぁ、少し感謝してる」


 「はぁ? いきなりどうしたの? 変なモノでも食べた?」


 「お前だけじゃない……クソ」


 ビールをもう二杯注文したダナンはそれらを一気に飲み干し、グルグルと回る視界にイブとステラを捉えて煙草の煙を一口吸い込む。


 「リルス、お前とはもう十年? いや、それ以上になるか……。お互い色々と迷惑を掛けたり、面倒な仕事を押し付けあったり、それでも上手いこと付き合って来れたんだと思う。お前が俺をどう思っているか、どう見ているか分からないけど……多分、俺はお前を嫌いじゃない。寧ろ……その逆だと、思う」


 「ちょ、ちょっと、ダナンどうしたの? 何時も貴男らしく無いじゃない」


 「まぁ聞け、うん、聞いてくれ。イブ……お前と会ってからだ、俺の周りが変わり始めて、運命……そんな馬鹿みたいな言葉が、本当にあるんだと思ったのは……お前と出会えたから。イブが俺にルミナを与えたからだと……そう思う」


 何時になく饒舌に、言葉の端々を詰まらせながら話すダナンの顔は酩酊状態にある人のそれ。今まで一度も見たことが無いダナンの無防備な姿にイブとリルスは目を白黒とさせ、更に酒を呷ろうする青年の手を握る。


 「ステラ……」


 「うん」


 「お前はな、もう一人じゃないんだ。俺とリルス、イブが居て、何か困ったことがあったら俺達に一言相談しろ。二人はどうか分からんが、俺は……お前が諦めない限り、力になってやる。だから……極力、人は殺すな。下層街でも、血に濡れるのは、俺一人で十分だから」


 「でも、ダナン……人を殺さなきゃ、何時かアタシが」


 「守ってやる……いや、違うな。守るよ。余計なお節介だと思ってくれもいい。多分……俺達が家族なら、血の繋がらない偽りの家族でも……妹を兄が守るのは、当然のことだと思うから。だから……」


 だから……その言葉の先を話す前に沈黙したダナンは、テーブルに突っ伏すと静かな寝息を立て始める。


 「……行きましょ、ダナンも寝ちゃったみたいだし」


 「ダナンはどうするの?」


 「私が連れて行くわ。あぁ安心なさい、もし馬鹿な人間が居ても貴女に手を出させないから。リルス、道案内をお願い」


 「はいはい、馬鹿な長兄に代わって長女が面倒を見てあげる」


 「貴女は次女よ、年齢的に云えば私の方が上なんだから」


 ダナンを銀翼で包み込み、微笑んだイブと問答を軽く笑って流したリルス。二人を交互に見つめ「ならアタシは末妹?」と呟くステラは、最後に残った料理を口に押し込むと席を立った二人の後を追った。


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