生体融合金属に包まれた皮膚が赫赫とした色を帯び、鋼の膜で包まれた眼球が映す世界は真紅の劫火に灼かれた緋色の世界。熱波に泥濘むコンクリートの液溜まりと空気を糧にして燃え上がる灼熱の炎幕……現し世に再現された地獄を駆け、巨獣のアキレス腱を断ち切ったダナンはうつ伏せで倒れるエデスを抱え、皮膚の焼ける臭いを嗅ぐ。
「生きてるか!? 生きてるなら返事をしろエデスッ!!」
「……どうして、お前が此処に……?」
掠れた声で呟くエデスは透明な液を口の端から垂れ流す。
「今はそんな事どうでもいいッ!! クソ……畜生ッ!! ふざけるなよ、絶対に死なせない!! 死ぬなよエデスッ!!」
「……」
ダナンは別の仕事に向かっていた筈……民間人の救出と誘導依頼。彼が依頼を途中で放り投げるとは思えないし、半端な形で終えた筈がない。非戦闘員を安全な場所へ送り出した後に此処へ来たのだろうか? それとも不測の事態によって全滅したのだろうか? 鋼鉄の肌に覆われたダナンの背中をぼんやりと眺め、激痛に呻くエデスはアサルトライフルのグリップを握る。
とっくの昔に身体は限界を迎えていた。戦闘装甲服を纏っていなければ立つことすらままならず、得物を握る力も残っていなかった。此処まで戦い続けることが出来たのは個人的な意地と覚悟の為。どうしようもない絶望を前にした時、どんなに強靭な精神を持つ人間であろうと屈してしまう。避けようも無い現実を直視せざるを得ないのだ。
異形……そんな言葉さえ生易しい蝿の巨獣。理不尽で圧倒的な力を我が物顔で振るい、命を餌と見做す赤い複眼。逃げる者を執拗に追い、四枚の薄い羽で熱波を拡げる様は鈍重な生物兵器。否、動きが鈍いだけならまだいい。コンクリートを溶かす尻尾のブレードと放熱器官を備えたアヒルの足は、その鈍さを補う驚異的な暴力装置。
どう戦えばいいのか分からない。無限に再生する敵を殺す糸口が見当たらない。矮小な人間が現実味の無い化け物を殺せる筈が無い。抗えば抗うだけ絶望が精神を蝕み、死へのタイムリミットを自分から数えてしまう。死神に心を奪われた死人のように……指を折り曲げて。
「……」
「まだだ」
「……」
「まだ手はある。だから、諦めるな。生きることを、戦うことを、諦めるな!」
「……」
巨獣へ視線を向け、アサルトライフルの引き金に指を掛けたエデスは揺れる照準器を覗き込む。
少しでも気を抜けば意識が落ちてしまいそうだった。か細い意識の糸を必死に手繰り寄せ、霞む視界の中に巨獣を映したエデスは幅広い胸板に不釣り合いな黒い塊を見る。
小刻みに脈動し、幾億もの線虫に覆われた生身の臓器。異形には不釣り合いなあまりにも人間染みた異物。一度大きく跳ねる度に赤黒い血液を身体全体に行き渡らせ、獣の巨躯を維持する人間大の心臓をエデスは見た。
「……ダナン」
「何だッ!?」
「あの巨躯を……殺戮兵器を維持するための、心臓の大きさは、それくらいだと……思う?」
「馬鹿でかい方がいいだろうなッ!」
「俺も……同意見だ。ダナン」
勝つぞ……いや、勝てるぞ、絶対に。ニヒルな笑みを浮かべたエデスは、腰のポーチからアドレナリン・オピオイド混合アンプルを首筋に注射する。
絶望に染まるにはまだ早い。切れる手札を全て切り、ジョーカーを持ち出してから絶望しろ。勿論現状は此方が不利であり、何時死んでも可笑しくない状況だ。非現実的な巨獣と対峙し、狂った戦場でも希望を捨てない人間は……良い意味で狂人と呼べるだろう。
「ダナン……一つ頼みがある」
「……」
「死ぬ可能性があるし、生き残れたとしても重大な後遺症が残る危険な策……。だが、今の俺達にはそれしか手が無いのも事実。無理なら無理と」
「言え」
「……」
「言ってみろ、大丈夫だ俺は死なない。絶対に生き残る。生きる為に戦うのなら、奴を殺す手段があるのなら話せよエデス。出来るなら……やるべきだ。違うか?」
「……上等だ」
死ぬつもりも無ければ、負けるつもりも無い。狂気という炎に理性の燃料を加え、そっとダナンに耳打ちしたエデスは外面が溶けたコンテナの中へ身を隠す。
「……ネフティス」
『はい』
コンテナ内で武器を組み立てるエデスを一瞥し、巨獣を見据えたダナンはヘレスを握る。
「奴がエーイーリーか?」
『肯定。劣化ルミナ・エーイーリー、管理番号2i‐Iweleth……状態は崩壊期へ移行しております』
「崩壊期なら待てば死ぬ……そんな筈が無い。そうだな?」
『肯定。崩壊期を経て待機状態へ移行し、管理者カナンの指示により再び活動期へ移行します』
「……」
『管理者イブの到着を』
「奴を此処で殺す。絶対に、此処から先には行かせない」
『理由をお聞かせ下さい。貴男にはエーイーリーの殲滅及び鎮圧が最優先事項と定められております。管理者イブの到着まで待機し、体力の温存に努める方が効率が良いでしょうに。』
「ステラが居る」
『……』
炎を吐き、ブレードの剣先を向けた獣……エーイーリーを睨むダナンの瞳の黒に赤が映える。
「此処で奴を殺さなきゃアイツが危ないんだよ。だから此処から先には進ませない。馬鹿だと思われても、阿呆と罵られても、此処でエーイーリーと屍鬼を潰す。ネフティス……理由はそれだけで十分だ。誰かの為に……そうだろう?」
鋼の軋みを響かせながら倉庫へ足を踏み入れた屍鬼と、この場に存在する命を焼き尽くす為に殺意を滾らせるエーイーリー……二体の敵へ意識を向けたダナンはマグナムを屍鬼へ撃ち、それを合図に走り出す。
炎の中を突き進み、生体融合金属の防御力に身を任せて熱波の波を掻い潜る。アキレス健を執拗に絶ち、体勢を崩したエーイーリーの身体をよじ登ったダナンは複眼へ機械の拳を突き立て超振動ブレードを展開する。
噴き出す血液と獣の叫喚。劫火など気にも留めず身体の至る所を這い回り、牙を突き立てるダナンはエーイーリーから見れば小蟻のような存在だ。何度焼こうが触覚を握ったまま離れず、如何なる物質をも切り裂くヘレスの刃を振るう害虫。狂気に身を任せた戦いを実行し、戦意と殺意を一身に集めるダナンは複眼の片方を引っこ抜き、鮮血に濡れる。
化け物を人間が殺すのか、人間が化け物を殺すのか。狂人染みた戦法を取り、絶望に満ちた戦いへ身を投じる者は狂人なのか。炎に包まれながらヘレスを振るうダナンの姿は悪鬼を超えた羅刹のようであり、人間の戦い方とかけ離れた冥府の修羅。巨獣の圧倒的な力など無意味だと言わんばかりに刃を突き立て、肉を抉り出そうと血を求める修羅にエーイーリーは恐怖する。
恐怖……その感情をエーイーリーが正しく理解できたのか定かではない。死を求める本能が願望を阻止する鬼を脅威と捉えたが故の自己防衛、ダナンを外敵として見た獣の習性か。どちらにせよ、彼を害虫から敵と認識した獣は触覚である屍鬼へ劣化ルミナの特異性の不可逆性ハッキングを指示する。
『屍鬼行動を開始。注意して下さい』
「ッ!!」
緑色の粘液に濡れた屍鬼の弾丸を紙一重のところで躱すダナンと、大きく身を振って火の粉をバラ撒くエーイーリー。叩き付けられたブレードの刃が金属の肌を焼き、連続で振りかけられた粘液の一欠片がダナンの頬に引っ付いた。
『劣化ルミナ、ハッキング。攻勢防壁展開、抗体プログラム起動、生体融合金属ダウン、抵抗及び排除……再起動まで二分』
「あ―――」
脳天まで突き抜ける激痛と骨の髄まで焦がされる生き地獄。ブレードで串刺しにされ、ブンブンと振り回されたダナンは溶けるコンクリートの海に溺れ、遠くなる光へ手を伸ばす。
死にたくない……違う。
生きなければならない……そうだ。
生きるためには戦え、死なないたために抗え、戦意を絶やすな……殺意を鎮めるな。敵を、劣化ルミナを殲滅しろ。そうだ、彼女と共に……。
大きく目を見開き、戦う術を求めたダナンの腕が真紅の装甲に覆われ「コード・オニムス起動。反撃よダナン」凛とした声が頭上から響いた。