人間を殺す手段は幾らでもある。
急所を貫き殺せばいい。銃弾で脳を撃ち抜いても人間は死ぬ。生命活動を停止させる方法等古今東西幾万年、人間同士の殺し合いの歴史が人を簡単に殺せることを証明しているではないか。マーダー・ライセンスを持たずとも、殺意の一欠けらと理性を塗り潰す狂気があれば、命は幼子であっても簡単に奪える脆弱な概念に他ならない。
だが……アサルトライフルの引き金に指を掛け、照準器を覗き込むダナンは生唾を飲み込み敵の出方を窺っていた。緑色の粘液に覆われたナノマシンの集合体、人体を機械に置き換えた人間の成れの果て……屍鬼と呼ぶに相応しい醜悪な存在を眼に映した青年は、引き金を僅かに引いては離すと云った動作を繰り返す。
銃弾で殺せるのか怪しいものだ。もし弾丸が命中したとしても、ゼリー状の物質に阻まれる未来が見えてしまう。近接戦闘に臨もうとも超振動ブレードの刃を伝って劣化ルミナの群体が不可逆性ハッキングを仕掛けてくる。
ならば己の持つ武器で何が有効であるのか考えろ。分子結合を叩き斬ることが出来る刀剣へレスの刃か? 手榴弾による爆撃か? チャフ・グレネードの電子攻撃を用いるべきか? グルグルと回る思考の中、鋼の軋みを響かせながら歩を進めた屍鬼へ指先が無意識に引き金を引き、空薬莢が宙を舞った。
薬莢が地面に落ちる前に粘液に包まれた機械の矛がダナンのガスマスクを掠る。固定ベルトのピンが弾け飛び、ダラリと垂れ下がったマスクを引き剥がした青年は機械腕にアサルトライフルを持ち、刀剣へレスを抜く。
動体視力を越えた鋼の矛……もしあの一撃を機械腕で受け止めていたとしたら、ハッキングにより制御権を奪われていた。冷えた汗が額に滲み、それと相反する程の熱を身の奥に感じたダナンは一太刀で矛を斬り落とし、切断面から這い出る黒い線虫を視界に映す。
「……」
劣化ルミナを組み込んだ存在は歪な不死性を帯びた化け物だ。何度致命傷を与えようとも殺せない真正の化外。屍鬼から這い出た線虫を目の当たりにしたダナンの脳裏にカァスとアェシェマが過り、ノスフェラトゥの狂笑が幻聴となって鼓膜を叩いた。
「……」
濁流となって押し寄せる得体の知れない憎悪の汚濁。
「……」
目の前の敵は殺すべき存在ではないと脳の奥が叫び、遺伝子に刻まれた憤怒が業火となって燃え上がる。
「……ッ!!」
真紅に染まる視界と地の底から木霊する叫喚。男と女、老いも若いも飲み込んでグチャグチャに噛み砕いた狂気の嘯き。己の心臓に蠢くルミナの蟲が活性化すると同時に、血が沸騰するような熱が毛先から指先まで駆け巡る。
劣化ルミナは殲滅しなければならない……クリフォトの名を冠する劇物はこの世から抹消されるべきなのだから。己の罪を清め改める贖いは全てのクリフォトを滅し、楽園へ至る道筋を整えることにある。その為に己は存在し、その為に造られた。彼女の為に……彼女達の為に、計画を実行しろ。EDEN—―—NPC。
聞き覚えの無い声は狂気に冒された故の幻聴か、それともダナン自身の呟きか。獣のような咆哮をあげ、自殺紛いの特攻を仕掛けたダナンはブーツの裏で屍鬼を蹴り飛ばし、激痛を訴える頭を手で押さえる。
彼女とは誰だ? 何故己はこんなにも劣化ルミナを憎んでいるのだろう? NPCとは何だ、EDENなんて言葉は記憶に無い単語だ。クリフォトの意味も、楽園に至る計画も……全部知らない筈なのに……何故。
『劣化ルミナ・エーイーリー未だ健在。触覚の破壊は非効率的です』
「……触覚だと?」
『現在戦闘中の機械体はエーイーリーの触覚です。本体を排除しなければ触覚の再構築及び修復は止まりません。ダナン、貴男には二つの選択が提示されております』
「言ってみろ……」
『迅速かつ火急的にエーイーリー本体を機能停止にするか、知恵の果実へアクセスし使用権限及び特異性操作権を回収するかの二択です。選んで下さい、ダナン』
「……」
鋼の唸りと関節部位の悲痛な軋み。足の力だけで再び立ち上がった屍鬼の頭にアサルトライフルの銃口を向けたダナンは、歯を食い縛りながら引き金を引く。
殺さなければ殺される。敵も己を殺すつもりで牙を剥いている筈だ。何度致命傷を与えても立ち上がるのならば、ネフティスの言う通り本体を潰した方が効率的だろう。
「本体の場所を言え、ネフティス」
『了解、多目的ゴーグルにナビを表示します』
屍鬼の手足をヘレスで断ち切り、手榴弾のピンを抜いたダナンはゴーグルに表示されたナビを辿る。
『エーイーリー、治安維持軍兵士二名と交戦中。二名とも負傷しているようです』
扉を開け、背後を見る。ヘレスの刃は分子を断つ硝子の剣。有機物から無機物まで関係無しに全てを切り裂くことが出来る遺跡の遺産である。
分子レベルまで破壊された劣化ルミナは自己増殖機能を以て破損部位を細胞代謝の如く切り捨てる。崩壊、再構築、回帰、修復及び修正……その様子はさながら延々と脱皮を繰り返す蛹へ至らぬ幼虫か、不完全な命を観測するために遺伝子を弄くり回された哀れなモルモットか。這いずり、緑の血痕残しながらダナンを追う屍鬼はガラクタのような銃を彼の背中へ向け、粘液塗れの鉄屑を射出する。
『避けて下さい、ダナン』
「ッ!!」
咄嗟に身を翻し、鉄屑の弾丸を回避する。頬に一滴だけ降り掛かった粘液の雫がダナンの心臓で蠢くルミナの蟲の制御権を奪うべく無限の分裂と増殖を始めた。
「―――ッ!?」頬が焼き崩れる程の熱を持ち「ァ―――がッ!」一瞬にしてダナンの頭が劣化ルミナの張った根で覆われる。
『―――ン、システム―――ラー。ルミナ―――機能―――止。重篤―――ラー』
五月蝿い程に鳴り響くネフティスの声と脳の皺に隙間無く伸びる根の雑音。ビンと伸びた機械腕が己の意思と無関係に首を締め、生身と機械技師を繋ぐ神経接続部位が劣化ルミナの高負荷ハッキングによってショートする。
圧倒的な脅威の激流は死の影を呼び寄せ、拭い難い絶望は冷静な判断力を用意に砕く破城槌。必死に鋼の腕を掻き毟っていたダナンは、鮮血に染まった手をポーチの中へ突っ込みチャフ・グレネードを引っ張り出す。
狂っているのか、それとも渦巻く狂気の中で選び取った最善の選択がこれなのか、それはダナン自身も理解できぬ渦中の事。ピンを引き抜き、グレネードを咥えたダナンはマグナムの銃口をボトルへ向ける。
鼓膜を破る爆音がダナンの頭を吹き飛ばし、舞い散るチャフが劣化ルミナのハッキングを一時的に停止させた。制御権を劣化ルミナから奪取した蟲は、すぐさま戦闘支援AIを再起動すると抗体プログラムを構築し、ルミナ・ネットワーク・システムへのアップロードを開始した。
『ダナン、意識を手放さないで下さい。触覚未だ健在、ハッキング・プログラムをアップデート。次が来ます』
「―――」
半ば意識を失いながら修復された右目に屍鬼を映したダナンが手榴弾を握り、片手で器用にピンを抜く。
死ね―――白い線虫が無数に蠢く口から飛び出した言葉は怒りに震える怨嗟の声。宙へ放り投げた手榴弾をマグナムで撃ち抜き、爆風に目を細めたダナンは破損したゴーグルを外し、アーマーに破片が突き刺さったまま通路を駆ける。
『ルミナ全機能回復まで残り十五分。それまで持ち堪えて』
「俺は死なない」
『死なないのではありません。貴男が云う言葉には矛盾があります。死にたくないと言った方が適切でしょう』
「……」
『沈黙は肯定と判断いたします。ダナン、エーイーリーの排除が今貴男が行うべき最優先事項です。どうぞご理解を……これは仕事です』
黙れよ……そう呟いたダナンは最後の扉を蹴破り、異形の獣と対峙する一人の治安維持兵を視界に収めた。