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屍鬼 上

 ゾクゾクとした悪寒が背筋から脳天へ一直線に駆け、くらりと脳が揺らぐ。


 「ダナン?」


 背後を歩いていたステラがゆらりと身体を傾けたダナンの袖を握り、不安に満ちた眼で見つめた。


 「……」


 心臓が暴れ狂う焦燥感と脊髄に染み渡る殺意……。シンとした通路に横たわる無頼漢の死体を蹴り飛ばし、姿無き敵意を感じ取ったダナンは己の内から沸き上がる憎悪の炎を見る。


 己と同じような存在を否定する同族嫌悪のような、似たような性質を忌み嫌う近親憎悪と近い激情の濁流……。徐々に赤へ染まり往く視界を振り払い、深呼吸を繰り返したダナンは通路の奥に見える鉄扉をジッと見据え、機械腕から超振動ブレードを展開する。


 「敵……ですか?」


 「知らん」


 「知らんって……武器を構えているのなら、敵が居る筈でしょう?」


 「分からん」


 サテラの質問を躱すように答えたダナンは「ステラ、後ろの連中を全員連れて逃げろ」と短く言う。


 「……理由は?」


 「分からない。分からないが……とにかく良くない気がする。遺跡を通らずに商業区を抜けろ。行け」


 アサルトライフルの銃口を扉へ向け、引き金に指を掛けたダナンの足が一歩ずつ後退する。ステラやサテラ、囚われていた少年少女を守りながら幾人もの完全機械体を抹殺してきた彼が此処まで警戒心を剥き出しにするということは、それ相応の危険が迫っているという事なのだろう。ダナンの言葉に小さく頷いたステラは、拳銃のグリップを握り締めると後方へ目を向ける。


 「―――」


 「ステラ? どうしッ!!」


 鳴り響く銃声と少年少女達の叫喚と……。虎狼の如く走り出したダナンは刀剣へレスを抜き放ち、殺した筈の完全機械体の胴体を真っ二つに斬り裂いた。


 悪夢か幻覚でも見ているのだろうか? 火花を散らしながら人工血液を垂れ流す機械体を見下ろすダナンの視界に、地面を這い蹲りながら進む屍鬼の群れが映る。


 胴体を両断された者、脳を撃ち抜かれた者、心臓を貫かれた者……赤黒い人工血液の軌跡を描き、生者を死者へ引き摺り込もうと牙を剥く機械体の群れは、さながら半死半生のゾンビの様。呻き、血反吐を吐き、ガタガタと震える機械体には緑色の粘液が付着しており、それは蔦の根のように機械装甲の隙間に入り込んでいた。


 「ダナ」


 ステラの声よりも先にダナンが動く。死者の生など認めないと云った風に機械体の動力核を的確に撃ち抜き、叩き斬ったダナンは「全員一ヵ所に纏まれ!! 死にたくなければ動くなッ!!」叫ぶ。


 『ダナン』


 「ネフティスかッ!? 何だ、こいつ等は、俺は確かにこいつ等を殺した筈だ!!」


 『劣化ルミナ反応を感知しました。対象との距離は二百メートル。管理番号2i‐Iweleth。クリフォト反応を感知。ルミナ活動段階……暴走期を経て崩壊期へ移行。迅速な対処を願います』


 「ルミナだと……?」


 『肯定。劣化ルミナ、管理番号2i‐Iweleth……エーイーリーの情報を開示します』


 ダナンのゴーグルにネフティスが情報を映し出す。


 電子情報戦特化型ルミナ・エーイーリー。二百五十年前の大戦末期にて電子戦闘部隊に組み込まれた完全体ルミナの劣化バージョン。製造開始年と最終製造年は同一の年であり、ユーラシア大陸アジア電子砦攻防戦線終結時にエーイーリーは凍結及び兵士諸共破棄処分済み。


 現製造者カナン。管理者……ネームレス。本兵器の制御権及び複製プラント操作権限知恵の果実。現行被検体、エイリー。情報開示措置を命じられた戦闘支援プログラムは、現存NPCへ停止措置を指示するように。


 「ネフティス……これは」


 『ダナン、同様の情報を管理者イブへ送信済みです。貴男には早急に問題を修正する義務があります。NPCとして、ネームレスの意思を代行する責務が』


 「お前は何を言って———ッ!!」


 粘液に覆われた機械体が、バラバラに切り刻まれた機械部品が一ヵ所に寄り集まり体を成す。罅割れた箇所をパテで補修するかのように粘液がゼリー状の形態へ変わり、ショートした回路をナノマシンが繋ぎ合わせる未知の技術。腐り果て、朽ちかけた骸骨を彷彿とさせる歪な機械体はダナンとステラ、サテラの近くに立つ少年少女を機械眼に映し、出来損ないの人形のような歩き方で足を進める。


 どう殺す。どうやったら目の前の敵を殺す事が出来る。ゴーグルに映る情報を縮小化させたダナンは刀剣へレスを握り締め、ガスマスク内で荒い息を吐く。


 『近接戦闘、機械腕の超振動ブレードによる攻撃は推奨されません。距離を取り、刀剣へレスを用いた戦闘或いはアサルトライフルの射撃を推奨します』


 「……理由を言え」


 『劣化ルミナ・エーイーリーは電子情報戦特化型です。粘液には無数のハッキング・ナノマシンが内臓されており、電子機器及び情報機器へ不可逆性ハッキングを仕掛けます。その特異性は貴男に組み込まれているルミナの蟲であろうとも例外ではなく、抵抗するにはコード・オニムスの起動が必要です』


 「……」


 緑色の粘液を滴らせ、醜悪な生を以て死から回帰した屍兵。科学は魔術を駆逐し、オカルトを否定する力である。だが、発達した科学は魔術と称されていた技術を論理的に再現する現代の魔法。細胞サイズの機械は人体を容易に弄繰り回す不可視の精霊であり、塩基配列……則ちDNAを操作する技術は神意の落とし子を産む外法。


 倫理をかなぐり捨て、冷酷な論理を突き詰めた科学は魔術と相違無い一種の秘術なのだ。不可能を可能にし、可能であるのならば実行する冷たい方程式。その結果の一つである屍兵……否、機械体の屍鬼を見据えたダナンは対峙する未知に僅かな恐怖を抱く。


 人間相手ならば……単なる機械体が相手ならば殺す事で片が付く。無慈悲に刃を振り下ろし、銃弾で心臓を抉ればいい。しかし、己と同じように……瞬時にして傷が塞がる敵、何度急所を突こうとも再び立ち上がる敵を殺す事は可能なのか? ルミナの脅威や圧倒的な不死性を知っているが故にダナンの中に迷いが生まれ、絶対だと信じていた暴力の可能性が揺らいでしまう。


 「ダナン……」


 ダナンの袖を握るステラを一瞥し、背後に立つサテラへ視線を向ける。


 不安、恐怖、絶望、様々な感情が入り混じる暗い顔。命の危機を肌で感じ取った少女達が思う事はただ一つ……死にたくない。それだけなのだ。


 「安心しろ」


 馬鹿な事は考えるな。


 「お前等は俺が生かして帰す。怯えるな、恐怖に蝕まれるな。俺は死なないし、絶対に生き残る。だから」


 こんな事を言うのは無責任だ。他人の命の面倒を見る余裕が無いクセに……自分が生き残ることに精一杯なクセに……。


 「俺を信じろ。自分を信じろ。お前等は……弱くなんかない。生き残る為に、家に帰る為に……最善を尽くせ。俺が時間を稼ぐ」


 心にもない事を……自分らしくない言葉を吐くのは止めろ。


 「でも、でもダナンは!!」


 「ステラ」


 「———ッ!!」


 「お前を信じる俺を信じろ。そして、俺が信じるお前をな。大丈夫だ、あと少しでイブが来る。それまでお前が皆を守るんだ。出来るな? ステラ」


 「……絶対」


 「……」


 「絶対生きて帰って来てよ! 絶対だよ!?」


 「……ネフティス」


 『はい』


 「俺の戦闘支援よりもステラと他の連中の保護誘導支援を優先しろ」


 『了解しました。それが貴男の意思であるのならば私に拒否権は存在しません』


 「頼む。ステラ、約束は守る。仲間……いや、家族との約束は絶対にな。だから行け。後ろを振り向かず、皆を守れ。お前ならそれが出来る。いいな?」


 「……みんな、行くよ」


 「け、けど、ダナンさんは」


 「いいから行くよ!! 死にたくないのなら、ダナンに迷惑を掛けたくないのなら、私に付いて来て!! 早く!!」


 ネフティスの指示に従い、通路を駆け出した少女達を見送ったダナンはアサルトライフルを構え、照準を合わせると引き金を引く。


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