「話をしようだと? 自惚れるなよ小娘が……俺が貴様と言葉を交わす必要は皆無。時間の無駄、非効率的思考の綾、無意味な言葉を紡ぐ暇など俺には無い」
「あら、話をしないだなんて悲しいことを言うのねメテリア。立場というものが分かっていないのかしら? あぁ間違えたわ……その言葉の意味も忘れてしまった。哀れなものね、人間としての機能を刺青に置き換えて、忘却を信条にするなんて……実に滑稽よ。ねぇ、メテリア」
滾る殺意が漆黒のコートから溢れ出し、真っ白い目を狂気に染める。毒針を指の間に挟み、紫色の雫を針先から滴らせたメテリアは、クスクスと厭らしい笑みを浮かべるリルスを睨む。
皮肉を吐く少女を殺すことは簡単だ。ナノマシンの迷彩機能を展開した後、足音を消して首筋に毒針を刺せばいい。即効性の毒液が血の流れに沿って心臓に到達し、藻掻き苦しむ様を眺めているだけで事は済む。
だが……メテリアはベッドに眠るテフィラを見つめ、戦闘の選択肢を己から弾き飛ばす。
今此処で戦えば妹に被害が及ぶ。至上の無辜にして純白の無垢、最愛の妹を危険に晒す馬鹿は居ない。もし彼女の身体に傷一つ付こうものなら、自分自身を許せない。人間を一秒で死に至らしめる毒針を己が胸に突き刺し、無意味な生を悔やみながら死を選ぶ。
テフィラの身の安全は当然の義務事項。妹を見捨てる兄は塵屑以下の無価値に等しい塵滓だ。怒りで震える指先を必死に押さえ、昂った精神を深呼吸で無理矢理抑え込んだメテリアは「座れ、話をしよう。小娘」と、ソファーに腰を下ろす。
「心変わりが早いわね。感心するわ」
「黙れ。貴様が主導権を握るなど許す筈が無い」
「残念、その方が手っ取り早いと思うんだけどね。イブ、周囲の警戒をお願い。もしメテリアに不審な動きが見られたら、直ぐにテフィラの首を掻き斬って頂戴」
「翼を汚したくないのだけれど……仕方ないわね。交渉は貴女に任せるわリルス。上手くやって欲しいものよ、本当に」
「任せて」
メテリアの対面に腰かけたリルスに、呆れた様子で溜息を吐くイブ。自分達が絶対的優位な立ち位置に居る事を理解しているのか、メテリアへの精神的揺さぶりか。ジッと目を細め、電子煙管を口に咥えたメテリアは薄い紫煙を燻らせる。
「先ず、どうして此処が分かった。答えろ小娘」
「簡単な話ね、お友達が教えてくれたのよ」
「嘘を吐くな。此処を知っている者は誰一人と居ない」
「本当よ? 嫌ね、全てを疑ってくる男は本当に嫌よ。貴男が思っている以上に私って友達が多いの。知ってる? メテリア」
「ふざけた事を言うなよ小娘……いや、リルス」
「貴男でも人を名前で呼ぶのね、驚いたわ」
そんなこと微塵も思っていないだろうに……。無表情のまま毒を吐いたメテリアはクツクツと笑う。
「しかし……驚いたのは俺の方だ」
「へぇ、どうして?」
「襲撃者を撃退し、猟犬から逃げ伸びることが出来た獲物は珍しい。どうだ? 貴様がウンと一つ頷けば死者の羅列は門戸を開く。自分の能力を証明したくはないか? 手を伸ばせるところまで伸ばし、空を握りたくはないか? リルス、そしてイブ……俺は貴様等に力を与えてやれる。下層街だけではなく、中層街であろうと、何処でもだ」
「魅力的な提案ねメテリア。けど、不要よ。必要無い提案で心を引かれるワケが無い」
「だろうな……そもそもの目的として貴様は組織に従属する性格ではない。己の利益を最大限にまで引き出そうと、損益を極限に削るバイヤーの性根。だが、それはリルスという小娘を象る一面でしかない」
「……」
沈黙は肯定の標を指す。スッと目を細めたリルスが足と腕を組む。
「貴様の原動力は何か。欲望? 否、貴様に欲は似合わない。愛情? 否、貴様は誰も愛さないし、愛される資格は無いと断じている。使命感? 肯定、貴様は遺跡の過去を知りたいと云う欲求を持ち、知識を求めている。ならば何が貴様を前に進ませているのか……答えは簡単だ。殺意に濡れた復讐心だろうな」
「貴男に何が」
「一つ教えてやろう小娘、こうして惑わされた瞬間に言葉を発するのは悪手でしかない。悪手とは己の隙を相手に見せつけ、絶対的優位性を崩す手段にある」
紫煙が揺らめき、ライトの灯りに踊り舞う。頭の天辺から爪先まで黒一色の男は、僅かに唇の端を噛んだ少女の眼をジッと見据え、足を組むと両手をヒラヒラ振り、
「俺はお前の事を知っている。俺に知らない事は無い。情報とは値千金の千両箱……腕っぷしだけが強くても、情報戦での敗北は将来の死を意味する。違うか? ウィザード」
揺蕩う草花を滅茶苦茶に散らす事実の豪風。相手の心を掻き乱し、一瞬で優位性を覆したメテリアは紫煙をゆっくりと吸い込んだ。
容易い相手と侮らない。敵対した存在は女子供であろうとも容赦なく叩き潰す。組織に利益を齎す者ならば此処で心臓を握り、首を縛り上げたうえで傀儡にしてしまえ。言葉の応酬に対する感慨は不必要。ただ淡々と追い詰め、精神を殺す。身体と脳さえあれば人間は生きていけるのだから。
「……」
「反論は無しか? 当然か、貴様は無価値で無意味な」
「結構」
「ほう? 何が結構だと?」
「無価値で無意味で結構と言ったのよ。貴男の言葉に反論しないし、肯定もしない。私が求めるモノはただ一つ、報酬の件よ? メテリア」
「……報酬だと? 何を馬鹿なことを」
「先ず私は貴男が差し向けた猟犬からテフィラを無事に送り届けたワケ。此処で成功報酬が一つ。そして、貴男が個人的に契約した教団……震え狂う神の問題はダナンが片付けている最中よ。どう? 何か聞きたい事がある? 話は聞くわ」
震え狂う神の教団……奴等と結んだ契約は己だけが知る情報の筈。幾らリルスが腕の立つウィザードであろうとも、スタンド・アローン型のコンピューターにアクセス出来る筈が無い。いや、しかし……もしも、僅かな可能性であるが、テフィラがその情報を彼女に伝えていたら話の辻褄は合う。
「……テフィラは何処だ」
「さぁ? 何でも知っているんでしょう? 探してみたらいいじゃない」
「俺の妹は何処だと聞いているッ!!」
「肉欲の坩堝かしら? それとも無頼漢のコンピューター・デバイス内? さぁ……どこでしょう?」
ブラフだ、この小娘の言葉に耳を傾ける必要は無い。テフィラの電気信号模擬体の居場所は此方から何時でも確認できる。だから、落ち着いて状況を見定めろ。
「メテリア、私達の要求は二つ。一つ目は、死者の羅列による支援。二つ目は、貴男達が持つ違法サーバーの使用許可よ。貴男なら簡単でしょう? 一介の下層民にこれくらいの報酬を支払う事は……死者の羅列首領なら」
メテリアの瞳が回線を手繰り、機械的な駆動音を発しながらテフィラに繋がる線を探る。幾重にも張り巡らされた色鮮やかな回線の、その中に煌めく白い線を辿った男の目に映ったモノはリルスの腕に装着されたHHPC。
刹那の思考、ありとあらゆる可能性を計算したメテリアは電子煙管を咥え、紫煙を吐く。
「……死者の羅列に楯突いた者は例外なく処刑する。それは今も昔も変わらない決定事項だ。貴様の要求を俺が飲んだとしても、その先にあるモノのは切れぬ縁。そうだろう? ウィザード」
「そうね、だから私は自分自身で繋がりを持つことに決めた。今貴男が考え付いた答えが私の意思よ」
「……俺の願望を貴様程度の女が叶えられるとでも?」
「叶えるのは私じゃない。イブよ」
「中層街の医者でも不可能だった。俺の妹の感覚を元に戻すことは」
「それが出来るから私は今此処に座って、交渉に望んでいる。飲むか飲まないかは……貴男次第よ? メテリア」
リルスの言葉を聞き、暫し考え込んだメテリアは「出来るならやるべきだ」と、呟くのだった。