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殉教者 下

 エデスの右手に握られている鉄塊から血が滴り、緑色の粘液に覆われる。内部に組み込まれた電子回路を蝕み、不可逆性ハッキング能力を行使する化外の粘液……死地を歩む戦士の勘か、修羅場を潜り抜けてきた兵士の勘か。粘液の持つ特異性に感づいたエデスは鉄塊を投げ捨て、腰に吊っていたエネルギー・ブレードを抜き放つ。


 空気を震わせる真紅の刃が刀身より展開され、エネルギー残量を割れたバイザーに表示する。残ったエネルギーは95%、刃の状態は超高温切断形態。長時間戦闘は己の身体状態を鑑みるに不可能。タクティカル・グローブの指先で左肩の切断面に触れたエデスは脳を刺す激痛に顔を歪め、戦闘装甲服の応急継戦機能を起動する。


 「か、課長、腕が」


 「ウルフ5、指示を下した筈だ。貴様は自分の傷に集中しろ」


 「私よりも貴男の方がッ!!」


 「命令に従えウルフ5。軍人ならば、兵士ならば……上からの指示に従え」


 何処からどう見てもエデスは戦える状態じゃない。破損したバイザーと火花を散らすフルフェイス・ヘルメット。身体強化機能を停止させ、継戦能力向上に振り切った戦闘装甲服。筋繊維と白い骨が見える切断された左腕……。顔か頭を切ったのか、鮮血に濡れた眼球はエネルギー・ブレードの刀身と同じ色に染まり、その姿は悪鬼の様。


 満身創痍、百孔千創、疲労困憊……左腕を失い、行動不能になる程の攻撃を受けたにも関わらず立ち上がったエデスは既に限界を超えている筈だ。太腿を貫かれ、戦闘装甲服の機能停止に陥っただけのディアナであっても戦意を手折られ、恐怖に精神を蝕まれたというのに。


 何故彼は戦おうとする。何故恐怖に飲み込まれない。何故退却或いは撤退の指示を下さない。次々と思い浮かぶ数々の疑問は一瞬にしてディアナの脳内を駆け巡り、彼女は化外との距離を縮めるエデスの背中を視界に映し、瞬時に答えを得る。


 「状況から鑑みるに、貴様は中層マフィアのエイリ―だな?」


 彼は軍人として戦場に立っているから。


 「治安維持軍ゲート管理局課長、戦闘行動部隊隊長として貴様を処分する」


 彼は戦闘という行動そのものに自分なりの意味を見出し、理由を知っているから。


 「非合法薬物運搬及び売買、サイレンティウム非認可武器の運搬、青少年及び児童誘拐……中層街司法局及びサイレンティウム法務部は貴様を罪人と認定し、中層マフィアグループの殲滅を決定した。死ねよ罪人……貴様の帰る場所など何処にも無い」


 エデス……下層街ゲート管理局課長は戦いでしか解決出来ない物事を、命を奪う意味を誰よりも知っているから、何度でも立ち上がるのだ。任務を完遂する為に、部隊全員を生かして帰す為に、武器を握り続ける。


 ただ、ただただ圧倒されていた。ディアナの眼に映るエデスの姿はうだつの上がらない課長ではなく、仕事を聞く為に部下へ頭を下げる情けない男でもない。毅然とした態度で戦いに臨み、絶望に満ちた状況でも任務を遂行する為に武器を振るう者。英雄……その言葉が相応しいとさえ感じてしまう程に心が熱を持ち始める。


 「か、ボス―――」


 驚異的な速さで射出された矛をエネルギー・ブレードの刃が粘液ごと焼き溶かす。負傷したディアナを狙う化外へ刃を振るい、一進一退……否、一方的に攻め立てるエデスは獣のような咆哮を上げ、何度も化外の頭蓋を粉砕する。


 一度砕こうとも瞬時に再生する化外を殺す事は不可能だ。エネルギー・ブレードの刃を脳に突き立て、濡れた筋繊維で包まれた四肢を断ち切ろうが化外は驚くべき速さで肉体の再構築を実行し、血と共に緑色の粘液を吹き出していた。


 一滴でも戦闘装甲服に付着したら瞬く間にシステム系統が乗っ取られ、機能不全に陥ってしまう。そんな危険な相手に近接戦闘を行うなど悪手中の悪手、無策にも程がある。


 だが、飛び散る粘液を焼き溶かす超高温の刃を自由自在に振るい、片腕で圧倒するエデスは化外以上に恐ろしく見えた。先程の教祖との戦闘では本気を出していなかったのかと問いたくなる衝動に駆られるが、敵は十二枚の機械翼を縦横無尽に操る暴力の化身。一対一、それも敵の手の内が見えているのならば、エデスが負ける筈が無い。


 「……」しかし「……」このまま優位な状態が続くものだろうか?


 エデスの握るエネルギー・ブレードは内蔵バッテリーを使用する超高温熱線兵器だ。僅かな電力を熱エネルギーへ超高効率変換し、機械だろうが生物だろうが問答無用で焼き溶かす武器。


 今はまだバッテリーが保っている。バッテリーが切れない限り、エネルギーの刃がエデスを守ってくれる。だが……もし戦闘が長引けば殺されるのは彼の方だ。どんなに強くても、卓越した戦闘センスを持っていようとも、身を守る術を失った方が死ぬ。


 「……ッ!!」


 ならば有利なのはエデスではなく、化外の方だろう。不死身の肉体を持ち、人間を簡単に殺す事が出来る化外は機会を伺っているに違いない。バッテリー切れを、エデスの牙が折れる瞬間を、虎視眈々と。 


 奥歯を噛み締め、痛みに耐える。機能停止に陥った戦闘装甲服の強制解除コマンドを実行し、ボディ・スーツの姿で這い出したディアナはポーチから応急処置セットを取り出す。


 やれるなら、成せるなら、選択肢が提示されているならば……やるべきだ。這い蹲っていても現実は変わらない。傍観者で居たとしても状況は悪化するばかり。憧れを抱いても構わない。しかし……出来る人間に全てを任せるなどという愚かな思考は、他人任せの他責思考は唾棄すべき考えだ。一人の人間、一端の軍人であるのなら、責任を持て。


 即効性鎮痛薬と止血剤、カフェイン・アドレナリン混合薬のアンプルを圧し折り、使い捨て注射器のブランジャーに満たす。針先を首筋に打ち、押し子を指で押し込んだディアナは傷口に包帯を巻く。


 この戦いに意味を求めるとしたら、勿論任務遂行だ。化外と化したエイリーを何らかの方法で殺す。その為に銃を握り、引き金を引け。


 この戦いに意味を見出すとしたら、部隊全員の生還に違いない。教祖の排除は今回の作戦には無い目標で、最優先事項は中層マフィアの殲滅だ。


 任務を見誤るな、敵を間違えるな、照準を目標に合わせろ。生きて帰る為に……戦え。


 引き金に指を掛け、落ち着いて引く。エデスの首に迫っていた化外の爪が弾け飛び、四方八方に飛び散ると傷口から血と粘液が溢れ出した。


 「ウルフ5!」


 「ボス! 援護しますッ!!」


 余計なお世話だったのかもしれない。指示されていない行動は軍人にあるまじき行動だろう。だが、今はこれが正しいと思う。近接戦闘能力に乏しく、遠距離戦闘支援に徹するのが戦闘装甲服を失った己の領分の筈。此方を一瞥したエデスへハンドサインを行ったディアナは、照準器を覗き込みアサルトライフルの銃口を化外へ向ける。


 「……全員聞こえているか?」


 エデスが通信機に呟き、


 「外部勢力の殲滅が完了した後、対ハッキング装甲を展開!! 敵は倉庫最奥にあり!! 急げ!!」


 化外の攻撃を弾きながら叫ぶように指示を下す。


 「ボスッ!!」


 「ウルフ5!! 貴様は俺の援護に徹しろ!!」


 「了解ッ!!」


 幾重にも重なる銃声と剣戟の音。人体の急所と呼べる場所を徹底的に攻撃するエデスと彼を援護する為に引き金を引くディアナ。互いに互いの弱点を補い、一方的な攻勢に出始めた矢先に化外の肉体が震え始め、


 「Ln……mINa!! Nameless!!」


 と叫び、次なる段階へ変貌するのだった。


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